所有者の責任
骨董品からオモチャまで、様々な物を鑑定するTV番組が長く続いているけれど、この番組名となっている『鑑定』とは名ばかりの様に見える。鑑定にどれだけ科学的な調査(より正確な鑑定には科学的調査が必要である)が行われているのか全くわからないし、この番組のキモは、市場においてどれだけの金銭価値があるかを業者が値踏みする(鑑定依頼者自身にも値踏みさせる)ことで、提示された金額に鑑定依頼者が一喜一憂する(させる)姿を見て楽しむことが主旨のTVショーかと思う。
長くこの仕事をしていると、たまに修復に持ち込んだ作品の価値や真贋をたずねてきたり、修復する価値があるかどうかを聞いてくる人がいるが、私の専門は作品の鑑定をすることではないし、その資格もない。私は絵画や美術品の市場にも関わっていないから、その市場価値もわからないので、こんなお客様にとって私はお役に立てないから、どこか他の機関なりなんなりを探して欲しいと、丁寧にお引き取りを願うようにしている。
そもそも美術品の市場価値などというものは株価に等しく、変動するのが当たり前で、決して絶対的な評価とはならない。その評価は場所、国や地域によっても大きく変わる。市場はまた需要と供給によって簡単に変化するものである。かの番組で表示される評価額は、かなり狭義な世界の中での価値判断と思うし、テレビなりのご祝儀的評価ともなってはいないだろうか。
もちろん、修復する価値があるかどうかを判断するのも私達修復家ではない。たとえその作品が無名の作家のものであっても、市場では価値のない物であっても、修復を望まれるならば、私は専門家として技術を尽くす。私にとって市場の価値はあまり意味を持たない。
とくに個人のお客様にたいしては、修復を依頼されると丁寧な説明をするように努めてはいるが、私の説明も悪いのか、見積もり金額を見て驚く人もいる。美術品や工芸品はただでさえデリケートなものが多いし、それが何十年も何百年もの年月を経ているならば、取り扱いはとても困難になる。たとえ小さな傷や穴を直すのにも結構な手間暇がかかるから、文化財(広義なな意味で)の修復という仕事の難しさを知らない人々にとっては、思いのほか大きな費用となるのかもしれないし、作品の価値と修復代金を量りにかける気持ちはわからないでもないけれど、、、。
しかし、自分の持っているものを、いたずらに市場価値のみで推し量ることはあまりにも寂しい。モノの価値を見い出す方法はもっと他にもあるだろう。まずは、もういちど、なぜ自分がそれを修復家のもとに持ち込んだのか考えてほしい。そもそも修復したいから、修復をする価値があると思っていたから、私たちを訪ねて来たのであろう。その価値は確かにその所有者自身が認めていたはずである。それが市場でいくらになるかはわからないが、修復費用も安いものとはならないが、あなたにとって十分な価値があったはずである。
作品の価値判断をすることは私たち修復家の務めではない。修復を依頼されれば、その道の専門家として修復の方針や方法を考え、決定することはあっても、修復するかどうかを決定することも所有者しかできない。それを修復し、保護、延命させることも、放置して朽ち果てるのを待つのも、売り払うことも、そのすべての決定権と責任は所有者にある。
どんな物でも大切にされ、長く残されるためには所有者が見出した価値こそが必要であり、その価値が見失われた時にその存亡が危ぶまれる
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