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保存修復

2024年4月12日 (金)

残すもの取り除くもの ー扁額の修復処置ー

最近修復処置を行った扁額(墨書/https://nyushodo.com/report014.html)は、現在の状態をできるだけ残したいという要望のもとに作業を進めていった。伝統的な扁額は、作品を保護するようなガラスの装着もなく、家屋の天井近く、長押板【なげしいた】の上にのせるようにして、ちょっと下を向くように壁に掛けて鑑賞をする。高い場所に置かれることもあってか、一度展示するとそのまま放置されることが多く、表裏共にむき出しの状態になっているので、修復を依頼されるときには結構な塵埃が堆積しており、長い間光にさらされているために変退色も進み、温度や湿度の影響をダイレクトに受けているため劣化もかなり進んでいることが多い。
今回処置した作品も、表装部分、背面に貼られた唐紙共に劣化が著しく、揮毫された文字の墨は定着力を失って、粉化した墨の粉末が散乱し、背面に貼られていた唐紙には大きな破損と部分的な材料欠失があり、調査当初よりそれなりの覚悟をしていたものの、そのフタを開けて見れば、思った通りのこともあり、想定外の問題もあり、結局いつもの通り。一筋縄ではいかない仕事となった。

修復処置にあたっては、まず縁を取り外すのだが、これがまた厄介で、固定のために打ち込まれていた釘が錆びてしまっていて容易に引き抜けない。釘の頭の部分をペンチなどでうまく掴んでも、引き上げようとすると釘が崩れてくる。今回は縁も再利用することとなっていたため、出来るだけ傷付けないよう作業を進めたが、錆びた釘を放置しておくことも良くない(周囲の木材が腐朽する)ので、彫刻刀やルーターを使って、虫歯の治療のように変色していた釘の周囲を最小限削り取り、隙間から先の細いペンチなどを差し込んで、辛くも全て引き抜いた。もちろん、この釘は再利用できない。

表の本紙と古い表装材料は接着剤も劣化していたことから、当初の予想より楽に分離できたが、大きな破損があった裏面の唐紙は思った通り。不用意に力を加えるとポロポロと紙が崩れてくるので、とにかく慎重に作業を進める必要があり、久しぶりに緊張した時間を過ごさせてくれた。
本紙と古い表装材(鳥の子紙と思われる)、裏面の唐紙も、長い間外界に曝されて来ているため、汚れも変色も著しく、洗浄する必要があったが、本紙と表装材については、その紙質の違いから、洗浄によって伸縮の違いが生じないように、分離しないまま洗浄する方法を用い、大破していた唐紙についても、残存している部分をいったん綺麗に元に戻し、仮固定した状態で洗浄処置を行なった。

今回の修復作業において、最大の問題が下骨(【したぼね】杉角材で作った格子状の構造材)の取り扱いであった。今回はこの下骨についても再利用する予定で解体を進めてみたものの、古い下張り紙を剥がして出てきたのは、継ぎ接ぎだらけの寄せ集めの材料だった。あろうことか、最も頑丈に作らなければならない外周の框材には、襖の縁を加工したと思われるものが使われ、ホゾ穴が等間隔で開けられており、中央に計4箇所ほどあった桟材の接合(角材の継ぎ接ぎ)箇所に打ち込まれていた木ネジや釘はサビが酷く、周囲の木材は黒くなって腐朽し、指で軽く押しただけで崩れるような状態となっていた。
この下骨は物のない時分に制作されたものか、あるいは経済的制約かあったのか、それとも手近にあった材料を使っただけなのか、額装した表具店周辺の物資の流通にも問題もあったかもしれない、、、。この脆弱な寄せ集めの下骨も、見方によってはそれなりの工夫が見られ、とてもユニークな作り、形態をしており、独創的であった(この下骨材は資料の一部として別途保管されている)。
このような下骨も、なんとか再利用をすることは可能であろうが、この下骨は額の主要な構造材となり、作品を固定する土台ともなることから、今後のことを考えて、私は新しい材料との交換を強く勧め、受け入れてもらった。

新しい下骨は良質の杉材、白太材を使い、下張り6層(骨紙貼り、胴貼り、蓑掛け3層、蓑押さえ、下受け貼り、上受け貼り)を行なって、修復した作品、表装材、唐紙を貼り合わせ、縁も元あったものを修復、清掃して再取り付けした。


はるかな時を超えて、老化、劣化、腐朽し、大きく傷ついた作品を残してゆくのは、技術的にも難しく、修復した後の取り扱いも決して楽にはならない。傷んだ箇所を修復して、ぱっと見は綺麗にすることも、ある程度丈夫にすることもできるのだけれども、今あるその姿形、質感のようなものまでを残そうとすると、処置にも制約が生じ、出来ることが少なくなって、処置後も問題を内包したまま顧客に返却をすることになるので、その後の所有者や管理者にも負担が生じる。

修復技術者の最も大切な使命は、今ある姿や形を『残す』ことと『延命』にあると考えているが、実際に長くこの仕事をしていると、それを両立させることが難しいケースも少なくない。残すことで短命になったり、除くこと、捨てることでより延命につながることもあり、さらには視覚的に良好になったり、元来持っていた機能が改善されることもある(そういったことを望まれるケースも多い)。

大切に、長く守られてきたものほど何を残し、何を取り除くかを選ぶことは難しい。
そこにどんな価値を見出すのか、それは残す価値がないのか。

 

2024年3月28日 (木)

修復と言う名の支配

3月24日に東京芸術大学で開催された国際シンポジウム、『未完の修復』で登壇された文化人類学者の古谷嘉章さんは、アマゾンの奥地で発掘される土器の話をされる中で、出土された土器が近隣の人々が使う水瓶になったり、お土産として売る複製品の元になったりするという話をされていたのが印象深かった。彼の話の中で一番気にかかったのが、考古学が発達すると『考古学がそれを支配するようになる』という発言であった。
考古学者が埋蔵していた土器を発掘した瞬間から、それは埋蔵文化財、歴史資料となり、調査、研究の対象となる、土器の断片は詳しく調べられて、制作当初の姿形を追求して関係に復元されたり、博物館に持ち込まれればガラスケースの中に入れられた展示物となる。そうなってしまっては、もはや地元の人が再利用することもお土産品の元として扱うことさえできなくなる、、、。

私は個人を始め、大学の研究機関や公共の美術館、博物館、資料館など、様々な人、環境に置かれ、利用されている美術品や歴史資料の修復を長く行ってきたのだけれど、預かる作品や資料の修復に求められるイメージはそれぞれに皆異なった。私たちのような修復家は、よく『オリジナリティー』を守ろうとか、大切にしようというけれど、このオリジナリティーというのも解釈の幅があり、そのイメージは人の経験や学習、価値観によって揺れ動き、製作後にはるかな時を経てきた物であれば、オリジナルな状態、元の状態、その時点を特定することも難しい。
一方、
私たち修復家といえば、壊れた物や劣化した物を巧妙に取り繕うことはできたとしても、それは修復という技術の下に損傷や劣化を見え難くすることがせいぜいで、実際には、物に刻まれた過去の経験や履歴の地層のようなものを部分的に取り除いたり、覆い隠してしまったりすることである。 私たち人間は、タイムマシーンでも持たない限り、実際には痛んだり老朽化した物を元の状態に戻すことはできないのだが、それをして修復という。

私たちがオリジナリティーと呼ぶものは、物の一部を捉えたり、示しているところはあるかもしれないけれど、実は多くの部分で、私たちが心象に作り出す、その理想像であったり、自らの経験や価値観が捉えたイメージとなってはいないだろうか。
そして、修復するということは、それを守り、残そうとする、そうしたいと願う人々の大切にするそのイメージこそ確保し、それこそを永らえさせようとすることが望まれる、人の意図的、恣意的な行為なのではないだろうか。

それは本当にオリジナル、オリジナリティーと呼ぶことができるのだろうか。
私たちのイメージの元に物を支配するということには繋がらないか。

2024年3月25日 (月)

オリジナリティはどこにあるのか

文化財の保存や修復に携わるものは、よく『オリジナリティー』という言葉を使う。かくいう私自身も、自分の運営するインターネットサイトでよく使っている言葉でもある。オリジナリティーとは、元々は最初のものという意味で、独自のものとして、何かに加工される前の元とか、例えば複製品に対しても使う言葉であるという。

太古の昔の話。アマゾンの奥地あたりに散在する集落では、互いの集落へ訪問する際に、自分たちで作った焼き物(器)を土産物として持参した。それは訪ねた集落の長に手渡されるのだが、なんと長はそれを割ってしまい、その破片を集落に住む人々に分け与えるという習慣があったそうである。そこで贈与される焼き物は、破壊される(分割される)ことを前提として作られ、壊された破片を民に分け与えられることによって価値、意味が成り立っていたのだ。

太古に製作された土器やその破片は日本国内のあちこちで出土されている。私の住む町の近くでも、縄文時代の住居跡が見つかっており、近隣の博物館では出土した土器の破片を寄せ集めて復元した土器が飾られている。
私の古い友人はかつて考古学を勉強していて、彼のところに遊びに行くと、出土した土器の破片や綺麗に成形された鏃を片手にいろいろな話をしてくれた。土器の破片に刻まれた模様を手繰ってゆくと、途切れたその先が見たくなる。一体、元はどんな文様だったのか、かつてこの器の形はどんなものだったのか知りたくなってくる。集められた破片を一つ一つつぶさに調べ、つなぎ合わせておよそ完形となる作業を見たときには、感動さえ覚えた。
それから数十年を経て、今あの時のことを思い出すと、果たしてあの修復作業のような行為は正しかったのだろうかなどと考える。元の姿形に戻してしまえば、割れた元の状態は無くなってしまう。もし、割れた状態に歴史的な意味があり、ある完成形であるとするならば(完形という状態が過程に過ぎなかったのならば)、完形に戻すことはオリジナリティーの保護に反する行為となるだろう。

人が作った物の中には、人や時を経て姿形を変えて良しとするものもある。日本の茶道においては『侘び寂び』などと言った美意識があり、使い古した道具、欠けたりヒビの入った器に価値を見出そうとする姿勢がある。これは、かのチェザーレ・ブランディのいう人と時の介在(その事実)を保存の対象として視野に入れようとする姿勢に近しいのではないだろうか。

でも、こういった考え方はオリジナリティーのありかをどこか不明瞭にし、私たちのような修復家やそれを保存管理する人々を惑わせ悩ませる。
オリジナリティーはどこにあるのか。それは守るべきものか。

 

国際シンポジウム『未完の修復』に参加して

2024年3月 5日 (火)

物か価値か

私たち人間は色々なものに価値を見出してきた。この価値観が、自然界にある物から何かを作りだす材料を見出し、道具を作り、またその道具駆使して、私たちはこの自然界には存在しなかった新しい何かを生み出してきた。芸術の世界で言うならば、綺麗な色をした石を砕き、接着剤となる油や膠を混ぜ、植物の繊維を編んだ布や紙に何らかの図像を記すことで絵画というものが成り立ってきた。それは石に、草や木々に様々な利用価値を見いだしてきた人間のなんと素晴らしい想像力だろうかと思う。

私の手元に清源寺仁王像修復の全記録という冊子がある。これは山形県にある古刹、清源寺に安置されていた赤く塗られた仏像の修復記録である。この二対の像、阿行吽行像は、製作後およそ250年を経て老朽化著しく、自立することができなくなり、修復が行われることになった。そして、ここで大きな問題となったのが、修復の着地点、修復後の状態である。

現代の修復理念、哲学によれば、仏像など伝統工法によって作られた古典的彫刻は、製作当初の姿形を再現することが良しとされ、製作後によく行われた漆塗装や彩色は取り除く傾向がある。詳細な調査により、この仁王像も、赤い塗装膜は製作後しばらく立ってから塗装されたことが判明したが、本像は長く檀家や民間に『おにょろさま』『赤い仁王様』として親しまれ、信仰の対象としての存在価値が高く、二対の像は赤く塗られていなければその存在価値はなかった。
修復を担当した(有)東北古典彫刻研究所の所長であった牧野隆夫さんは、大学で文化財の保存修復学を教えていた手前、修復に携わる若い修復家達に、それを信仰の対象とする人々の思い、その価値観を理解させ、元の赤い仁王にすることを納得させることを、心苦しくも思ったとおっしゃっていたのを覚えている。
彼らは苦肉の策として、二像をいったん理想的な修復状態(塗装のない状態)として、詳細な写真記録を取り、その後像全体に和紙貼って覆い隠して、塗装膜との絶縁層を形成し、この和紙の上から檀家が望む赤色に彩色した。その修復結果は、文化財の修復理念、哲学には離反しているのかもしれないけれど、私はこの仕事を高く評価したいと思っている。

人が作り出した物はみな、製作者が何かに価値を見出して生まれ、それが残る、残されるのは、そこにまた、新たに見出される人々の価値があるからに他ならない。それを大切に守り、受け継がれるためには、人々が、今、価値を見出していなければならないのだと思う。

2024年2月27日 (火)

修復の着地点

最近は現在の状態をほぼ維持するように、多少の変色も、傷もそのままに、今ある姿形をできるだけ止めることが求められることが多くなって来た。これは、ひとえに修復を依頼してくる顧客の学習や経験によって得た価値観の変化によるところが大きいのだろうと理解している。
たとえ、それが科学的には劣化による変質や変色だとしても、長い年月を経ることにより纏った古色を美しい、好ましいと思う人も少なくはないだろう。骨董蒐集などといった趣味も、古びた書画や家具を、使い古した食器を美しいと思い、愛着を感じ、そこに高い価値を見出すことができるから成立するのだろう。
利用によって汚れ、傷つき、傷んだ作品を「もとのように」「綺麗に」戻して欲しいと望む者は今も多い。でも、それは人の学習や経験によって作られた価値観という意味においては同じであり、そこに差異はあっても、優劣など無いのではないかと私は考える。私たち修復家の様な専門家の価値観も、高度な学術経験者のそれも、決して普遍、不変なものではなく、将来必ずや訪れるだろう新たな経験によって変化する可能性をもったイメージであることには変わりない。人々の価値観は多様であり、その多様性の中から生まれた芸術、文化でもある。
私たち修復家にとっては、貴重な絵画や工芸品、歴史的に重要な資料をいたずらに綺麗にすることが目標ではなく、この先いかにその延命を図り、末長く保てるように努めることが最も重要な使命と心得ているが、この行為、活動もまた、他の人々の営為、経済活動となんら変わることはなく、人と社会の希望を叶え、求めに応じた結果を提供することが出来ることによって成り立っている。
絵画や美術品、歴史資料といった、いわゆる広義な意味での文化財遺産(狭義な意味で文化財とは国宝など国や地域が指定した作品、資料になります)は、時の人と社会によってその価値が定められ、保存方法や修復の目標も定められてきた。修復の目標も着地点も、日々、変わりゆくものなのだと思う今日この頃である。

2023年4月30日 (日)

保存修復の秘密

東京国立近代美術館で開催されている『重要文化財の秘密』展で開催されたトークイベントに参加をしてきた。登壇されたのは絵画修復家の土師広さんと修復家であり、保存修復と修復理論を研究されている田口かおるさん。今回このイベントの中でとても印象的だったのは、イベント後の質疑応答で、美術館スタッフ、司会者の『修復にクリエイティブな要素はあるのか」という問いかけであった。これに対して、土師さんは『自分の意思を出さないように、意図を加えないようにしている』と答えられ、田口さんは『ありうる』とお答えになっている。

私たち修復家は、また私たちの先達らはこれまで、修復を依頼される作品と向き合うたびに、いつも深く思考を巡らし、きっとその知識と経験、技術を駆使して、当時最善と思われた処置をしてきたのだと思う。修復の歴史を紐解くと、そこには、現在では許されない様々な問題を添加してしまったものもあるし、疑問視される処置も数多あるようであるが、たとえどんな形であれ、その行為があったからこそ、今ここにその作品が存在しているという事実もあるだろう。
修復という行為に絶対とか、完全とか、確かといったものはない。今、その道に長けた専門家が安全と思い、ベター(ベストはないから)な選択をしていても、科学技術が急速に進歩している現代では、遅かれ早かれ『これはダメだな~』などと言われてしまうかもしれない。そしてどんなに手当てをしても、生物のように再生機能のない絵画や美術作品は、傷つけば自ずから治るというようなこともなく、そして修復家はせいぜいそれが目立たなくなるようにすることぐらいしか出来ず、タイムマシーンでも手に入れない限り、傷を元に戻すことなんてできない。さらには修復処置により加えた何かもまた劣化する。これが現在私たちが行っている修復の実態である。

私はこのコラムの中で、祐松堂のインターネットサイトの中で繰り返し、『修復とは何かを取り除いたり加えたりする行為である』と言ってきたが、そこには必ずクライアント要望や修復家の意思も反映しており、修復に何を望み、どんな結果をイメージするかによって残すもの、残さないものも決まる。修復家はオリジナリティーを守ることが大切と口々に言うが、果たしてこのオリジナルの状態というのも、人がそれぞれの中に抱くイメージは異なっているように思うし、この、オリジナルの状態をいつ、どの時点と定めるかはまた難しい。世の中には、経年を経て褐色化したニスを纏った絵画を美しいと思ったり、その時代性を大切にしようという人もいる。製作当初の、まだニスが変色していない頃を製作当初のオリジナルの状態と考えて、それを取り戻そうとする人もいる。そして、修復とは、こういった人々の希望や要求に答えて行うものである。今対峙する作品に物理的な付加を与えるのみならず、現在の私たちの思いを付帯(追加)させる行為でもある。
修復家の土師さんは修復家は『断る選択肢を持っている』と言っておられたが、『処置しない』という行為もまた、今、私たちが目の前に認識した何か(ある価値)に手を入れず、そのままにしたいという意思や目論みが与えられることになるのではないだろうか。厳しく言えば、修復術者が意思を出さないのも、意図を加えないもの、難しいのではないか。そもそも人の行動はその人の意思や意図によってなしうるのだろう。

私たち人間は常に現在を生きていて、今を創造している。保存修復という行為もまた一つの人の営為であり、とてもクリエイティブな活動と思う。そしてまた私たちの元に、延命や修復を求めて作品が運び込まれてくる、、、。

 

東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密
2023年3月17日金曜日~5月14日日曜日
<https://www.momat.go.jp>

 

2024.03.28改訂

 

2023年3月10日 (金)

私たちはなぜ修復をするのか

絵画修復家の土師宏さんは、Newsletter of The National Museum of Modern Art, Tokyo [Apr.-Jun. 2019]の中で、岸田劉生作品の修復を通して、次のように記している。『劣化を促進させる症状は処置の対象とする一方で、自然な変化にはなるべく手を加えず、枠品が歴史を内包している存在であることを受け入れる。その上で、オリジナルを妨げ、画家の意図ではないと思われる要素を検討し、可能な範囲で注意深く取り除く、そして修復した痕跡が姿を隠し、作品が何事もなかったように展示されたとき、100年前の表現と現在の鑑賞者は、スムーズにつながることができるのではないか』と。
彼の表現は、まさに私たち修復家の仕事を的確に説明したものであると私は思う。そして私は、彼の記した中で最も重要と思っているのが『100年前の表現と現在の鑑賞者は、スムーズにつながることができる』ということである。きっと土師さんも、対峙する絵画の向こうにいる、人と社会をしっかりと認識されているのだろう。
『なぜ修復をするのか』といえば、それは、私たち以外の誰かが修復を望んでいるからに他ない。私たちは確かに、絵画や彫刻に代表される美術品という物を修理する方法と技術に長けた専門家ではあるが、対峙する物にこそ最大の神経と知識、技術、体力を注ぐことこそが使命ではあるが、それあくまで、この営為を評価し、求めて来る人と社会があってこそ、はじめて業務としても成り立つのだ。
修復家が対峙する絵画や版画、彫刻、工芸品などの芸術作品は皆、遥かな歳月を経て、様々な人の手を経て存在している。そしてその過程の中で、美的価値、歴史的な価値はもちろん。多くの人々の関心を呼ぶ市場価値もまとわりついている。人と社会においては、この価値が見出せるからこそ、その物が大切に守られてゆく。そして、その価値が脅かされそうになった時、危うくなった時に(そう思われた時に)、その作品は私たちのところへ運び込まれる。人々にとって最も大切なのは、土師さんの言葉を借りれば、この『価値』にもまたスムーズにアクセスでき、認識できる状態なのだ。

修復家にとっては、今目の前に差し出された作品の現状を出来る限り永らえさせることが最も重要な目標、目的であることに異論を唱える者はないかと思うが、『修復をしてほしい』と望まれる作品には必ず、少し控えめに言って大抵、何かを取り除いたり何かを加えるという処置が必要となるものであり、このことが修復家を悩ませる。画布や画用紙が欠けたところを何かで補うことも、絵画の上で変色したニスを取り除くことも、欠けた描線や色面を補うことも、常にオリジナリティーを犯し、抵触する可能性がある。科学的には経年劣化により変色(変質)したニスを美しいと思い、その作品の一部をなすものだと考える人もいるし、画用紙や画布、描画の欠損さえも、その作品の経てきた歴史の一部と考えることもできるからだ。
私たち修復家は、他の誰に勝るとも劣らず、修復対象となる物の価値を理解しうるだろう。だからこそ、製作者以外の何人たりとも、製作者が選び、使用したものは取り除いてはならないし、それ以外は加えるべきではないと考える。その作品が時の経過により自然に劣化した状態も、史実として捉え、大切にしようと考える。しかし、その一方で、問題と思われる何かを取り除き、必要と思われる何かを加える修復という行為が、人と社会から求められて来た。人々が見出した価値を永らえさせるために、それを取り戻そうとする度に、善かれ悪しかれ数多の芸術作品に手が入れられ、今私たちの目の前に存在している事実もある。
私たち修復家は、専門家として人と社会から求められ、望まれる修復に対して答えてゆかなければならない。そして、そのために与えられた作品に生じた問題に真摯に向き合い、知識と技術を駆使して、その時の最善を尽くし、多くの問題、苦難を乗り越えて行かねばならないし、その弛まぬ努力があって、私たちの行為の意味も価値もまた生まれるのだと、私は思う今日この頃である。

2022年11月10日 (木)

あらためてパティナという古色を考えてみる

『修復は、芸術作品の潜在的な統一性を回復することを目的とする。ただし、あくまでも芸術作品の経年の痕跡を消すことなく、また芸術的な偽りや歴史的な捏造を犯すことなく、芸術作品の潜在的な統一性の回復が可能である場合に限られる。』(チェーザレ・ブランディ:修復の理論)

私は少し前にピカソの版画作品を修復して、さらにレンブラントの名作である『夜警』を模写して、イタリアの修復家達が唱えるパティナという概念に思考を巡らせた。
パティナというのは、日本語では『古色』と訳されることが多いと思うが、古色と言うのを科学的に追求してゆくと、それは例えば変色とか退色といった劣化、さらに言い換えることができるならば悪化ということができるかもしれない。先に修復したピカソの版画作品は、画用紙が含む絵の具やインクの定着剤(硫酸バンド=経年により硫酸を生成して紙繊維を痛める)やリグニンという物質(木材を形成する重要な物質であるが、光を浴びることで褐色化する。機械的に樹木を粉砕して作られる木材パルプで作られる画用紙はこのリグニンが多く含まれる)の劣化、変質によって、経年により褐色化、暗色化していた。さらに、この作品は額装されていたが、額装材として作品の背面に直接当てられていた段ボール紙の劣化により色素などが転移し、表面は暗い茶褐色に変色し、背面は段ボール紙の凹凸が反映して縞模様の痕が裏面全体についていた。
この版画の所有者は、画用紙が暗い色に変色してしまったことをとても残念に思って、元あったように画用紙の白色性を取り戻したいと望んでおり、私はその要望に応えるべくアルカリ化した純水や漂白効果のある薬剤を使用して、画用紙の白色性をなんとか取り戻した。

紙を水に付けて洗浄したり、漂白したりすることには大きなリスクがある。どんな紙であれ、水につければ膨潤するし、処置後にサイズが変化する可能性もある。濡れた紙はとてもデリケートで、繊維の結合が弱く、もろくなり、手で触れることも容易でなくなる。変色した紙は洗浄すれば劣化や変質の結果として生じた変色は改善されることが多いが、それを『芸術作品の経年の痕跡 』とするならば、それは消失することになる。この修復処置法は後戻りができない不可逆的な処置であり、様々な絵画修復方法、処置法の中でも、とても難しいものであると私は常々認識している。
私は今回も事前に所有者に『古色(パティナ)は無くなります』と話をして納得をいただいてはいるし、修復結果にもご満足をいただき、喜んでいただけたことは何よりであると思ってはいる。

今年2022年は私にとって厳しい年となり、仕事が激減した。ならば他の仕事でもアルバイトでもすればいいとお叱りを受けるかもしれないが、勉強になると思って、この暇な時間にレンブラントの名作である『夜警』を模写した。けれどこの作品、本来の適切な名称は『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民隊』というそうで、この作品はまた、夜を描いたものではない。『夜警』と呼ばれるようになったのがいつの頃かは知らないが、塗布されたニスが経年により変色、暗色化して、まるで夜のような印象となったのがその原因だという。この作品は20世紀に入って2回のニスの除去処置が行われ、明るさが増して昼に描かれたことが明らかになった。しかし、先述のブランディの言葉によればまた、作品が持っていた『経年の痕跡を消し去った』事になる。ブランディならば、ちょっとニスを残して『夕警』にしたろうか。

ブランディはまた、『古色が取り除かれると物質の現存(絵の具、画材の現状と言って良いだろうか)が目立ちすぎ、正しく鑑賞されることを邪魔する』とまで言っているが、私にはこの考え方が科学的なものではなく、ブランディ個人の、美的な価値観に依拠しているものと思われてならない。いったい、正しい鑑賞とはどういうことなのだろうか?パティナとはなんなのであろうか。私が思うにブランディの言う(考えている)パティナは、どうやら、絵画の構成要素である木枠や画布、絵の具やニスの物性を示しているのではないように思う。彼が科学者であるならば、それが経年により劣化し、変質をすることも理解していたはずであろうし、それを残せと言うのならば、それは劣化、変質、悪化したものに価値を見出していたからにほかない。彼が言う『正しい』鑑賞というのも、その劣化、変質、悪化したものを受け入れることが大切なのだと説いているのだろう。
それは、本来ならば科学的に作品にとってマイナスな要素としか考えられない現象をも包括して守るべきだという、劣化の結果として古色をまとった絵画を、例えば美しいと思ったり、そこに歴史的な価値を見出すといったような、ある意味、少し情緒的な感情、そこからつくられる価値観であり、例えば、古びた茶碗を愛でたり、セピア色になった古い写真に過去の思いを寄せるノスタルジーのようなものと近しいものがあるのではないだろうか。それはまた、とてもパーソナルな価値観であり、人間の自然で健康的な思考のあり方であろうとも思うのだけれど、ブランディの価値観は、実際に介入(なんらかの実処置、施術)こそしていないし、捏造とはならぬまでも、絵画作品に新しい価値を与え、その意味合いを変化させる可能性もあるのではないだろうか。

ブランディの修復理論は、ロマンティックに思えてくるのは私だけであろうか。
もう少し思考をめぐらせよう。

 

 

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修復後と修復前。およそ元の画用紙の白さを取り戻した版画と暗褐色に変質した版画。皆さんはどちらがお好みであろうか。

2022年10月13日 (木)

額装の心得 その1. ーガラスは作品に密着させないー

ポスターや素描画、版画作品など、一枚の紙に印刷された資料や描かれた絵画は、額装されて鑑賞利用されることが多いかと思う。ポスターや版画の額は、太い額縁や華美な装飾のあるものは好まれない傾向があり、額縁 を細くして、額全体を薄手に仕上げることが多い。大切な作品であれば、*ブックマット装幀をして額装する方法もあるが、鑑賞性の問題から、作品の周囲にマットを取り付けることを嫌われる場合もある。いわゆる直縁【じかぶち】と額屋さんが呼ぶ、作品の周囲にマットや*ライナーを介さず、直接縁を取り付けた額である。
直縁にしたり、額全体を薄く仕立てようとすると、自ずと資料や作品を固定する方法も限られることが多く、装幀が難しくなる。一般の額メーカーや額を販売している画材店では、複雑な施工も難しいためか、稀に、額の最前面に装着したガラスに作品の画面を密着する様にして収め、その背面からは段ボール紙やスチレンボードなど、ある程度クッションになる様なものを挟んでのち、ベニヤ板などで裏蓋をして押さえ込む様なセット方法がとられるが、この額装方法が、後日重大な作品の破壊原因となる。

一枚の紙に描かれた素描、紙に印刷されたポスターも版画作品も、外界の温度、湿度の変化によって、わずかな伸縮を繰り返す。この時、すべての紙は不規則に波打ったり、引き吊れ、凹凸が生じ、凸状になった部分はよりガラスに強く押し当てられる様になる。さらに、季節によって、時間によって温度変化が大きくなる一般の家庭内では、額の内部温度の変化も防ぐことは難しいから、とくにこれから寒い時期に入って、室内の温度を急激にあげると、場合によっては壁にかけてあった額の内部に結露が生じ、これが原因となってカビが発生することもあり、また作品への被害が生じる。
作品をガラスに密着させ、ガラスに押さえつける様な額装をすると、湿度の伸縮による紙の変形を多少抑えることは可能かもしれないが、絵の具にはもともと接着成分が含まれているし、経年により劣化、変質することにより、あるいは先述の結露が引き金となり、描画したイメージの一部や紙自体が接着してしまうことがある。こんな状態になったら、症状が軽微であるうちに改装をすれば良いのだけれど、それは案外気がつかぬうちに発生、悪化し、気が付いた時には取り返しがつかない状態となっている。

額は見た目だけではなく、安全な材料を選び、より良いセット方法により、作品を保護するケースとしての役割を持たせることもできるが、そうでなければ悪い環境に作品を閉じ込める事になる。まずは、『ガラスは作品に密着させない』そう覚えておいてほしい。

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ピカソの版画作品が密着していたガラスの内側。図像がうっすらとガラスに転移していた。

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ガラスに貼り付いてしまった古文書。文書の真ん中あたりが分離してしまった。

 

*ブックマット装幀<https://consthink.cocolog-nifty.com/blog/2017/04/post-5056.html>

*ライナー: 表面に麻布やベルベットなどを貼って装飾した細い縁、額縁と作品の間に装着する縁

*ガラスに注意https://consthink.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-1cb2.html>


2022年2月24日 (木)

スキーと修復の関係?

絵画や歴史資料の修復技術を学ぶ方法は、机上での学習も必要であるが、実際に物に触れる所作法を会得するためには、まずは指導者の一挙手一投足を観察し、そのイメージを頭の中に焼き付けることから始まり、それを自らの体で再現することが必要となる。再現は一度きりというわけにもいかず、感覚の優れた、器用なものならば短時間で習得することもできようが、大抵は一筋縄ではいかない。人はそれぞれ体格が違うし、柔軟性や筋肉の量も皆異なる。その動作を言葉で説明されても、経験のない者の頭の中ではピンとこないことも多いだろう。だから、指導者の動作を穴のあくほど観察しなければならないし、観察で得たと思う動作を自分で何度も繰り返さなければならない。そうして繰り返し、繰り返ししているうちに、ピントくる瞬間がやってくる。コツと言うのだろうか。目的の動作を自分の体で行うためのエッセンスのようなものがだんだんとわかってくる。

冬のオリンピックが閉会して間もない。日本の選手たちも検討し、ちょっと驚くほどの成績、メダルの獲得だったと思う。ジャンプとノルディック競技を合わせた複合では、最後の最後まで、日本の選手も混じってのデットヒートとなって、手に汗を握った。
私は20代から30代にかけてスキーにのめり込んだ。高校の時の担任の先生(体育の先生)がスキークラブを主催していて、同級の親友から誘われたのがきっかけだった。それからは冬から初春にかけて、毎年のようにクラブのツアーに参加し、彼自身から直接手ほどきを受けた。最初はなんども転び、急斜面には怯えるばかり。それでも懲りずに、幾度となくスキー場に通ううちに、ちょうど子供がはじめて歩き始めるように、ある時突然、何かをつかむことが出来た。それまで、いったい何度彼の滑走する姿を見つめ、どれだけ後ろについて滑ったか。気がつけば恩師からは『緩斜面の帝王』との称号を頂戴し、それなりにカッコよく滑ることができるようになって、日本スキー連盟が主催する検定会で2級まで取ることができたときは、それはそれは嬉しかったことをよく覚えている。

最近は極力修復対象への浸潤を控え、出来るだけミニマムな処置をするのが文化財修復(『文化財』とは、狭義な意味では国宝や重要文化財を指して言います)のトレンドとなってはいるけれど、だからこそ、高度な技術や手先の器用さが要求されることもある。とても貴重な、唯一無二の作品や資料に触れるならば、経験のない者は緊張もするだろうし、武者震いなら結構ではあるが、あるいは指先が震えるような者さえいるかもしれない。そういった大きな緊張下でも、処置対象を安全に、確かに取り扱うことができるように、自らの身体を自由に、繊細に、滑らかに使える能力を身につけることがとても大切で、そういった身体能力を身につけるという方法が、どこかスポーツの習得方法に通じるものがあると私は考えている。私はあの若かりし頃のスキーの経験で、体の繊細な使い方を学び、それを教えてくれる指導者の行動をつぶさに見ることができる観察眼のようなものも育てられたように思う。

皆さんは、熱心にスポーツに打ち込んだことがあるだろうか。その経験が仕事や生活に役に立ったと思ったことはあるだろうか。

 

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