写真の価値とその行方
ちょっと前にカメラ女子なる言葉が流行した。週末、都心などへ出かけると、若い人が首からカメラをぶら下げているのが目につく(結構フィルムカメラも多いのに気づく)。近所の公園には、初老のカップルが、ちょっとした水筒ぐらいの大きさのレンズをつけた自慢の一眼レフカメラ(こちらはデジタル)を抱えて、野鳥の撮影にやってくる。写真、カメラファンは、いまもけっこう多いなあと思う。私も中学生のときにカメラにハマって、撮影のみならず、フィルムの現像からプリントまで全て自分でこなした。現在主流となったデジタルカメラから比べると、プリントができ上がるまでの行程、作業はとても煩雑で大変なばかりだが、手間をかけてでき上がった一枚の写真への思い入れも大きかった。
近頃は、携帯電話で写真を撮る人が多くなっているように思う。撮った写真は、待ち受け画面にもするのだろうが、ほとんどはデーターホルダーにしまいっぱなし、およそプリントすることも無いようだ。曲がりなりにも写真の制作に携わった者ならば、写真はプリントにしなければ、印画紙に焼かなければ写真は完成しないという感覚を持っていることが多いと思う。あるいは、お金をかけてプリントするほどの価値のある写真は撮っていないということなのだろうか。
デジタルカメラには欠かせない、コンピューターや周辺の電子機器の高速な進化は、撮影したデーターを瞬くうちに陳腐化している。フォーマットの進化の行方も定かでなければ、いずれ早いうちにその情報が利用できなくなる可能性も否定できない。データーを保存する媒体も、紙に焼いた従来の写真(およそ100年以上の保存実績がある)を超える保存保証をしている物は無い。デジタル画像のプリントも進化はしているが、やはり従来のフィルム〜印画紙から比べると、その保存性能は足下にも及ばないようだ。
フィルムを使わないカメラはランニングコストを大幅に減少させるメリットがある。撮影した情報をカメラのモニターやパーソナルコンピューターを使ってすぐに確認できるし、失敗を恐れずに、どんどんとシャッターを切ることも出来るのも魅力かもしれないが、そんな容易さもまた、写真の価値を低下させる原因の一つかもしれないと思う。