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2025年6月

2025年6月16日 (月)

自分を消そうとも

私の仕事仲間の中には、海外で学び、現地で実務経験を積んできた者もいる。とくにヨーロッパで修復術、修復学を学んできた者は皆、修復家(ヨーロッパで学んできた人は修復士とか修復師と表すことが多い)にとって最も大切なことは『自分を出さない』とか『自分を消す』ことだと教えられたと話す。

私は修復を望まれた作品(ここでは一枚の絵画作品としよう)を預かった瞬間から、その修復が完了するまでの間、基本的にその芸術性を味わうような鑑賞はしない。作品を預かって、まず行うのは全体の構造と痛み具合の確認で、これから修復を行う際に注意すべきポイントを特定する。その後計測と写真撮影を行って、さらに画用紙や画布、絵の具、装幀など、そこに使われている材料素材の個々、細部の状態、症状をつぶさに調べ上げてゆく。
『修復の理論』を記したチェザーレ・ブランディは『修復は、芸術作品の物質的側面に対してのみ行われる』と言っているが、これから作品を修復する私にとって必要なのは、ある材料から作られた絵画という物(物質)の成り立ちを、その現状を理解をすることであり、そのための調査、観察を行うのである。この時、私は作品の美的な側面、芸術性には目をそらしているというか、およそ意識をしない。ある意味、思考を停止させていると言ってもいいかもしれない。私は鑑賞ではなく観察と記したが、一枚の絵画が湛えている美的側面、見る者によって多様な解釈ができ、数多の意味が生じるその芸術性はいったん棚上するか蓋をしておくようにして、観察の結果、収集した情報に基づいて、機械的に淡々と修復処置を進めてゆく。こう言った一連の客観的(と思っている)行動が、『自分を出さない』とか『自分を消す』ことに通じるだろうと私は思う。
しかし、実際に修復作業を進めてゆくと、『自分を出さない』とか『自分を消す』ことに徹することもなかなか難しい。ひとたび作品の修復作業を始めれば、必ず手加減やさじ加減といったような繊細なコントロールが必要になるものである。そしてそれは修復家自身によって行わなければならない。現在のように科学技術が進んでいて、いま修復する一枚の絵画をどれだけ精密に分析をしたとしても、どんなに調査、観察を尽くしても、そこで得た情報は実処置の手加減やさじ加減、その調整率を示してはくれない。だから、どんなにたくさんの情報を得たとしても、自身の思考を作動させ、意図的に様々な調整をしなければならない場面は必ずやってくる。
そもそも芸術作品に何らかの手を加えるのだから、その美的側面、芸術性に一切関わらずにおくこともできいない。それは絵画表面に糊付けされたシールの様なものではないし、実際に分けることも切り離すこともできないものである。

ここで、唐突ながら、現象学者のエトムント・フッサールが示した絵画鑑賞のあり方を紹介する。彼は絵画の鑑賞を以下の三段階に分けて考えた。

 


第一の層

像物体

画用紙、絵の具といった絵画の材料やその状態認識 =絵画以前、そこにある画材、成り立ちを見ること。客観的な鑑賞、観察 

第二の層 

像客体

画用紙、絵の具といった絵画の材料やその状態認識 =絵画以前、そこにある画材、成り立ちを見ること。客観的な鑑賞、観察 

第三の層

像主題

作中世界の認識=描かれた物語やテーマを意識すること。主観的な鑑賞のはじまり

 

貴重な芸術作品の修復に際しては、その作品の現状をできるだけ変化させないように、最小限の修復処置という約束のもとに処置を進める。しかし、どこまで処置するか、またはしないかというレベルを決定することもまた難しい。それは基本的には先に行った観察を頼りに行うのだけれど、所有者や管理者の希望によって左右されるし、処置する作品の性質、劣化や損傷の状態によっても手加減を余儀なくされる。この加減はその作品全体(増主題を含んだ)に関わる場合もあるから、フッサールの考えに照らせば、上記の第三の層、像主題の鑑賞を横断して、いよいよそこに湛えている美術的側面、芸術性も意識しなければならなくなることがあるかと思う。
私は一枚の絵画の修復が終わりに近づいた頃、少しの間、一鑑賞者として作品を鑑賞するようにしている。素直に作品に向かい、修復後の状態がどんな風に見えるのかを鑑賞して、私が処置した箇所に大きな違和感があったり、視線が誘導されないか確認する。修復家としての経験を積んだ私は、きっとその経験を持った鑑賞者になることしかできないし、ついつい重箱の隅をつつくような鑑賞となりがちではあるが、ここで意識して作品(修復の着地点、終了地点の)芸術性を味わうような鑑賞するようにしている。

一枚の絵画における美術的側面、芸術性は、その解釈のカタチは、私たちのような専門家と専門外の人では異なるだろうし、たとえ同じ専門家同士であっても、その人の経験や知識によって大きく変わり、多義的で捉え所のないものである。そこには数多、多様な解釈の可能性があり、それが一枚の絵画の湛えている美術的側面、芸術性であると私は考えている。『修復家の理論』を記したチェザーレ・ブランディは同著の中でこんなことを言っている。

『各個人の意識世界においてはじめて芸術作品たりえるのである』『修復の理論』p.29)

一枚の絵画が湛えている(潜在している)美術側面とか芸術性というものは、その多義性を理解するほどに、わからない、捉えどころのないものである。そしてブランディは、それが個人の意識のうちで認識されるものだと言っている。ならばその美術側面とか芸術性というものは、人の数だけあるということである。
私たち修復家は、そんな捉えどころのない一枚の絵画を修復しなければならない。私はその美術的側面を芸術性を認識することができるが、それは数多ある可能性のうちの一つに過ぎない。だから私たち修復家は、一枚の絵画を前にして、その捉え難い美術的側面、芸術性から視線をそらし、物性や物としての絵画のみを観ることでやり過ごし、さらにを自分を消した(意識をしない、思考しない)ことにして、辛くもその絵画を捉え、修復という施工、施術を可能としているのだろう。ブランディは『物質はイメージの顕現に奉仕するものである』と言っているが、この言葉は修復家にとってささやかな救いとなるであろうか。私たち修復家には物質に頼り、奉仕するしか確かな手立てがない。
修復という行為の全てにおいて修復家の自己判断、自己責任が要求されるものではないが、貴重な芸術作品、広く文化財修復の現場の最前線に立って、実際に何かを取り除いたり、加えるような様々な決定をしなければならない者の責任は大きい。『自分を出さない』とか『自分を消す』ことも『最小限の修復処置(介入)』などという約束も、捉えどころのない芸術作品をいかに捉え、よく保護し、より延命させるためのベターな手段、方法なのだろうとは思うが、それはこの職務の責任の重さから、その重さをいささかながら軽減する(軽減するように感じることのできる)免罪符としても機能しているのではないだろうか。そうして少しでも安心をしながら作業を進めることのできる修復家なのかもしれない。

実際の処置ががどんなにか少なかろうと、小さかろうと、その作品から何かを取り除き、加えた跡は、修復家の自分を出そうが出すまいが、消そうが消すまいが、その作品の生涯の痕跡としてさらに加えられ残っていく。その大きな責任を担う修復家の仕事なのかと思う。

参考:『東京藝大で教わる初めての美学』川瀬智之

   『修復の理論』チェザーレ・ブランディ

2025年6月 9日 (月)

チェザーレ・ブランディと柳宗悦 ー ふたりの創造者 ー

美術評論家、チェザーレ・ブランディが『修復の理論』の中で記している『弱音器』という概念は、汚染や変質、変色(古色、古色化)といった、多くの人にとってはたぶん忌み嫌われるか、捨てるもの、取り除いて当たり前と思われていたであろうものに歴史的価値とある芸術性(拭い取るべきでない効果、そこにあるべき効果)を見出したという意味において、そして民藝運動の創始者と言われる柳宗悦は、日々の生活ではその芸術性など誰もが考えもしない、日常に(民間で)使用する雑器や道具に高い関心を寄せ、名も無き者がつくるものに芸術性を見出し『民藝』という概念をつくりだしたという意味においてとても興味深い。両者はそれぞれに文化も言語も仕事も違い、何もかもが異質でありながら、私には両者の概念がどこか重なって見えてくる。

ブランディの言う『弱音器』(=古色、古色化した材料、素材)という概念は、その実態である何かの汚染や劣化の果ての変質や変色の全てをそう呼んでいたわけではないと私は考える。絵画の修復においては、芸術性(ブランディの『修復の理論』/翻訳には美術性と書かれているが、芸術性と言い換えても差し支えないだろう)を第一にしなければならないといっているから、例えば一枚の絵画上のそれは少なからず芸術性に寄与していることが望まれるだろうし、鑑賞の弊害などとなってはならないものだろう。一方では、その『弱音器』に価値があるかないか(私たちの修復現場ではそれを残すか、取り除くか)という個々のケースにおける判断理由や基準を決めることも難しい。どんなにその科学的な分析をしようとも、得られるデーターは物質の成分、性質、現状といった有様を説明するだけであるから、それを残すべきか残さざるべきかといった判断材料、エビデンスともならないし、ましてやそれを『弱音器』などと称してしまうことは、ブランディ自身が同著書の中で言っているように、意識における新たな再創造(=私は現在の鑑賞者、所有者、管理者による解釈、意味付けと理解している)によってでしか決定することはできず、その『弱音器』とは、まさにブランディこそが、彼の意識における再創造によって認識された『弱音器』なのではないかと思うのだ。

東京の駒場にある日本民藝館は、柳宗悦が生涯に蒐集した選りすぐりの什器、工芸品などが展示されている。その姿形の美しいものも数々あるけれど、ちょっとばかりユニークであったり、少々突飛にも思える様なコレクションを眺めていると、彼の独特の美的世界を窺うようで、これこそが柳自身の見出した『民藝』であると私を説得してくる。最近の研究においては、彼自身、後に広まる何でもありの民藝(手作りの工芸品ならば全て民藝という様な考え方)を望んではいなかったようで、一つの工房で日々何百と作られる雑器の中に、稀に、あるいは偶然に出来上がった柳の目にかなう逸品をして、高い芸術性を見出していた様だ。柳と共に民芸運動に参加した陶芸家の濱田庄司は『民藝は柳の食い滓(カス)だ。いいところは見た瞬間、全部柳が持っていっている。その滓を皆が民藝だと思って騒いでいるのだ』といったそうであるが、濱田は『民藝』という概念も彼の意識における再創造によって認識された『民藝』でしかないことを証言しているようである。

ブランディも柳も、美術評論家(ブランディは歴史家、柳は宗教哲学者としても紹介される)として紹介されていることも興味深いが、彼らはお互いに物事をとても主観的に見ていた様に思う。ブランディに関していうならば、イタリア語の、そして彼自身の独特の言い回しからなのか、科学的には劣化した状態、変質による古色=悪化をして『弱音器』と表すなどいかにも情緒的であるし、独特の物事の捉え方、センスがうかがわれ、また私の中で柳のそれとダブって見える。『修復の理論』中で、『芸術作品が他のものと比べて特異なのは、その物理的実体や歴史性にあるのではなく、その芸術性にある』(一部省略)と記していることを見ても、科学的には説明し難い(多義的でつかみ所のない)イメージ(現在の再創造を含んだもの)こそを大切に考えていたものと思われる。

柳は自著『見ること』、『知ること』というエッセイの中で、美への認識は直感が大切であるとし、『美への問題は見ることから知ることへと進むべきだ』と言ってる。さらに『見る力とは生まれてくるものであって、人為的に作ることができない』とまで言っているのはとても興味深い。ブランディも柳も、お互いに独自の芸術感覚、審美眼、直感?を持っていた。そう信じていたものと思われ、そんな彼らが創り出した『弱音器』であり『民藝』である

二人はお互いに、いま目の前にあるものから新たなものを創造(再創造)した。そういう意味において、私には似た者同士に見えてくるのだ。

 

参考:『民藝の擁護』松井健

   『修復の理論』チェーザレ・ブランディ

 

2025年6月 4日 (水)

魂を抜く文化財の修復

本来は信仰の対象、象徴である仏像は、修復が必要となった際には僧侶による儀式を行い、像から魂を抜くそうである。魂を抜かれた仏像は神や仏から木像になって、ようやく人の手で触れることができ、修復ができるようになる。ネットでググってみると、「様」は仏陀や菩薩など、悟りを開き苦しみから解放された存在。 「神様」は自然現象や事物、精神世界を司られる超自然的な存在。そんな神様や仏様には修復は不要だろう。スピノザという人は神は無限であると言っているし、そんなつかみどころのない(あるいはつかみどころが多すぎる)超自然的なものには修復家ごときはなすすべもない。だから、そんな神様、仏様をいったん取り出して、有限な物に変えてから、つかみどころを絞り込み、修復に臨むのだろうと思う。

私が取り扱う絵画作品も、それが具象画であろうが抽象画であろうが、その見方を変えるほどに様々な印象を受け、いろんな解釈ができる。そこに見出される意味はまさに多様であり、それを鑑賞する人の経験によって様々な解釈ができると言っても差し支えないだろう。そして、人は新しいものにも古いものにも、欠けた跡や傷にも、薄汚れた風合いにも意味や価値を見出すから、そんな絵画も無限な意味を持っているからつかみどころがない。
無限の意味ある絵画を手に取り、そこに分け入り、何らかの修復処置を施すためには、先の仏像のように掴みどころを絞り込む必要がある。無限の意味を持つと言うのは、それが確かにこうであると決定できない物。言い換えることができるならば『何が何だかわからない』ものとなり、それは神様や仏様の様に捉えどころのないものとなってしまうから、それこそ修復などするすべもなくなってしまう。だからだろうか。その道の研究者や専門家は何も触らずに『現状を残そう』と言う。それも然りである。触らぬ神に祟りなしとも言う。
しかし、そうは問屋は卸さない。全てのものと同じように、仏像も絵画も、全ての人の創造物は完成した瞬間から、触らずに放っておいても劣化をやめず、利用していれば痛み、傷つくから、どうしても修復をする必要が出てくる。最近の気候変動はあちこちで大きな自然災害を巻き起こし、その被害は地域の文化財にも及んでいる。
そこで苦肉の策と言えようか、科学者達が考え出したのが修復する対象を『物』として捉える方法である。つかみみどころのない一枚の絵画は儀式こそしないが、先の仏像と同じように絵画の芸術性の様なものをいったん棚に上げて(例えば目を塞いで見ないことにして、あるいは視線をそらして)、『物』として分析し、物質、物性といった有限な科学的情報(説明できること)を抽出してそのつかみどころとし、修復をすることにした。私たち修復家は実際にその物質、物を機械的にどうこうすることしかできないから、この考え方は理にかなっていると言えるだろう。けれどその行為が、その結果が、どうしても神様や仏様、芸術といった多義性(つかみどころのない無限にある意味)に関わらずにはいられないことがこの仕事の難しさであり、人と社会(美術館も博物館も)はそんな難しさも梅雨知らず、その間にある溝を繋ぎ、穴を埋め、あるいは覆い隠す(?)ことを要求してくるのだ。
『修復の理論』を書いたチェザーレ・ブランディはこんなことを言っている。
『芸術作品として成立するためにその物質的な実態の側に犠牲を強いる時は、そうした犠牲やいかなる介入処置も、その美的側からの要求に基づいてのみ実行されなければならない。そしてあらゆる場合において、美的側面こそが第一となる』と。
抜いた魂も棚上げした芸術性も必ず本来の在処に還る。いいや、私たちはそこにあるのに目を塞いでいたか視線をそらしていただけ。私達がどんなに目を塞ごうが、物質と芸術性は切っても切れない関係にあり、少し視線を戻しただけで、意識をしただけで、それは私たちに迫り来る。
今もなお科学はそのつかみどころのない美的側面を説明してはくれない。それに実際に触れ、奥深く分け入り、何らかの介入、実際に処置をする私たち修復家だからこそ、取り付く島のない芸術性を、人と社会がいつもその精神の中に繰り返して再構築する芸術性について目を塞ぐことも視線をそらすことも許されないように思う。いいや、多分できないのだ。

 

参考:『意味がない無意味』千葉雅也

2025年6月 2日 (月)

修復に求められるもの

私が文化財保存修復学会という研究団体に所属して間もない頃(1900年代の終わりころ)にある研究発表会で、文化財には修復ではなく、修理をするのだという発表者がいた。いわく、『修復』という言葉には『復』というような、ある意味元に戻すというような意味があるが、一方『修理』には理由を意味する『理』という文字があると。『理り』がなければそれを行なってはならないと。
現在でも文化財の修復に携わるものの中には、『修理』という言葉を使い、他と差別化を図ろうとする者もいるが、よく調べれば、もともと『修復』も『修理』も同じ意味を持つ言葉であり、『修理』という言葉の社会的な概念、通念には元に戻すというような意味は含まれるし、実際に文化財の修復においても、そういったことが全く行われないわけではない。私の古い友人であり、先輩は、『修復家』なら良いが『修理家』というのは如何なものかと、ちょっと皮肉っぽくいっていたのを覚えている。

確かに、私たちのような専門家と、それ以外の人では『修理』とか『修復』という行為に対しての捉え方、認識は異なるし、そこに求めるものにも差が出てくる。
文化財(広義な意味で、広く指定品以外も含めた芸術品、歴史資料として)を修復する私たち修復家は、とくに貴重なものを取り扱うので、それを確かに残すための方法として、対象を歴史的、科学的に『資料』『物質』として捉えることを重要視し、そこから得られる客観的な情報を可能な限り残そうと努めている。ヨーロッパあたりでは今でも、修復作業をする者に『おのれを出さないように』と説かれるらしい(一体そんなことが確かに出来るのだろうか)。
一方、その外側で芸術作品や歴史資料を管理、利用する人達には、対象の現状から今見える姿形に加えて、そこに想像される(あるいはそれを知っていた)傷つく前の姿や、経年によって変色する前の、風合いが変わる以前の、たとえば製作当初をイメージするような、そうあって欲しい、そうあるべき姿形を追求することが大切であったりする。
でも実際には、私たちのような専門家も、そういった社会的な『あるべき姿形』が無視できないのか、そもそも私たちの仕事自体が社会貢献としての役割が大きいからか、専門家の中にも、いいや、むしろ歴史的に、科学的にそれを追求する専門家だからからこそイメージするちょっと主観的な『あるべき姿形』があるように思う。

先述のヨーロッパでは、国が違えば、同じ国でも地域ごとに文化財修復の方針や手法に差があるし、そのためか、当然修復の結果が異なってくるから、今日でも重要な作品は修復するたびに高く評価されたり、非難を浴びたりしている。
このコラムでも何度か取り上げたレンブラントの『夜警』(De Nachtwacht /
フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民隊)は現在アムステルダムの美術館で修復中であるが、この作品は『夜』の場面を描いたわけではなく、経年によって表面に塗られたニスが変色して暗い印象になったため『夜警』とされたそうであるが、この作品を所蔵する美術館が『夜警』(De Nachtwacht)と紹介していることはとても興味深い。彼らは『夜警』こそが『あるべき姿形』と捉えているのではないだろうか。『修復の理論』を記したチェザーレ・ブランディは、経年によって纏った古色や変質、変色したニスをして『弱音器のような』という表現をしていたが、『夜警』のそれは、『弱音器』としての機能をもはや超えて、絵画の文脈を無視して、本来とは異なる意味合いや価値を与えている。これをある種の想像とか、ファンタジーとは呼べないだろうか。文化財の保存や修復には『理り』以外にも、ファンタジーが必要なこともあるのではないだろうか。ファンタジーを想起させる文化財でもある。

 

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