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2025年7月 5日 (土)

取り去るものと加えるものと

何百年も前に制作された絵画や芸術作品には、劣化や損傷があることはもちろんであるが、必ず何らかの手入れが施されているものである。それは1回のみならず、また1箇所のみならず、地層のように幾重にも重ねられて、歴史の記述のように跡を残している。過去の処置には良い処置もあれば、適当にごまかすような処置もあるし、元の姿形を変えてしまうような、目も当てられないようなものもある。現代の修復においては、傷ついたり、欠損が生じた箇所にはその損傷領域に限定した処置をするが、過去の修復跡には健常な部分にまで処置が及んでいることが多く、かえって損傷を拡大させているような跡もよく目にする。

現在は可逆性、再現性(処置前の状態に戻せるようにすること)を重視して、修復に加える材料は後日安全に除去できるようなものを使ったり、除去できる工夫を施すが、過去の修復跡にはこういった対策、工夫も見られず、元に戻すことが困難なことも多い。
古い作品を修復する場合は、過去に加えられた修理材料も劣化していることが多いので、基本的には除去するが、現在に至るまで修復された作品を『通常』として長く利用してきた者にとっては、その除去が問題になることがある。かつて私が修復をした作品の中には、描かれた群衆の一部分が数カ所に渡って欠損しており、同部は他の紙で補填し、周囲の画風とは異なるタッチで『顔』が描かれていた。

私は顧客の要望に応じて、修復部分に限定して、途切れた線や欠けた色面に補助的な彩色を行い、鑑賞性の向上、いわゆる見た目の回復を図ることがあるが、描線の行方が不明であったり、想像を要するような描線や着色は避けるようにしており、『補助的な彩色』と記したように、私たちが行う処置は基本的に鑑賞性の弊害や負担とならないように、鑑賞時に視線が誘導されないよう、捕らわれないような彩色を行うことが目的であり、周囲に近似する色で染めたり、明らかにつながっていた線をつなぐ程度の、あくまで補助的な処置としており、基本的に『描く』ような行為も避ける。
しかし、この処置も、作品のあちこちに欠損があり、例えばその欠損部の全てに『顔』が書き直されているような場合には、それを取り除き、『顔』のない状態にした場合、『顔』のあった作品を長く見慣れてきた顧客にとっては修復に預けた作品が大きく変化することになり、場合によってはその作品の所有者や管理者、利用者に精神的な苦痛を与える可能性がある。もちろん、こういった場合には事前に顧客と十分な相談をするが、専門的な知識を持たない人にとっては、修復後の様子をイメージさせ、納得させることも難しい場合がある。

先のコラムでも記したが、ヨーロッパでは修復後の結果が批判されることが少なくない。変色したニスを除いて、きっと製作当初に近い綺麗な色彩が取り戻せたといって喜ぶ者もいれば、長い年月による風合いが損なわれたと怒る者もいる。時代により、政変や宗教改革によって不都合な部分を上塗りされたり、それを現在になって元どおりに戻しても、取り除いた上塗りの、ある歴史の記録が損なわれたという者もいる。日本でも、古い仏像を調べてみると、過去に修理されて異なった形態になるも、後日長きに渡って信仰の対象として祭られ、現在に至っては元に戻すことも難しい像があると聞いたことがある。第二次大戦の戦火を逃れたある絵画は、戦時中に木枠から外され、長く丸めて保管されていたためあちこちと絵の具がはがれ落ち、戦後しばらくして綺麗に修復されたが、ある学芸員は、修復しないで展示する意味もあったといっていたことをよく覚えている。
私はこのコラムで何度も記しているが、修復は人の創造物から何かを取り去り、加えるという行為であり、その創造物が人と社会に大きな影響を与えるからこそ、とても重要で、慎重な行動が必要とされる責任の重い文化財の修復という仕事である。

 

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製作後に加えられたどんなにひどい顔であっても、見慣れた顔がなくなることは、作品の所有者や管理者にとっての精神的負担や苦痛にさえになることがあるから取り除くことは慎重になる。

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