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2025年6月 4日 (水)

魂を抜く文化財の修復

本来は信仰の対象、象徴である仏像は、修復が必要となった際には僧侶による儀式を行い、像から魂を抜くそうである。魂を抜かれた仏像は神や仏から木像になって、ようやく人の手で触れることができ、修復ができるようになる。ネットでググってみると、「様」は仏陀や菩薩など、悟りを開き苦しみから解放された存在。 「神様」は自然現象や事物、精神世界を司られる超自然的な存在。そんな神様や仏様には修復は不要だろう。スピノザという人は神は無限であると言っているし、そんなつかみどころのない(あるいはつかみどころが多すぎる)超自然的なものには修復家ごときはなすすべもない。だから、そんな神様、仏様をいったん取り出して、有限な物に変えてから、つかみどころを絞り込み、修復に臨むのだろうと思う。

私が取り扱う絵画作品も、それが具象画であろうが抽象画であろうが、その見方を変えるほどに様々な印象を受け、いろんな解釈ができる。そこに見出される意味はまさに多様であり、それを鑑賞する人の経験によって様々な解釈ができると言っても差し支えないだろう。そして、人は新しいものにも古いものにも、欠けた跡や傷にも、薄汚れた風合いにも意味や価値を見出すから、そんな絵画も無限な意味を持っているからつかみどころがない。
無限の意味ある絵画を手に取り、そこに分け入り、何らかの修復処置を施すためには、先の仏像のように掴みどころを絞り込む必要がある。無限の意味を持つと言うのは、それが確かにこうであると決定できない物。言い換えることができるならば『何が何だかわからない』ものとなり、それは神様や仏様の様に捉えどころのないものとなってしまうから、それこそ修復などするすべもなくなってしまう。だからだろうか。その道の研究者や専門家は何も触らずに『現状を残そう』と言う。それも然りである。触らぬ神に祟りなしとも言う。
しかし、そうは問屋は卸さない。全てのものと同じように、仏像も絵画も、全ての人の創造物は完成した瞬間から、触らずに放っておいても劣化をやめず、利用していれば痛み、傷つくから、どうしても修復をする必要が出てくる。最近の気候変動はあちこちで大きな自然災害を巻き起こし、その被害は地域の文化財にも及んでいる。
そこで苦肉の策と言えようか、科学者達が考え出したのが修復する対象を『物』として捉える方法である。つかみみどころのない一枚の絵画は儀式こそしないが、先の仏像と同じように絵画の芸術性の様なものをいったん棚に上げて(例えば目を塞いで見ないことにして、あるいは視線をそらして)、『物』として分析し、物質、物性といった有限な科学的情報(説明できること)を抽出してそのつかみどころとし、修復をすることにした。私たち修復家は実際にその物質、物を機械的にどうこうすることしかできないから、この考え方は理にかなっていると言えるだろう。けれどその行為が、その結果が、どうしても神様や仏様、芸術といった多義性(つかみどころのない無限にある意味)に関わらずにはいられないことがこの仕事の難しさであり、人と社会(美術館も博物館も)はそんな難しさも梅雨知らず、その間にある溝を繋ぎ、穴を埋め、あるいは覆い隠す(?)ことを要求してくるのだ。
『修復の理論』を書いたチェザーレ・ブランディはこんなことを言っている。
『芸術作品として成立するためにその物質的な実態の側に犠牲を強いる時は、そうした犠牲やいかなる介入処置も、その美的側からの要求に基づいてのみ実行されなければならない。そしてあらゆる場合において、美的側面こそが第一となる』と。
抜いた魂も棚上げした芸術性も必ず本来の在処に還る。いいや、私たちはそこにあるのに目を塞いでいたか視線をそらしていただけ。私達がどんなに目を塞ごうが、物質と芸術性は切っても切れない関係にあり、少し視線を戻しただけで、意識をしただけで、それは私たちに迫り来る。
今もなお科学はそのつかみどころのない美的側面を説明してはくれない。それに実際に触れ、奥深く分け入り、何らかの介入、実際に処置をする私たち修復家だからこそ、取り付く島のない芸術性を、人と社会がいつもその精神の中に繰り返して再構築する芸術性について目を塞ぐことも視線をそらすことも許されないように思う。いいや、多分できないのだ。

 

参考:『意味がない無意味』千葉雅也

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