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文化・芸術

2025年6月 9日 (月)

チェザーレ・ブランディと柳宗悦 ー ふたりの創造者 ー

美術評論家、チェザーレ・ブランディが『修復の理論』の中で記している『弱音器』という概念は、汚染や変質、変色(古色、古色化)といった、多くの人にとってはたぶん忌み嫌われるか、捨てるもの、取り除いて当たり前と思われていたであろうものに歴史的価値とある芸術性(拭い取るべきでない効果、そこにあるべき効果)を見出したという意味において、そして民藝運動の創始者と言われる柳宗悦は、日々の生活ではその芸術性など誰もが考えもしない、日常に(民間で)使用する雑器や道具に高い関心を寄せ、名も無き者がつくるものに芸術性を見出し『民藝』という概念をつくりだしたという意味においてとても興味深い。両者はそれぞれに文化も言語も仕事も違い、何もかもが異質でありながら、私には両者の概念がどこか重なって見えてくる。

ブランディの言う『弱音器』(=古色、古色化した材料、素材)という概念は、その実態である何かの汚染や劣化の果ての変質や変色の全てをそう呼んでいたわけではないと私は考える。絵画の修復においては、芸術性(ブランディの『修復の理論』/翻訳には美術性と書かれているが、芸術性と言い換えても差し支えないだろう)を第一にしなければならないといっているから、例えば一枚の絵画上のそれは少なからず芸術性に寄与していることが望まれるだろうし、鑑賞の弊害などとなってはならないものだろう。一方では、その『弱音器』に価値があるかないか(私たちの修復現場ではそれを残すか、取り除くか)という個々のケースにおける判断理由や基準を決めることも難しい。どんなにその科学的な分析をしようとも、得られるデーターは物質の成分、性質、現状といった有様を説明するだけであるから、それを残すべきか残さざるべきかといった判断材料、エビデンスともならないし、ましてやそれを『弱音器』などと称してしまうことは、ブランディ自身が同著書の中で言っているように、意識における新たな再創造(=私は現在の鑑賞者、所有者、管理者による解釈、意味付けと理解している)によってでしか決定することはできず、その『弱音器』とは、まさにブランディこそが、彼の意識における再創造によって認識された『弱音器』なのではないかと思うのだ。

東京の駒場にある日本民藝館は、柳宗悦が生涯に蒐集した選りすぐりの什器、工芸品などが展示されている。その姿形の美しいものも数々あるけれど、ちょっとばかりユニークであったり、少々突飛にも思える様なコレクションを眺めていると、彼の独特の美的世界を窺うようで、これこそが柳自身の見出した『民藝』であると私を説得してくる。最近の研究においては、彼自身、後に広まる何でもありの民藝(手作りの工芸品ならば全て民藝という様な考え方)を望んではいなかったようで、一つの工房で日々何百と作られる雑器の中に、稀に、あるいは偶然に出来上がった柳の目にかなう逸品をして、高い芸術性を見出していた様だ。柳と共に民芸運動に参加した陶芸家の濱田庄司は『民藝は柳の食い滓(カス)だ。いいところは見た瞬間、全部柳が持っていっている。その滓を皆が民藝だと思って騒いでいるのだ』といったそうであるが、濱田は『民藝』という概念も彼の意識における再創造によって認識された『民藝』でしかないことを証言しているようである。

ブランディも柳も、美術評論家(ブランディは歴史家、柳は宗教哲学者としても紹介される)として紹介されていることも興味深いが、彼らはお互いに物事をとても主観的に見ていた様に思う。ブランディに関していうならば、イタリア語の、そして彼自身の独特の言い回しからなのか、科学的には劣化した状態、変質による古色=悪化をして『弱音器』と表すなどいかにも情緒的であるし、独特の物事の捉え方、センスがうかがわれ、また私の中で柳のそれとダブって見える。『修復の理論』中で、『芸術作品が他のものと比べて特異なのは、その物理的実体や歴史性にあるのではなく、その芸術性にある』(一部省略)と記していることを見ても、科学的には説明し難い(多義的でつかみ所のない)イメージ(現在の再創造を含んだもの)こそを大切に考えていたものと思われる。

柳は自著『見ること』、『知ること』というエッセイの中で、美への認識は直感が大切であるとし、『美への問題は見ることから知ることへと進むべきだ』と言ってる。さらに『見る力とは生まれてくるものであって、人為的に作ることができない』とまで言っているのはとても興味深い。ブランディも柳も、お互いに独自の芸術感覚、審美眼、直感?を持っていた。そう信じていたものと思われ、そんな彼らが創り出した『弱音器』であり『民藝』である

二人はお互いに、いま目の前にあるものから新たなものを創造(再創造)した。そういう意味において、私には似た者同士に見えてくるのだ。

 

参考:『民藝の擁護』松井健

   『修復の理論』チェーザレ・ブランディ

 

2025年5月11日 (日)

芸術はエクリチュール

ヨーロッパにおいては、古くから話し言葉こそが発話者の真理により近いものとされ、書かれた言葉はその発話者の真理に遠く、話し言葉より劣るものとされてきた。話し言葉をフランス語でエクリチュール(écriture)といい、話し言葉をパロール(parole)という。

パロールは個人の表現として発話者が支配し、コントロール下に置かれる。それはより直接的で、たとえ聞き手がその言葉を誤認、誤解したとしても、正したり修正することが可能であり、より真理を伝えることができる(誤解されにくい)から優勢であり、一方のエクリチュールは書いたものが発話者(筆者)の元を離れ、あちこちを転々として、後に様々な解釈がされ、間接的で誤解もされる。だから真理から遠く離れてしまうため、より劣っているというのが伝統的な考え方であるが、ポスト構造主義の代表的哲学者の一人とされるジャック・デリダは、この二項対立の関係性に注目をし、パロールこそ真理の直接的な表現であり、優位性があるとすることを批判し、エクリチュールの役割に注視した。

デリダはエクリチュールの作者の意図を追求することをいったんやめて、書かれた言葉の作者の存在や意図にとらわれずに、なおその言葉を簡単に否定することなく、言葉自体に敬意を払うように真摯に向き合い、その自律性を尊重し、書き言葉が多様な解釈を生み出す可能性(例えば自発的な生命力のようなモノ)がある優れたものとして捉えてゆく価値あるものと考えた。それは誤読や誤認、誤解は悪であるという価値判断をいったん棚上げにして、パロールが正。エクリチュールが誤といった二項対立から距離を置いて、絶対的な何か(正誤、優劣といった答え、価値)をつくり出すのではなく、物事を柔軟に捉え、考える(考え直す)試みである。
今日もなお、私たちの周りには、白黒、正誤、優劣といった二項対立の世界が依然として、厳然としてあり、多くの人々がそこにとらわれ、決めたがり、決着をつけることから逃れられず、執着さえする。そしていったんその決着がつくと安堵してしまい、まるで引きこもりにでもなったかのように思考することをやめてしまう。例えていうならば、テレビのクイズ番組。どれだけ『答え』を知っているかで優劣がつけられる世界。でも、『正解』が出ればおしまいである。これは私たち修復家のような専門家の世界の中でも、同様のことが言えないだろうか。
デリダの言葉は硬直したり停止してしまった私たちの思考を刺激し、今一度思考しろ。その先に向かえと、未来へ一歩踏み出すための勇気や足がかりを与えてくれるように思える。

私は今、ポストモダン(ポスト構造主義)と呼ばれる哲学を学びながら、私が日々対峙する芸術作品や大好きな音楽、そして私が生業としている広く文化財の保存修復について思考をめぐらせている。
数百年前に描かれた絵画作品が目の前にある。この絵画の画家、製作者は話すわけじゃなく描いたのだけれど 、ある表現(話し言葉)の発話者自身であり、その制作意図、真理を持つ者であるが今はもう現存しない。かつて芸術家が存命の間は、自身の描画表現の意図や真理を他者に伝えることもでき、鑑賞者が誤解、誤認すれば、それを正すこともできたと考えると、画家、広く芸術家はパロール(発話者)と言えるのではないかと思う。 そして、芸術家がその意図や真理を描いた一枚の絵画、芸術作品(描かれた絵、表現された物)は、その製作後に製作者の元を離れ、他者の間を転々とし、様々な人々によって鑑賞されながら製作者の意図から外れ、離れて、様々な理解や解釈が与えられてゆく可能性があるという意味において、エクリチュールに置き換えることができるだろうと思うのだ。
かのレンブラント・ファン・レインの『夜警』(『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民隊』/ De compagnie van kapitein Frans Banning Cocq en luitenant Willem van Ruytenburgh)という作品は夜の場面を描いたものではないが、後日塗布されたニスが褐色化し、全体の印象が夜を表している様に見えるようになったことから『夜警』と呼ばれ、現在でも多くの人がそう認識している。これは経年による変化により人々に与えた印象が変化したとも考えられるけれど、誤解とわかった現在でもなお、多くの人々に『夜景』(オランダ語:De Nachtwacht=美術館自体がそう紹介をしている)として親しまれている。現在も偉大な作品として紹介される絵画の中には、作品の製作当初、画家の存命中にはヘタクソであるとか、キワモノとして認識されても、高い評価などされることなく、死後しばらくして高い評価を与えられるようになった作品も多い。芸術作品は解釈や理解が時を経て遅れてやってくることもある。
誰かの描いた一枚の絵画が製作されたあと、時間の流れや社会の変化の中で、ときには数奇な運命に出会い、書かれた言葉と同じように、その意味、解釈が変えられていった、加えられていった例は、探し出せばきっといくらでもあるだろう。
古典的な絵画の中には、神の教えや故事にちなんだ世界を表そうとした物語性の高い作品もあるが、そんな絵画でさえも、その意図や真理から離れて絵画自体を芸術作品として鑑賞することができる。そうして鑑賞をすれば、そこから得られる印象、感想はまた様々になるだろう。日本ではかつて信仰の対象、象徴であった仏像や殺戮の武器であった日本刀が、美術品として高く評価されている。これもまた、象徴や道具から美術品としての価値が見出されたものとして、解釈の変化が生じ、存在意味さえも大きく変えたものとしての一例となろう。そして、それを間違っているとか誤りであると言う人もきっと少なかろう。

こうして芸術作品を観て、考えてゆくと、それは書かれた言葉と同じかそれ以上に、芸術(広く人の創造物と言っていいか)はいつの時代も私たちに新たな解釈をさせ、様々な意味を想起させる。そんな余地を持ち、変化の可能性を秘めたエクリチュールとは言えまいか。そんな可能性を秘めているからこそ、私たち人類にとってとても大きな価値があり、貴重な芸術作品なのであろう。だから、きっと未来の人々に伝える価値があるのだろう。そんな芸術品を後世に長く残すことが求められる修復という仕事なのであろう。

 

ジャック・デリダ

<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80>

 

2025年5月 8日 (木)

芸術と音楽が開いてくれるどこでもドア

私の小学校の時分の書道の時間。学校の先生は『墨は硯に垂直にあて、直角にすりおろしていかなければならない。筆も垂直に立てて!心が曲がっているから筆も墨も字も曲がる!』とおっしゃっていた。それからしばらくして大人になって社会に出て、プロの書家や名僧の揮毫の場に立ち会うと、墨なんか斜めにすっている。聞けば『斜めにすったほうが表面積が大きくなって早くすれる』と、著名な書家が物理的な利点を教えてくれる。『筆の持ち方も自由自在に持つことでいろんな線が描けるよ』と一瞬間をおくと一気呵成に書いた文字は縦からも横からも読めない。(先生の言ってたことと違うし、一体何を書いているんだろう?
苦手だった音楽の時間。綺麗な声で歌いなさい。怒鳴らない。音に、リズムに合わせて!と強制される。その後、高校生の時だったか、初めて聞いたジャズのレコード。確かジョン・コルトレーンの初リーダーアルバムだったか、 コード(和音)からまるで綱渡りのように付きつ離れつのスリリングな面白さ、少々ハズレたような音もパワフルで素敵に聞こえる。さらにフリージャズという無茶振りに驚愕。(ちょっと調子の狂った音も、うねるようなリズムもいいじゃないか!)

私が子供の時分は、学校における学習のすべては、課外学習、書道のような体験学習も含めて、皆同じように『学習』することが望まれていたように思う。いいや、確かにそう思わされていたように思う。絵画の正しい鑑賞の仕方とか、文字の正しい書き方とか、そこにあるとされた意味や答えを求めようとするものの見方。正しい答えがあるという考えのもとに行われる学習である。まあ、書道の授業なんていうのは、精神修行的な側面を重んじていたのかもしれないけれど、でも結局お手本を上手に真似て揮毫した人が褒められるのだ。
芸術や音楽は今見えている、知っている、実はそう思っているだけかもしれない(子供はそれしか知らない)世界を批判したり、外に飛び出そうとする活動であり、そこに大きな意味、価値があるのだと私は思っている。かのデューク・エリントンも『スイングしなけりゃ意味がない』と言っている。スイングとは、もともと揺れると言う意味であるが、まずはしのごの言わないで、その音楽、演奏に身を委ね、演奏者と深くその世界にどっぷりと浸かって、同調、同期することかと思う。

そもそも芸術も音楽も、私たちが今使っている言語やそれまでの約束事やシステムを飛び越えて、この世界からはみ出したものである。そうあってほしいし、そうあるべきだと私は思う。だから、それは時に奇抜で風変わりなものとして捉えられたり、センセーショナルゆえに敬遠され、嫌われたりする。往古の芸術作品、音楽の中には、製作者の死後に評価されたなどということは珍しいことではない。それは今捕らえられている世界から読み解こうとする限り、理解することは難しいのだろう。でも一方では、その奇抜さや風変わりなものが、私たちにはとても新鮮に見えて、聞こえて、センセーショナルだからこそ私たちにとって魅力を感じさせる。そこに社会の約束事やシステムの外側にあるのだろう多様でより豊かな世界を想起、イメージさせてくれるのだ。今持っている答え、約束事、システムが作り、提供してくれた答えを棚上げにして、そこに真摯にこの身を委ねることができれば、いつかそのありかを教えてくれるかもしれない芸術や音楽なのだと思う。

2025年5月 6日 (火)

マトリックスという構造

この連休にキアヌ・リーブス主演の映画、マトリックスのシリーズ全4作品をぶっ続けで観た。遥か未来の話、人類が作り出したコンピューターは、何度も懲りずにひどい争いをしたり、環境を破壊し続ける人間はこの世界にとって価値はなく、コンピューターの動力である電源、つまり『電池』として利用するほか意味はないとして、人間を人口保育器のようなものに入れてたくさん繋ぎ、『電池』として生涯を安らかに生きてゆけるよう、彼らの意識はコンピューターによって作られた高度なプログラム、『マトリックス』と呼ばれるバーチャルな架空世界の中で、それなりに平和に不自由なく楽しく生活をさせているという世界の話。しかし、この世界に違和感を感じる者がチョロチョロと出てくる。その一人が、やがて人類を解放する救世主となる『ネオ』と呼ばれる天才ハッカー、主人公のキアヌ・リーブス。

言語学者のフェルディナンド・ソシュールは、人はこの世に生まれた瞬間からその社会、世界にある言葉の網にとらわれてしまい、そこから逃れることができなくなると言った。人類学者のレヴィー・ストロースはまた、人は社会の見えない構造に囚われており、自ら自由と思っている言動さえ、その構造に中にしかありえないと言った。私たちはこの社会の中で、従順に、平和に暮らせるよう、幼い頃から学校の教育プログラム下に置かれ、教えられ、躾けられてゆく、、、。
どうだろう。私たちの世界、マトリックスの世界とそっくりじゃないか。でも、この私たちの世界にも違和感を感じ、そこから飛び出そうとする『ネオ』たちがいるのだ。実は、あなたも『ネオ』になれる可能性がある。そのために、まず私たちの世界をもう一度、よく見直してみよう。どこかにここから飛び出し、抜け出る隙間や穴があるかもしれない。もしかしたら、それはウサギの穴。そう、不思議の国かもしれないけれど、、、。

2025年5月 3日 (土)

スーツの着方、絵画の鑑賞方

アメリカのウォール街あたりで、サラリーマン、証券マンがネクタイをしなくなり、スーツにスニーカーを履き始めたのが発端だという人がいるようであるが、最近、日本でもスーツにネクタイをしない人が増えてきた。ひと昔前の日本のサラリーマンといえば、ダークな色か濁ったような色のスーツに地味なネクタイ、黒い革靴というのが定番であったと思う。靴はとにかく黒が常識。茶色なんて以ての外なんて感じで、今でも新入社員なんかにはそんな『定番』の格好をしている人がいるだろうか。景気が悪くなって、電力節約のために『クールビズ』なんて造語ができて、ネクタイするのはやめましょう。夏はジャケットを脱ぎましょう。しまいにはポロシャツもOKなんて会社も出てきた。
スーツの素材も随分変わってきて、スポーツウエアなどに利用されている伸縮自在な布で作られるものも出てきたし、足元なんてスニーカー常用なんて人も結構多くなってきた。昔は紺色のスーツにに茶色の靴なんて御法度っていうくらい合わせなかったのが、今では紺色のスーツには茶色の靴がベターなんて言われる。

私は自営の事業主なので、若い頃から結構自由にさせてもらっている。まあ、取り扱っているものが芸術作品だったりするので、少しは個性的でもいいと思っているし、それなりにファッショナブルであるべきだという考えがある。
私の取り扱う美術品も歴史資料も、ほとんど数百年の歳月を得ており、およそ綺麗なものはない。綺麗と美しいは混同してはいけないと考えているが、工房に持ち込まれる作品や資料は甚だ汚れており、経年で変色し、大抵は濁ったような感じになっている。
こんな日々の仕事のせいだろうか、趣味のロードバイクに乗るときには結構な原色のジャージを着る。鮮やかで澄んだ色を身に纏うと、何かこう気分が上がるのだ。派手な色は視認性も良いので、事故予防にもなって一石二鳥である。
綺麗という感覚も人それぞれかと思うけれど、私は普段の生活でも、仕事で顧客を訪問するときにも、どこかに綺麗な色、好きな色のものを身につけるようにしている。『定番』に慣れ親しんだ人々から見れば、少々違和感を感じるような装いもあるかもしれないが、私は『定番』とか『常識』なんて狭い世界の中の決め事ことだと思っているから、カッコよければ全てよし。できる限り自由にさせてもらっている。

さて、話は変わって美術館。ずっと中へ入ってゆこう。あなたがお目当の作品でも良い。なんだかさっぱりわからない抽象作品ならなお結構である。あなたはきっと、その傍らにそっと貼られた解説、研究者、学芸員が心血注いで、言葉を選りすぐり記した説明に目をやるだろう。
美術館にゆくと、たいてい多くの人々がこの解説を読むのに時間をかけている。中には実際の絵画を前に展覧会のカタログを見ている人もる。そして彼らは、その絵をさっと眺めてはまた次の作品の前の解説を読んでいる。実にもったいない。
もう少し立ち止まって、よく絵画を観てみよう。当たり前だろうとお叱りを受けるかも知れないが、隅から隅まで目を凝らしても、その解説は絵の中に見当たらない。また当たり前。絵画は文章表現ではない。あなたは解説を読んでその絵画が分かったと、理解したと考えている。それこそがもったいないのである。
解説を読んでも良いから、そのあとは自分自身の目で、ゆっくりと、くまなく絵画を見よう。そうしていると色々なものが見えてくるはず。描線一つにとっても、細かったり太かったり、先がかすれていたり、勢いがあったり、穏やかであったり。色彩はどうだろう。目に飛び込む鮮やかな色。落ち着いた色。いくつかの色は重なり、混じりあう。今度は少し離れて、全体を俯瞰するように眺めてみよう。今目にした描線と色彩が協調した一枚の作品が見えて来る。あなたはこの間にどんな印象を浮かべただろうか。その印象はあなたの中でどんな言葉を紡いだろう。あるいは言葉にならぬような、例えばサラサラとかビューンッといったようなオノマトペでも良い。あなたの心象に浮かんだ言葉や、音を聴きいてみよう。そこにあなたの貴重な体験、鑑賞結果がある。せっかく読んだ解説だから、その解説と、あなたの心象に浮かんだ言葉、文章はどれだけ近しいいのか、それとももっと違うものとなったか考えてみるのも良いけれど、『解説』はあくまで解説者の言葉。あなたが今鑑賞によって得た言葉、文章とどちらが正しく、どちらかが間違っているかなど大した問題ではないし、そこに優劣もありません。何故ならば、一枚の絵画にはそうした自由な鑑賞が許されているのだから。そうしちゃいけないなんて、その絵画のどこにも書いてはいませんから。

『解説』は『定番』とか『常識』のようなものだと言ったら、その解説を一生懸命に書いた方にまた怒られるかも知れないけれど、『定番』とか『常識』の外にも鑑賞の価値は潜んでいます。その価値を見つけるのも鑑賞ですから。
ゴールデンウィーク真っ只中です。どこもかしこも混んでるかも知れないけれど、よかったら美術館に足を運んで『鑑賞』を楽しんでみてください。あちこちで素敵な展覧会が催されています。

2024年11月29日 (金)

人の観たもの創るモノ

人の観たものは、それがたとえ全く同じものであったとしても、それを観た人の数だけ、微妙に、ときに大きく肉付け、変容され、異なるモノと変化されてしまう。人がものを観るという行為は、単純に何かを肉眼で捉えるのではなく、捉えた映像、画像をおよそ無意識のうちに脳、精神のフィルター にかけているのだ。私たちは常に目にしたものを体内(脳内)で分析、処理、 変換しており、それをして観たと解釈をし、納得している。人は見たものや聞いたもの、経験したことの全てを、そのままにしておくことはできないのかもしれない、、、。

きっと今でも、多くの人が確かにこの世界を映し出すと思っていたであろうカメラも、レンズの性能や写真プリントを作成するために必要なフィルム、印画紙の特性によって、また 現像者の能力や意図によっていくらでも画像、画質が変わってしまう。今やおよそのスタンダードとなったデジタルカメラやスマートフォン付属のカメラは、採取した光の情報、映像を瞬時に1 0の信号に変えてしまう。この10のデジタル信号は、一見して正確無比で、人の意思が介在していないと思われるかもしれないが、カメラやスマートフォンの中では、各メーカーのプログラムによって採取した情報が処理され、できあがる画像はアレンジされ、スマートフォンなどで撮った画像は結構な味付けが施さている(だからあんな小さなレンズで撮った画像もきれいに写ったように見える=見せている) こうやって観てゆくと、確かにこの世界を写したり、捉えることなんて出来るのだろうかと思えてくる。私たちの世界は、人の頭脳、精神の産物、その創造物であふれている

わたしは絵画や芸術作品を見るのが好きである。その対象は洋の東西を問わず、古典的な具 象画から、色鮮やかな印象派の作品、子供のいたずら書きか、ちょっと歪んだようなピカソの作品、ひたすら絵の具を垂らしまくったポロックの抽象的作品も、はては最近のインスタレーションのようなモノも含めて、自由で闊達な芸術の世界に触れること、対峙することが楽しい。なんと豊かで多様な世界だろうかと思う。
抽象などと呼ばれる作品をを見ると、なんだかわからないと敬遠する人がいるけれど、それも同じ人間の創造物。そんな解りにくい、解らないと思われるようなものこそ、複雑 でちょっと奇妙でさえある人の頭脳、精神が色濃く反映しているのではないだろうか。だから芸術の世界はとてもおもしろいのだと思う。

2024年5月 9日 (木)

芸術は未来のヒント

フェルディナンド=ソシュールという言語学者は『人は生まれた時から言葉の網にとらわれる』といい、文化人類学者のレヴィ=ストロースは『人は生まれながらにして社会の見えない構造にとらわれている』といった。ある精神科医によれば、このことを教育し、躾ける機関の最たるのが学校であるという。日本で言うならば、ほとんどの人が幼稚園から中学校まで、およそ10年以上にわたって、この言葉や社会の構造にうまくハマるように教育され、躾けられるのである。
こんな話を聞くと、私たちには自由な意志があるじゃあないかと思う人もいるだろう。けれども偉大なる先人が唱えた構造主義哲学の立場から見れば、私たちは皆、牢獄のような閉じられた中にいて、この意志さえも、言語や社会のあり方に左右されてしまうのだ。

でも、しかしだ。脳科学者によれば、私たちの脳の中には、あまり使われていないような領域があって、そこは未知数のようだ。もしかして、この脳の一部分に、例えば学校での教育も歯が立たず、躾けることさえ手強い何かが残ってはいまいか。

私は長く絵画をはじめとした芸術作品の修復を生業としているが、いうまでもなく、絵画の中には言葉はない(ある物語をテーマにした作品はあるが)。往古の作品の中にも不思議なものや奇妙なものはあるが、とくに現代絵画の中には、理解することさえ拒絶されるような、対峙する私たちを困惑させる作品も少なくない。そして、きっとそんな芸術作品の創造者たちの頭脳の中に、いまだこの世界にとらわれていない、躾けられていない独自の、原始的とも言えるような思考世界が維持されていて、その思考があるからこそ、独自の作品を創造することができるのだと私は踏んでいる。それはまさに、今までこの世界になかったものを作り出す源であり、これまで見たことも聞いたこともない世界だからこそ、筆舌に尽くし難い何かをたたえ、私たちの想像を超えて、驚きや不安、不思議な感覚を覚えさせてくれるのだと思う。
芸術がわからない、理解できいないという人がいる。それは私たちの多く、いやほとんどの人がこの言葉にとらわれ、この社会の虜となっているからなのだろう。だから、その外側にあるモノはわかりにくいのだ。おそらく、人間の芸術活動こそがこの言葉の網を破り、現代社会の構造を飛び出して、未来へ向かうきっかけや手がかりとなるのではないだろうか。そこにこそ未来のヒントがあるに違いない。だから、私たち人類にとって掛け替えのない芸術活動なのだと思う今日この頃である。

私の中にも躾けられていない思考が残っているだろうか。

 

2024年3月27日 (水)

柳宗悦の審美眼の行方

思想家の柳宗悦は、日常で使用する什器に美しさを見いだし、製作する職人の手仕事に高い価値を見出した人物である。彼はのちに、陶芸家の富本憲吉、濱田庄司、河井寛次郎らとともに 庶民の暮らしの中から生まれた美の世界(柳が見出した美の世界)を紹介する活動を始め、以後共鳴者を増やしながら、それはやがて民藝運動へとつながってゆく。

柳は民藝運動の祖とされており、彼らの運動によって、様々な地域で生産される食器や家具、衣服(織物)、道具が広く知られるようになり、その価値も、生産者(職人)も高く評価されるようになったが、最近の研究によると、柳はこの運動によって波及する民藝趣味やその大衆化を望んでいたのではなかったようだ。

目黒区の駒場にある日本民藝館は、柳らが見出し、創り出した『民藝』という美の概念を広く社会に紹介するために、その本拠地として建てられた施設であり、私も何度か足を運んだことがある。日本民藝館はその建物自体もとても素晴らしいもので、隅々に伝統的な日本家屋の工法の髄を極めた作りにも魅了される。中に入れば、柳が日本各地、諸外国から集めてきた工芸品が展示されていて、それはどれも皆、柳の審美眼による選りすぐりのものばかりで、その中にはかなり個性的で、一風変わったものも展示されている。
民藝館を訪れると良くわかるような気がするのだが、彼が言うところの『民藝』とは、毎日手仕事により作られる数多の什器の中から『希に』『たまたま』生まれ出てくる『希少な』『選りすぐりな』一品を指して民藝の素晴らしさを謳ったのであり、その土壌や生産者の可能性をも評価はしてはいたのだろうけれど、彼の審美眼が捉えるもの以外は、その対象とは考えていなかった(興味もなかったろう)ようだ。
柳の創造した美の世界は、広く大衆に紹介される途中で、いつか自分の意図していない方向へと変化しながら拡散して、気がつけば何でもありの大雑把な民藝となってしまったようである。竹中均さんの著書によれば、『柳本来の意図とは異なった 民藝趣味 民藝の大衆化 下手物のアウラ化 が起こった』とある。

今日も柳宗悦は民藝運動の祖と呼んで誤りはないと思うけれど、民藝運動とは、実は彼の経験に基づく審美眼、美意識を追求し、構築するための作業であり、それを熟成、成就させるための運動であったよううに思う。それは人の創り出した物への新たな発見、それまで存在しなかった価値観の創造でもあるのだろう。でも、考え方次第では、たとえ柳が不本意であったとしても、彼が思わぬ形になったとしても、柳の運動を契機に、大衆から新たな美意識や審美眼が、価値観の創造がなされたと見ることもできるだろう。そういった民藝運動でもあったのだろうと私は思う。

私たちが今対峙している美術品も、いつかきっと誰かの審美眼に、新しい価値観に捉えられ、新たな存在意味をもたらされるのだろう。

 

日本民藝館<https://mingeikan.or.jp>

竹中均著:柳宗悦・民藝・社会論 ーカルチェラル・スタディーズの試みー

 

2024年3月 8日 (金)

絵画の一期一会

ジャズという音楽ジャンルに新しい道を切り開いたエリック・ドルフィーは、『音楽というのは演奏を始めた瞬間から大気の中に消えていってしまい、私たちは二度とそれを取り戻すことはできない』と言った。
短い曲でもいい。長い曲であるならばなお、演奏者のその時の体のコンディションや精神のあり方次第で演奏も変わるだろう。私も若かりし頃、好きなアーチストのコンサート、ライブ会場によく足を運んだが、それはレコードで聴いていたものとは全然違うし、当人のコンディション以外にも、会場の作りとか、集まった客によってもパフォーマンスは変わってくる(聞こえ方が変わる)。生演奏、ライブというのはそういうものかともう。
昨今のデジタル化された音源や映像の中には、往古の貴重なの生演奏を見たり聴くことができるものもあるが、例えその演奏を記録して、再生することがいつでも可能となったとしても、当時の演奏された場所の空気、湿度や温度、はたまた匂いのようなものを残し、再現することは今もできない。その場にいて見たり聞いたりすることと、CDや携帯端末から聴く音は全く違うものだ。そして、それら記録された音だって、聞く場所の環境やオーディオ装置によって変わるし、聞いている人のその時の気分によって、一人で聞いているか、大勢で聞いているか、大好きな人と一緒に聞いているかで聞こえ方は変わるだろう。

初めてアンリ・ルソーの絵画作品を見たときには、描かれた人と建物や動植物背景の大きさもメチャクチャで、まるで子供の塗り絵みたいだなあと思ったものだ。しかし、この仕事をについてしばらくして、パリのオルセー美術館で『蛇使いの女』と対峙した時は、あたかもそこから放たれた妖気のような何かに絡みつかれるように、奥深いジャングルの湿った、生暖かい空気に包まれるような不思議な感覚にとらわれ、この絵画の怪しくも不思議な世界にすっかりと魅了されてしまい、しばらくその場を動くことが出来なくなった。
茶道の席ではよく『一期一会』という言葉が使われる。その時、その場所で、その瞬間だけ得ることのできる感覚や印象、そういった体験は音楽や絵画だけに留まらず、私たちの周りをよく注視すれば、いつでもそんな一瞬と遭遇できるのだろう。
私は体力、健康を維持するために、趣味方々、毎週30~40キロ程度のサイクリングをしているのだけれど、同じコースを走っていると、時間や季節によって体感する温度や湿度、空気の香りも変わって来るのがよくわかる。いつも目にする風景も注意深く見てみると、またなんとなく違って見えて、その印象、気持ちを味わうこともまた楽しい。

いつも見ている一枚の絵画も、明日はまた違って見えるかもしれない。

2023年4月12日 (水)

わたしの原点

最近お気入りの店、千駄木駅の近くにある乃池(のいけ)という寿司屋に久しぶりに行ってきた。結構な歳月を感じさせる古い佇まい、間口の狭い店の一階は、十人も入ればいっぱいかと思う店(二階もあるようだ)であるが、カウンターに座ると、長い年を経てなお木肌の美しい、真っ白に磨かれた付け台に驚き、寿司を握る親方の包丁捌き、手捌きに見惚れてしまい、ついつい箸も止まってしまう、、、。

私の父も、母方の祖父も表具師だった(父は当初この祖父の工房で働いていた)こともあるのだろうが、小さなに頃に住んでいた町の近隣には、様々な手工業に携わる職人の住まいや工房があって、建具屋に箱屋、刷毛屋、塗師屋(【ぬしや】漆を使った塗装を行う店)、畳屋、大工などと、さまざまな職人の技を目の前にする事もできた。
当時、父に連れられてよく行った漆屋では、『かぶれるからあちこち触っちゃいけないよ』と脅され、おっかなびっくりでついて行った。この塗師屋さんでは、それまで嗅いだことのなかった漆と片脳油の匂い立ち込める中、定盤(じょうばん=作業台)の上で素早く練られ、屏風の細い縁に手際よく塗られてゆく、滑らかで艶やかな漆の美しさに、私の目は釘付けになった。余り熱心に見ているものだから、「おい、おまえ俺の弟子にならないか」と言われ、困惑したことを今でもよく覚えている。
それからしばらくして、色々と事情もあったのだけれど、あまり先のことも考えずに、絵画の修復家になろうと、当時独立をしたばかりの父の元で修行を始める決心をした。父が独立をしてからも、ずっとお付き合いをしていた塗師屋の親方は、私が父のもとで修行を始めてしばらくして亡くなられ、一緒に仕事をしていた息子さんが店を継いだが、彼も私が一人前になるかならないかのうちに、若くして亡くなってしまい、訃報を聞いたときはとても寂しい思いをした。

他のどんな仕事であっても、簡単に習得できるもの、楽に稼げる仕事など一つもなかろうが、手に職を持ち、それを生業として生きてゆくことはまた厳しいことである。それが今や、コンピューターテクノロジーが急速に進化したおかげで、様々な物が素早く正確に、大量に作られるようになった。現在では、人が何年もの修行により獲得できるような作業も、高性能な機械、ロボットにいとも簡単に、素早く正確に作られるようになっている。丁寧に、長い時間をかけて、人の手で一つ一つ作る様な商品の需要は減る一方であり、職人という存在も、過去の遺物のように大切には思われても、あるいは希少であることから珍重はされても、広く現代社会の中においては、その存在価値も薄れ、稀有な存在となっているように思う。
あの日、職人の働く姿を見ることがなかったならば、私の人生は大きく変わっていただろう。今ではなかなか目にすることも出来なくなった、様々な職人たちの技を間近に見ることができたことをとても幸せに思っている。親しくしてくれた親方からは、後年、結構な情報と技術のご教授をいただいた。それは全て今の私の血となり肉となっている。

私も修復家を標榜して久しい。職種は違えど、かつて見た職人と同じように手に職を持って経験を積み、自分なりに努めて知識も技術も高めてきたつもりである。今では結構大きな問題を抱えた作品と対峙しても、処方に困ったり、若い頃に感じた恐れや不安のようなものを抱くこともなくなった。業種は違えど、あのとき憧れた職人たちに、私も少しは近づく事ができただろうかなと、ちょっと自信が持てる様にもなった今日この頃である。

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