何事もなかったかの様に
油彩画やアクリル絵画など、現代絵画を中心に修復されている修復家の土師広さんは、都内美術館でおこなわれたあるトークイベントの中で、我々がおこなう修復とは、預かった作品を『何事もなかったように』返却することが理想であると話されていたことが印象に残っている。とてもうまく言ったものだ。
『何事もなかったように』という表現は、いささか具体性を欠く言い方ではあるが、広く一般には、修復に出した作品のどこが処置されたのかもよくわからず、まるでそれが元あったように違和感なく見える様な事なのだろう。でも、多くの人々にとっての修理とか修復のイメージは、かつて見ていた記憶にある姿形であるとか、そこに想像する『元』の状態への追及であり、彼らが心象に作り出したあるべき姿が回復されることだと思う。
私は今日まで数多の芸術作品を修復してきて、過去の修理、修復跡もたくさん見てきた。いま見ても良くできていると思う処置もあれば、目も当てられないもの、処置によってかえってダメージを受けていた様な作品もあった。過剰な洗浄により不自然に白くなった画用紙や画布、欠けた描画部のみならず、損傷部の周囲にはみ出した上塗り、加筆など、処置前の状態に戻すことのできない処置跡も少なくない。こういった処置も皆、損壊の改善や回復を追求しての処置だったのだろうが、いったい発注者はこの結果を受け入れたのだろうかと疑問にさえ思うケースもあった。
一方、現代の修復家は皆、処置する作品や資料に不要な変化を与えることなく、必要かつ最小限の処置に努めるようにしている。現代の修復においては、処置対象のオリジナルな材料、素材と修復に加えた補修材料を、処置した箇所をあえて区別できる様にもするし、さらに処置した部分を将来元に戻せる(処置前の状態に戻せる)様に工夫もしている。そして、こんな処置方法や考え方は、場合によっては『何事も無かったように』とはいかないこともある。
かつて私が修復した江戸時代の芝居小屋を描いた屏風絵は、観客や役者の顔が部分的に、あちこちと消失していて、この欠損部には代わりに別の顔が描かれていた。元の顔が残存している箇所と見比べれば、明らかにタッチが異なり、いわゆる漫画もどきのひどい顔が描かれていたので、管理者との相談のもと、製作後の加筆についてはすべて取り除き、取り除いた部分には元の記録もなかったため、残存するオリジナルの画用紙余白と同じ様な色に染めた紙を補填し、描画描線は一切せずに空白として修復を終えて返却をした。違和感があり、不快にも思われた加筆は修復により取り除かれたが、同部はカオナシの余白となった。これが個人の所有物だとしたら、現代の文化財の修復事情に明るくない施設の管理者であったなら、『顔』を残して欲しいと頼まれたかもしれない、、、。
私は近年、絵画の洗浄にも慎重な対応をしている。水彩画や素描、版画に使われる画用紙は、経年により黄色~褐色に変色する。額装されていても額材の質が悪ければ接触している箇所がまた変色をする。管理状態が悪ければカビ(フォクシング)も発生し、この際に、変色や汚損の除去が求められ、いわゆる洗浄とか漂白処置を迫られるのだが、この処置は図らずも画用紙に大きなストレスを与えるうえ、不可逆(処置前の状態には戻すことができない)な処置となる。顧客には詳しい説明に努めても、作品の鑑賞性の妨げとなれば、元のキレイな状態に戻して欲しいと修復が望まれ、私は『その状態を受け入れなさい』ということもできず、仕事を断るか引き受けるか悩むことになる。
油彩画は製作後表面にニスが塗られることがあるが、このニスが経年により褐色化するため、かつては褐色化が進むと当たり前の様に古いニスを拭い去り、新しい透明なニスを塗り直すことが横行していた。今でも変色したニスの取り扱いには賛否あり、処置をしては非難され、問題になる様であるが、この褐色化したニスを経年の、歴史の証として残そうとする考え方がある。日本では詫びとか錆びといった考えのもと、古びた茶碗やかけて継直(修理)した茶碗などに高い価値を見出す世界もあるけれど、先述の素描や版画の画用紙も、主題となる図像の大きな鑑賞の妨げにならなければ、同様に時の経過によって自然にまとった現象として、その歴史的価値として捉えることができるのだ。
人々が絵画や美術品に求めてくる修復のイメージ、修復の理想は人によって様々であり、所有者や管理者の知識や経験によっても異なってくる。日本では大きな話題になることがないが、ヨーロッパでは国家資格を持った専門家が修復に当たっても、その結果が非難されたり、社会的な問題となることがしばしばある。専門家のイメージする修復の理想と個人や社会の理想が乖離しており、社会への説明の不足や相互理解が足りないと思う。
何事もなかったの様にの『何事』とは劣化や汚損、損傷など『問題点』と置き変えることができるかと思うが、『問題点』の見方や考え方、『何事も無かった様に』することがどんな状態なのか、修復を依頼してくる人々のイメージを知りうるのも容易ではないし、私たちの理想を説明し、理解してもらうことも難しい。それは修復を求めてくる人々と対話を重ねることによって、初めて知りうることができ、理解することができることであり、土師さんの言っていること、考えていることとは違うかもしれないけれど、私たち専門家が安全と思われる方法で施術して、さらに顧客の理想や希望に寄り添った修復ができたのならば、それが『何事もなかったかの様に』修復依頼者のもとに納まったのであれば、うまく修復ができたという事なのだろうと、私は勝手に解釈をする。
私たちは一枚の絵画に芸術性や歴史性など、様々な価値を見出すことができる。いたずらに綺麗にしようとか、想像することしかできない『元』の状態への追及を避け、長い年月を経てきた作品ならばその老いた姿のままに保護し、そして少しでも延命させることができて、それが評価をされたなら、修復家として嬉しい限りだ。
土師絵画工房<https://hazekaigakobo.com>
2025.07.16改訂
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