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パソコン・インターネット

2010年12月 7日 (火)

写真の価値とその行方

ちょっと前にカメラ女子なる言葉が流行した。週末、都心などへ出かけると、若い人が首からカメラをぶら下げているのが目につく(結構フィルムカメラも多いのに気づく)。近所の公園には、初老のカップルが、ちょっとした水筒ぐらいの大きさのレンズをつけた自慢の一眼レフカメラ(こちらはデジタル)を抱えて、野鳥の撮影にやってくる。写真、カメラファンは、いまもけっこう多いなあと思う。私も中学生のときにカメラにハマって、撮影のみならず、フィルムの現像からプリントまで全て自分でこなした。現在主流となったデジタルカメラから比べると、プリントができ上がるまでの行程、作業はとても煩雑で大変なばかりだが、手間をかけてでき上がった一枚の写真への思い入れも大きかった。
近頃は、携帯電話で写真を撮る人が多くなっているように思う。撮った写真は、待ち受け画面にもするのだろうが、ほとんどはデーターホルダーにしまいっぱなし、およそプリントすることも無いようだ。曲がりなりにも写真の制作に携わった者ならば、写真はプリントにしなければ、印画紙に焼かなければ写真は完成しないという感覚を持っていることが多いと思う。あるいは、お金をかけてプリントするほどの価値のある写真は撮っていないということなのだろうか。
デジタルカメラには欠かせない、コンピューターや周辺の電子機器の高速な進化は、撮影したデーターを瞬くうちに陳腐化している。フォーマットの進化の行方も定かでなければ、いずれ早いうちにその情報が利用できなくなる可能性も否定できない。データーを保存する媒体も、紙に焼いた従来の写真(およそ100年以上の保存実績がある)を超える保存保証をしている物は無い。デジタル画像のプリントも進化はしているが、やはり従来のフィルム〜印画紙から比べると、その保存性能は足下にも及ばないようだ。
フィルムを使わないカメラはランニングコストを大幅に減少させるメリットがある。撮影した情報をカメラのモニターやパーソナルコンピューターを使ってすぐに確認できるし、失敗を恐れずに、どんどんとシャッターを切ることも出来るのも魅力かもしれないが、そんな容易さもまた、写真の価値を低下させる原因の一つかもしれないと思う。

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◎初めて自分でかったカメラ。

2010年6月 4日 (金)

It makes visible!

20世紀を代表するスイスの画家(美術理論家)、パウル・クレーは、『芸術とは、ただ見えるものを描くのではない。それは目に見えるようにすることだ』と言ったそうだ。描くことが始まった遥か太古の時代には、薄暗い洞窟の岩影に、草原を走るライオンや鹿のシルエットを見いだし、それをなぞり、色をつけた。暗闇の中に入った時に、目をつぶった時に見える光の残像を止めようと、その軌跡の記憶を辿り、線を刻んだ。そして、そんな表現を叶えてくれる自らの手に顔料を塗り、子供のいたずらよろしくぺたぺたと岩壁に手の痕を記した。写真技術が生まれる前までは、たぶん、この世界の確かな記録手段として絵画技術は発達した。
私たち人間の頭脳のすばらしさは、実際にこの世には存在しない、どれだけ言葉を尽くしても語ることの出来ない、そんなイメージが浮かび上がる、想起されるということなのだと私は思う。いつか絵画の主題も、自然から人へ、人から神へ、そして、夢や幻想のように、実際には形のない世界、現実には目にする事の出来ない世界を創造、表現してきた。もともと描くということ自体、自然界からは逸脱した行為で、人にしかできない事。あるいは絵画こそ、この世界を超越するための最初の技術のひとつであったのかもしれない。そして、それは同時に、今日の私たちの生活に欠かすことの出来なくなりつつあるコンピュータと同じように、人々の経験と記憶を体のなかから取り出し、確かに記録する装置としても、大きな役目を果たしてきたように思う。

2010年6月 1日 (火)

かたちのない本

小説や雑誌、論文、国や地方自治体で作られる公文書、毎日印刷される新聞は、スポーツ紙や地方紙まで加えると、その数は膨大になる。もし、これらを書かれた物をそのまま、印刷物を丸ごと、数十年、いや、数百年にわたって保管するとしたら、どれだけ大きな書庫があっても間に合いはしないだろう。こうした事情を考慮してか、文字記録、印刷物の保管には、そこにある情報にアクセスできれば良いとして、他の記録媒体に情報を移し替え、かさばる物自体は捨ててしまうといった考え方がけっこう古くからある。アメリカでは1930年代、情報の縮小化による保管の有効性と利便性に注目して、図書館におけるマイクロフィルムの導入がはじまっている。そして、昨今では爆発的な技術開発のもと、世界中で文字情報をデジタル化する動きが加速していて、インターネットにアクセスできるコンピューターと語学力さえあれば、自宅でビールでも飲んでくつろぎながら、遠くはなれた国の図書館にある本を読むことも可能になってきた。
先日、アップル社製のiPadが日本でも発売された。この端末は、iPodをはじめとする携帯音楽プレイヤーがインターネットサーバー上にある音楽をダウンロードして、いつでもどこでも音楽を楽しめるように、ダウンロードした書籍の情報を、液晶モニターに映し出して読むことが出来る。指先でモニターに触れ、本物の本のページをめくるようにすると次のページに画面がが切り替わるイメージは秀逸で、いかにもアップル社の製品らしい遊び心を感じる。
文字、図像、音声、映像、音楽、、、。いまやあらゆる物がどんどん電子信号として置き換えられている。コンピューター、デジタルテクノロジーの発展は、様々な分野で大きな進化と利便性をもたらす一方で、今まで目に見えていた、手に触れる事のできた物の価値を、その姿や形の価値を確かに変化させている様に思う。

2010年5月19日 (水)

『修復家の集い』

10年ほど前のある夜、今もずっと親しくお付き合いさせていただいている京都、和蘭画房の志村正治さんのお宅に集まり、一台のApple社製コンピューターを囲んで、インターネットの未来について、みんなで喧々諤々話し合った。当時、既に私はコンピューターを多少はいじってはいたが、インタネーットについての知識はもちろんのこと、ましてやホームページ、インターネットサイトの作り方など、全く知らない初心者だった。このときのメンバーの中には、コンピューターを所有しない者も少なくはなくて、これから体験する未知の世界への不安や期待に、きっと皆が心動かされていただろう。
後に大切な友人となり、多くを教えてくれた修復家の尾立和則さんがはじめた、情報の公開と伝達、修復家同士の交流の場をつくるというコンセプト、志を支持して、インターネット版『修復家の集い』をはじめたのは、確か1999年の初頭。和蘭画房を中心に、数人のメンバーそれぞれに契約するサーバー上にページを分担してつくり、リンクを張って一つのサイトを完成させた。あのときの感動は今も忘れない。
開設当初はトラブルもけこうあって、遠方に住むメンバー同士で毎晩の様にメールをやり取りし、メールで足りないときは電話で話したり(実際に声を聞いて、電話で話すと解決しやすいこともあるものだ)、会う機会があればできるだけ顔を合わせ、いろいろと相談し合った。その後、運営メンバーも入れ替わり、独自のドメインを取得したり、寄付金による運営をはじめたりと紆余曲折しながら、気がつけば『修復家の集い』とのつきあいもずいぶんと長くなってしまった。開設当時、国内にはおよそ文化財の修復をテーマにするサイトは皆無と言っても良い状況の中で、『修復家の集い』の活動は、とても画期的であったと思う(きっと、創設メンバーのみんながそう思っているだろう)。
あれから、国内にも文化財の保存や修復をテーマにしたサイトはずいぶんと増えて、貴重で有益な情報を配信するページも多くなった。いつか『修復家の集い』への参加者も遠のくように減り、私たちの活動の役目も終焉に近づいたことを感じさせていた今年の春先、創設者である尾立和則の意向によって、サーバー上から『修復家の集い』は消去された。
『修復家の集い』は、私自身も参加者の一人として、多くの方との交流を得てきた。ここではまた多くを知り、学ぶことが出来た。管理者の一人としては、この活動に参加できたことに、ささやかながら運営にも協力できたことを誇りに思うとともに、創設当時のメンバーと参加者の皆さんに感謝をしたい。

*『修復家の集い』
修復家の尾立和則が文化財の保護や修復、保存に関する情報を様々なメディアから厚め、編集、コピーをして、A4版の冊子として関係者に配布したのが始まり。1998年より文化財保存修復学会の研究発表会で知り合った仲間同士で集めた情報をインターネット上で公開。同時に修復家や関係者の情報交換を可能にした。

2010年5月 6日 (木)

デジタル作品の未来

確か、二十歳になるかならないかの頃、都内の美術館でナム・ジュンパイクの展覧会を見たときの印象は強烈だった。会場にはたくさんのブラウン管モニター(もちろん、液晶も、プラズマもない頃)にめまぐるしく、とめどなく映りだす映像の断片は、そのとき予想だにしなかったデジタル社会の到来を予言していたように思う。それまでは、純粋に手作業で物作りを行ってきた芸術、確かに芸術とはそういうものだと思っていた世界に、突然現れたテレビの集合体。機械化された工場でシステマティックに、そして大量に製造された電化製品の集合体は、とても不思議で謎めいた世界だった。あれから30年近くたって、コンピューターの進化にともない音楽の制作や映像技術は激変し、コンピューターグラフィックは芸術表現の道具として当たり前のものとなった。今や多くの芸術表現が電子信号の集合体と化し、インターネットを通じて世界を駆け巡る。果たして、この芸術表現はどうやって残されるのだろう。電子化された情報は瞬くうちに容易にコピーされ、音楽のリミックスよろしく加工されて、さらに新しい何かを作り出すことが出来る。この世界には、一体どこにオリジナリティーを見出せばよいのだろうか。オリジナリティーというモノ自体に意味はあるのだろうか。
ブラウン管もいつかこの世から消え去るに違いない。ナム・ジュンパイクの作品を見ることはもう出来なくなるのだろうか。めまぐるしく進化を続けるデジタル技術の陰で、記録メディアも変化を続け、フォーマットとハードウエアの進化によって、現存するデジタル情報は陳腐化するばかり。今私たちの周りにある数多の情報は、創造物は、いったいいつまで利用することが出来るのだろうか、残すことが出来るのだろうか。 

2010.05.02『六本木クロッシング2010展・芸術は可能か』を観て

○『六本木クロッシング2010展・芸術は可能か』 2010年3月20日〜7月4日 森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)
<http://www.mori.art.museum/contents/roppongix2010/index.html>

○ナム・ジュン・パイク(Nam June Paik 白南準 )1932〜2006年。韓国系アメリカ人の現代美術家。ビデオアートの先駆者として代表的な存在。

2009年3月 7日 (土)

デジタルデータの宿命

最近、毎朝のメールチェック作業の折りに昔集めたJAZZレコードをよく聞く。暫く聞いていなかったアルバムはけっこう新鮮に聞こえたりする。レコードがCDに変わったのはいつだったろうか。今や音楽はデジタルデータ化して、胸ポケットに入る名刺入れ程の軽くて小さな電子機器に、軽く数千余曲をダウンロードして持ち運び、いつでもどこでも楽しむことが出来る様になった。気がつけば、この世の中にあるおよそすべて物事がと言ってもよいほど、音楽に限らず、ありとあらゆる情報がデジタル化され、文化財保存の世界でも応用されている。
いまや、膨大な情報がインターネットを通じて、世界中の津々浦々に流れ、渦巻き、すでにウエッブ上でかわされる電子メールの数は、なんと一日あたり310億通(2004年7月当時の記録)と想像をはるかに超える。デジタル化されたデータのメリットは検索、製作、配布、複製と、汎用性があり、利便性が高く、近年は、主要な研究機関や図書館などで管理される貴重書、文章記録をはじめとして、多くの文化遺産とその情報がデジタル化されている。しかし、こんなに素晴らしいデジタル情報も、それに匹敵するデメリットがり、やはり完璧な物ではないことを覚えておく必要がある。
ダジタルデーターもアナログデーターと同じ様に記録し、音源や文字、画像などの情報を保管をする必要があるが、この情報の保存容器、収納庫に問題がある。コンピューターのハードディスクも、移動可能な記憶媒体としてのフロッピーディスク(もう誰も使わなくなった?)、MO、CD、DVD、も、それぞれに物理的な耐用年数に限りがあり、その年数も思いのほか短い(利用、管理の方法によってはさらに短くなる)。さらに情報をつくり、あるいは読み込む電子器機、コンピューターが日進月歩で進化、変化(これは記録媒体も同じ)しており、これも情報の保存を危険にさらす。ハードウエアーが進化するたび、フォーマットやソフトウエアも進化し、このたびにデータの更新作業が必要になったり、放っておけばそれは陳腐化するばかり。いつか利用することもかなわなくなる。少ない情報ならばこれも容易かろうが、いったいいつまでイタチごっこをすれば良いのやら、、、。そんなデジタルデーターなのである。

修復家は預かった資料や作品の写真記録を撮ることを習慣的に行なっている。私も年間2000〜3000カットの撮影を行なうが、最近は、顧客の要望もあってデジタルカメラを利用することも多くなった。デジタルカメラは撮影した画像をその場ですぐに確認できるから取り残しや取り損ねがなくなってよいし、ランニングコストも安く済む。画像の管理もことのほか楽で場所ももちろん取らない。
しかし、良いことばかりのこの一方で、すでに100年余の保管性能を実証しているフィルム写真に比べて、便利ではあるが、フィルムも、プリントも残らない写真には、どこか頼りないデジタル写真と思う。