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経済・政治・国際

2010年6月28日 (月)

芸術納税

少し前にイタリア帰りの修復家から聞いた話だが、イタリアでは、かつて高額脱税者の税金の取り立てに、絵画や彫刻など、いわゆる芸術作品の『物納』についての検討がずいぶんと重ねられたという話を聞いた。脱税者の中には、歴史的に観ても、学術的に観ても、きわめて貴重な芸術作品を所有する者がいて、事情を知った国の文化担当官(日本の文部科学省の様なところ?)、国立の博物館や美術館がぜひ入手、利用したいと申し出たそうだ。しかし、当の国税局は、穴の空いた国庫には実際に『お金』は入らないし、たとえ売買が成立したとしても、時の市場、需要によって相場の変動する、不確かな価値の『物納』は受け入れ難いという回答を出したという。とかく取り扱いのデリケートな美術作品は管理費用も馬鹿にならず、『お荷物』にしかならないと判断したようだ。

2009年1月 9日 (金)

修復する価値

経済重視(偏重?偏執?)の日本の社会では、美術品や歴史資料を資産として捉える傾向が強い。長くこの仕事をしていると、少なからずこの『価値』を訪ねてくる人がいるが、修復をする価値があるかどうかなどと訪ねてこられると甚だ返答に困る。
ここで言う『価値』というのは、市場価値を指しているのだろうが、美術品の市場価値などというものは株価に等しく、変動するのが当たり前で、決して絶対的なものではない。時につれ、あるいは国や地域によって大きく変わる。きっと賢明なる人々は熟知しているだろうが、それは確かに流動的で不確定。市場はまた、需要と供給によって簡単に変化するものである。
修復する価値があるかどうかを判断するのは私達修復家ではない。たとえそれが偽物だろうが、市場で価値のない物であろうが、望まれるならば専門家として技術を尽くす。それが修復家の指命だと私は思っている。なるほど、作品の価値と修復代金を量りにかける気持ちもわからないでもないが、自分の持っているものを、いたずらに市場価値のみで推し量ることはあまりにも寂しい。モノの価値を見い出す方法はもっと他にもある。まずは、もういちど、自分自身の目で、その形を、色を、しっかりと捉え、感じて欲しい。感じた何かに価値を見出して欲しいと思う。そして、それが何故、今あなたの手元にあるのかを考えてみるのも良いだろう。たとえそれがあなたの求めた物ではなかったとしても、そこにある限りは、誰かがその価値を見い出していたということである。その価値を考え、あるいはそれを見い出した人に思いを巡らせるのもよいかもしれない。
私達修復家は人の創造物を修復し、より長く延命させる技術と知識を持っている。しかし、私達の技術を利用するかしないかをきめるのは、所有者であるあなた以外には誰もいない。二束三文で売却するも、破棄するも、放置して朽ち果てるのを待つのも、すべての決定権利は所有者にあり、管理者であるあなたにある。そして、たった一握りの人間の価値判断によって、そこでは量ることのできなかった何か大切なものが失われるとすれば、それはとても悲しいことだと思う。

世界的な経済危機が騒がれている今、すでに貴重な文化財の多くが存亡の岐路に立たされているのだろうか。どうか、忘れないで欲しい。失った物は二度と戻らないということを。