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携帯・デジカメ

2024年3月27日 (水)

写真はオワコンか

最近の若い人々、通称Z世代を中心に、フィルムカメラが密かなブームになっているようだ。

私は中学生の頃にカメラに夢中になり、安い引き伸ばし機を手に入れて、自らフィルムの現像からモノクロのプリントするまで、写真の基本的な技術を習得した。あの頃、夏休みになると、長い時間暗室に仕立てた風呂場に一人こもり、汗だくになって写真をプリントした。現像液にプリント用紙を漬けると、にわかに自分が写し撮った図像が現れてくるその瞬間に感動を覚えたものである。

最近カメラ店を訪ねてくる人の中には、『綺麗に撮れないカメラはあるか』と訪ねてくる人もいるそうである。どうも言葉に語弊があるようだが、適当に撮っても綺麗に、それなりに良い写真が撮れてしまうスマートフォンの画像に飽きたのか、ピントを合わせるのさえ慣れないと難しいアナログなカメラに、慣れなければうまく撮れないカメラの画像に興味を持ったようだが、どうも、それは私のように写真の伝統的な技法や技術に興味を持ったのとは様子が異なるようだ。
最近の写真屋さんではフィルムカメラで撮った画像をデジタル化してもらえるそうで、Z世代の人達はそれもよく知っていて、撮影したデーターをデジタル化した後のフィルムは廃棄処分してもらう人が多いそうである。撮影した画像はプリントされることもなく、スマートフォンなどのデジタルディバイスに納まり、そこから見ることが出来さえすれば良いようで、あるいは伝統的、すでに古典的といっても良いかもしれない写真、そのモノ(物質)自体はもはや必要とされなくなってしまったのだろう。

今や写真の取り扱い方も随分と変わってきたようだ。私も結構長くコンピューターやデジタルガジェットを使い続けてきた(もはや愛用さえしている)が、デジタル化した画像データは、その管理者や持ち主がいなくなったら、一体どうなってしまうのだろう。いつか宇宙のように広大にになるかもしれないクラウドコンピューターシステムの中に漂い続けるのだろうか。それは今日まではるか100年を超えて残っている写真の寿命を超えるのか。もはやかつての写真技術はオワコンになったのか。Z世代は写真の世界に新風を巻き起こすか。

 

親友である志村正治さんからのメールに寄せて

 

Z世代のフィルムカメラブーム、驚きだらけ ネガは捨てる、オリンパスμだけが欲しい

<https://news.mynavi.jp/article/20240313-2903885/>

2010年12月 7日 (火)

写真の価値とその行方

ちょっと前にカメラ女子なる言葉が流行した。週末、都心などへ出かけると、若い人が首からカメラをぶら下げているのが目につく(結構フィルムカメラも多いのに気づく)。近所の公園には、初老のカップルが、ちょっとした水筒ぐらいの大きさのレンズをつけた自慢の一眼レフカメラ(こちらはデジタル)を抱えて、野鳥の撮影にやってくる。写真、カメラファンは、いまもけっこう多いなあと思う。私も中学生のときにカメラにハマって、撮影のみならず、フィルムの現像からプリントまで全て自分でこなした。現在主流となったデジタルカメラから比べると、プリントができ上がるまでの行程、作業はとても煩雑で大変なばかりだが、手間をかけてでき上がった一枚の写真への思い入れも大きかった。
近頃は、携帯電話で写真を撮る人が多くなっているように思う。撮った写真は、待ち受け画面にもするのだろうが、ほとんどはデーターホルダーにしまいっぱなし、およそプリントすることも無いようだ。曲がりなりにも写真の制作に携わった者ならば、写真はプリントにしなければ、印画紙に焼かなければ写真は完成しないという感覚を持っていることが多いと思う。あるいは、お金をかけてプリントするほどの価値のある写真は撮っていないということなのだろうか。
デジタルカメラには欠かせない、コンピューターや周辺の電子機器の高速な進化は、撮影したデーターを瞬くうちに陳腐化している。フォーマットの進化の行方も定かでなければ、いずれ早いうちにその情報が利用できなくなる可能性も否定できない。データーを保存する媒体も、紙に焼いた従来の写真(およそ100年以上の保存実績がある)を超える保存保証をしている物は無い。デジタル画像のプリントも進化はしているが、やはり従来のフィルム〜印画紙から比べると、その保存性能は足下にも及ばないようだ。
フィルムを使わないカメラはランニングコストを大幅に減少させるメリットがある。撮影した情報をカメラのモニターやパーソナルコンピューターを使ってすぐに確認できるし、失敗を恐れずに、どんどんとシャッターを切ることも出来るのも魅力かもしれないが、そんな容易さもまた、写真の価値を低下させる原因の一つかもしれないと思う。

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◎初めて自分でかったカメラ。

2009年3月 7日 (土)

デジタルデータの宿命

最近、毎朝のメールチェック作業の折りに昔集めたJAZZレコードをよく聞く。暫く聞いていなかったアルバムはけっこう新鮮に聞こえたりする。レコードがCDに変わったのはいつだったろうか。今や音楽はデジタルデータ化して、胸ポケットに入る名刺入れ程の軽くて小さな電子機器に、軽く数千余曲をダウンロードして持ち運び、いつでもどこでも楽しむことが出来る様になった。気がつけば、この世の中にあるおよそすべて物事がと言ってもよいほど、音楽に限らず、ありとあらゆる情報がデジタル化され、文化財保存の世界でも応用されている。
いまや、膨大な情報がインターネットを通じて、世界中の津々浦々に流れ、渦巻き、すでにウエッブ上でかわされる電子メールの数は、なんと一日あたり310億通(2004年7月当時の記録)と想像をはるかに超える。デジタル化されたデータのメリットは検索、製作、配布、複製と、汎用性があり、利便性が高く、近年は、主要な研究機関や図書館などで管理される貴重書、文章記録をはじめとして、多くの文化遺産とその情報がデジタル化されている。しかし、こんなに素晴らしいデジタル情報も、それに匹敵するデメリットがり、やはり完璧な物ではないことを覚えておく必要がある。
ダジタルデーターもアナログデーターと同じ様に記録し、音源や文字、画像などの情報を保管をする必要があるが、この情報の保存容器、収納庫に問題がある。コンピューターのハードディスクも、移動可能な記憶媒体としてのフロッピーディスク(もう誰も使わなくなった?)、MO、CD、DVD、も、それぞれに物理的な耐用年数に限りがあり、その年数も思いのほか短い(利用、管理の方法によってはさらに短くなる)。さらに情報をつくり、あるいは読み込む電子器機、コンピューターが日進月歩で進化、変化(これは記録媒体も同じ)しており、これも情報の保存を危険にさらす。ハードウエアーが進化するたび、フォーマットやソフトウエアも進化し、このたびにデータの更新作業が必要になったり、放っておけばそれは陳腐化するばかり。いつか利用することもかなわなくなる。少ない情報ならばこれも容易かろうが、いったいいつまでイタチごっこをすれば良いのやら、、、。そんなデジタルデーターなのである。

修復家は預かった資料や作品の写真記録を撮ることを習慣的に行なっている。私も年間2000〜3000カットの撮影を行なうが、最近は、顧客の要望もあってデジタルカメラを利用することも多くなった。デジタルカメラは撮影した画像をその場ですぐに確認できるから取り残しや取り損ねがなくなってよいし、ランニングコストも安く済む。画像の管理もことのほか楽で場所ももちろん取らない。
しかし、良いことばかりのこの一方で、すでに100年余の保管性能を実証しているフィルム写真に比べて、便利ではあるが、フィルムも、プリントも残らない写真には、どこか頼りないデジタル写真と思う。