タイパとコスパの彼岸
近頃タイパとかコスパなどという言葉をよく聞く。時間あたりの仕事の効率とか金額あたりの効果をいうのだろうけれど、私の生業とする修復家という仕事は、時間あたりの仕事の効率を考えはするが、仕上がりが良くなるのであれば、許される限り時間をかけて丁寧に仕事を進めるし、いたずらに作業スピードを追い求めるのではなく、まずは一つ一つの仕事を確実にこなしてゆくことで、結果的に修復作業完了までの時間が短くなれば良いと思う。私が駆け出しの頃、ある先輩は『この仕事は急がば回れだよ』と教えてくれた。私は今でもこの言葉を肝に命じている。
一方では私たちの使う材料や素材は天然由来のものが多く、手のかかる伝統的な工法により生産、制作されるものが多い。さらにそれらは広く一般に使用されるものではなく、需要も少ないものだから、より満足のゆく良い材料を選べば、それなりに高価になる。
いずれにせよ、私たちの仕事ではタイパやコスパを考えることはあっても、それが優先されることはない。
私のような修復家が使う材料を制作、生産する人もとても少なくなってきた。手作業で、時に重労働も要する手漉き和紙のなどは、素材となるコウゾの栽培さえ行う人が減少し、生産量も激減していて、さらに昨今の環境の変化、気候の温暖化により、和紙作りに欠かせないネリと呼ばれる粘液を採取する草木の入手も困難になってきていると聞いている。
本年度は江戸時代の初期に描かれた屏風絵(六曲一双/全12画面)の修復を行なっているが、屏風絵やふすま絵の修復の際に必要となる下地(構造材=格子状に組んだ障子の骨組みのような材料)も、もはや作れる人は都内では数名しかおらず、しかも皆高齢で、その需要の少なさからも後継を育てることが難しいようだ。下地の材料となる杉材、縁に使うヒノキやヒバ材も、近年山林を管理する者が減少していることもあってか、良質な材料が少ないと聞く。
私たち修復家も、私たちが必要とする材料の生産者も、タイパとかコスパなどといった世界とは対極の世界で生きているように思う。そんな人々が人類の偉大な創造物の保存、延命をさせ、未来の人々へ手渡すための大きな支えとなっている。
古来より伝わる芸術作品や歴史資料、広く文化財の修復や保存にたずさわる仕事と、この仕事にまつわる人々の努力や献身を、少しでも多くの人々に認知、理解してもらいたい。
この夏も猛暑が続いている。今年は11月くらいまで平年を上回る高温の状態が続くらしい。
皆様にはどうぞご自愛を。

