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2025年4月

2025年4月29日 (火)

修復家の休日

私はコーヒーが大好きで、毎日の食後に3杯は必ず飲んでいる。たまに仕事で外出したり、現地で作業をするような時にコーヒーが手に入らないと、結構辛い思いをするので、もはやカフェイン中毒とか、ちょっとした依存症となっているのかもしれない。
美味しいコーヒーを淹れる方法は様々で、私はいつもパナソニック製のコーヒーメーカー(NC-A57-Kは秀逸である)で淹れているが、たまに手間をかけてハンドドリップで淹れる。ハンドドリップはとてもふくよかな香りが立つので、入れている作業の間中、それこそ至福のときを味わうことができるのだ。
しかし、ハンドドリップでコーヒーを淹れるには道具も揃えなければならないし、さらに美味しく淹れるにはコツがあり、注ぐお湯の温度とか、コーヒーの蒸らし方、お湯の注ぎ方など徹底してやろうとすると、結構めんどうくさい作業となるので、日頃はなかなかできないし、ちょっと仕事が暇で、なお精神的にもゆったりと落ち着いている時でないとやる気も起こらない。

大切な作品をお預かりする自分の仕事を、めんどくさいなどと言ってはいけないのかもしれないが、修復家の仕事というのも実に細々とした作業が多く、事前の下調べさえ大変。ひとたび作業に入れば慎重と正確を必要とすることばかり。神経も使う。正直、私は大きな声で『この仕事が好きです』とは言えないけれど、なぜだろう。一旦仕事をはじめると、寝食の時間を忘れるとまでは言わないが、まるで時の流れが止まったような、そんな時空間の中にいるようで、いつの間にか集中して時間の過ぎるのを忘れてしまうことがある。そんな仕事の終わりにはどっと疲れてしまうのだが、なんと言えば良いのだろう、無意識のうちに、とても濃密な時間を過ごしたような、そんな満足、充実感が得られるのだ。

私は子供の頃から手先が器用で、絵を描いたり工作をするのが好きだったこともあるかもしれないが、どうやら私はめんどうくさいことが好きなようである。
今年もゴールデンウィークがやってきた。今年はどこかに出かける予定もなし、人ごみの中に出掛けるのも遠慮したいので、家でゆっくりと時間を使い、色々とめんどうくさいことをしてみようと思う。

2025年4月27日 (日)

つくられるオリジナリティー

私が文化財保存修復学会という研究団体に所属させていただいた1900年代後半には、イタリアのチェザーレ・ブランディの文化財における修復理論が日本にも伝えられ、当時、多くの学識経験者、専門家たちがこぞって『オリジナリティー』『オリジナリティーの保護』という言葉を、まるで呪文のように重ねて唱えていたことをよく覚えている。
オリジナリティーという言葉をインターネットで検索してみると、「originality」とは、独自性や創造性、新しさを意味する英語の名詞。一般的に、何かが他とは異なり、独自の特性や視点を持つことを指す。などとある。そして、「originality」の元の言葉と言えよう「original」とは、最初の・本来の・原形・原本のことを意味する英語表現とある。(参考:weblio辞書)
私たちの目の前には人の作った(その人の)作品=オリジナルが確かにあるけれど、日本語で『創意』や『独自性』などと訳されるこのオリジナリティーというものは、特定をしたり、確かに捉えることは難しい。私たちは一枚の絵画にその製作者が使った画布や画用紙、絵の具(製作者が利用した画材=オリジナル)を科学的に、客観的に捉え、分析し、その物性や状態、使い方、絵画全体の構造を詳らかにし、説明することは出来ても、製作者の『創意』などというものは、製作者が説明でもしない限り知り得ることは困難である。私が日々修復しているような数百年も前に制作された作品であるならば、もはや製作者の意図も真意も不明となり、『創意』は製作者以外の誰かが、いま手に入る限りの情報を集めて、そこから推論をしなければ得られない。もし、万が一にも制作者が自身の創意を書き残していたとしても、その記述にさえ、いま私たちは様々な解釈をすることができる。そして、実際に作品は一切口をきかず、何も説明しない。
『独自性』というのも他の何かとの比較によらなければ成立しない。独自とは他と異なるということであるから、他に比較するものが必要だし、独自性の証明は他の存在に依拠する限り、比較する物によっていくらでも見え方は変わり、またそれを見る者の知識や経験によって(専門家とそうでない者の見え方は違ってくるだろう)如何様にも変わって見えてくるだろう。

時を経た歴史的証(のようなも)を大切にしろと唱えるブランディの言葉は、例えば画布や画用紙が劣化によって変色をきたした場合、その『古色』といったような制作当初(原型、原本=オリジナル)にはなかった状態、経年の結果により生じた症状、現象に価値を与えたことに功績を認めるが、私たちはまた、今守ろうとする作品を(守るべき物事を)増幅させる。はたして、時の経過による老化のような現象を保存の対象、守るべきものとするならば、それは最終的に『死』とか『消滅』を受け入れることも考えねばならなくなる。それはどこまで受け入れるのか。『死』や『消滅』こそは全ての物の行き着く最終結果であり、芸術作品にも皆、製作当初より備わったオリジナルな性質である。
そして、私たち修復家は、今日も作品の死を拒み、抗うことを職務としている。

私たちは常に、誰かの創造物に様々な曰くをつけては価値を増幅化させたり変化させている。文化財、広い意味で人々の創り出した芸術品や工芸品には、長い年月を通じて、大小様々な物語が着せられる。長年の利用によりついた手垢や擦り傷、修理の痕までもが大切に残されている例も少なくはない。骨董などと言った趣味は、日本でも海外でも古くからあり、日本では詫びとか寂といった独特の美意識、価値観が生まれた。海外では古色のついたような古い絵画が売れるようになると、新しい絵にわざわざ着色、変色させたニスを塗布して販売された例もある。ブランディに言われるまでもなく、経年による変化を美しいと感じたり、古びたものに価値を見出していた人は昔からいるようだ。もし、こういったことを含めて、その歩んできた歴史の痕跡をもそのオリジナリティーとして含むのであれば、もはやそれは最初の・本来の・原形・原本 を指し示すモノではなく、それは誰かがある作品の創造の後につくり出し、与えた新たな価値であり、芸術作品と同じように、人が創造した恣意的なイメージとは言えまいか。私たちは作品製作後の変化、現象や症状に加えて、さらに自らがつくり出し、新たにまとわりつけた物事をないまぜにして『オリジナル』 とか『オリジナリティー』と言ってはいないか。

2025/07/22改訂

チェザーレ・ブランディ https://en.wikipedia.org/wiki/Cesare_Brandi

『修復の理論』
[著者]チェーザレ・ブランディ
[監訳者]小佐野重利
[訳者]池上英洋大竹秀実
2005年6月30日/A5判並製/288頁/ISBN978-4-88303-159-7

2025年4月17日 (木)

飲まざるを得ない両義性

ギリシャ神話『パルマケイアの泉』 

その泉の水はとても美味しく、病気を治す効果があった。しかしこの泉には怪しい伝説があり、その泉のほとりでポレアス(北風)にさらわれた若き乙女オーレイテュイアが泉の辺で遊んでいた際に、ポレアスに押されて奈落の底に落とされてしまう、、、。  

『その泉の水は大変おいしいので人はこぞって飲みたがるが、このおいしい泉の水を飲んだものは皆泉にひきこまれて死ぬ』

この泉の水は「美味しくて、病気を治す」と言うとても飲みたいものであり、かつ「飲むとそこに引き込まれて死ぬ」。つまり「死ぬとわかっていても飲まずにはいられない」という薬であり、毒薬である。

薬局のことを英語でファーマーシー=pharmacyというが、その語源はギリシア語パルマコンあるいはファルマコン(pharmakon=パルマケイヤの泉が由来)。パルマコンとは、治療薬でありかつ毒薬でもある、とうい二面性を持った(決してどちらかにはなり得ない)概念。「良薬は口に苦し」と言う言葉があるように、薬というものは実は今日に至ってもなお、命を脅かす側面もあり(死に至るような強い副作用がある薬がある)、薬物の本来的な両義性を適切にコントロールするために薬理学(pharmacology)が生まれたと言われている。いまだに私たちの記憶に新しいコロナウィルスが世界を蔓延した際、何度も接種を重ねたワクチンにもまた、発症の予防や重症化を防ぐ効能がある反面、発熱するなどの副作用(私も接種のたびに発熱した)があり、きっと接種に疑問を持ったり、それでも接種しなければ不安だし、、、。などと思い悩んだ人は大勢いるに違いない。

一方、私たちの世界。芸術品の修復に関する話である。レストラン=Restaurantの語源はフランス語のRestaurer。由来は、ラテン語のRestauroで、『良い状態にする』『回復する』『元気づける』というような意味を持ち、これが修理や修復『Restore』に繋がっていることをご存知の方もいるだろう。『Restauro / 修復』は対象を良い状態にし、対象に見出され、与えられた価値を回復する効用、効果がある(だから修復したい)一方で、対象の現状から何かを取り除いたり、何かを付け加えたりして、その現状を変化させるようなある害(毒性)を持った行為であり、薬と同じように両義性がある。

2025年4月 8日 (火)

歴史の断片を残す

数百年の歳月を経て人々に守られ、今日まで大切に受け継がれてきた文化財(ここでは国や地方、地域の指定文化財に限らず、広く芸術作品や文化的、歴史的に重要な資料として)には、それなりの劣化や損傷があるもので、そこには数々の重層的な手入れ、修復が施されているものも多い。今、私の前には製作後およそ500年ほど経た絵巻物がある。長きに渡っての利用の結果か、その画用紙は磨滅して擦り切れ、あちこちに折れ皺が寄り、虫やカビによる被害も多い。そして、それを長らえるように、その傷を治めるために尽力した人々の歴史の証として、様々な処置が施され、修復のための材料が加えられている。
こういった書画の
修復に際しては、基本的には古い修復材料は取り除き、現在最も安全と思われる材料と置き換えることが多いのだけれども、過去に加えた修理材料が安定していて、今修復する対象に被害を及ばさなければ(例えば作品を汚染、侵食したり、景観を損ねる様なことがなければ)、私は場合によって必要と思われる調整をして、あえて残すこともある(その選択肢はいつも持っている様にしている)。昔の修復跡には、今日私たちが目も当てられないような雑なものもあるけれど、中には良い処置が施してあり、処置に使った材料も悪くなく、それなりに経年劣化もして作品とよくマッチしていることもあるのだ。

私たちが修復をして、それを未来に長らえさせようとする物は皆、今日までに長く遥かな歴史の中で、様々な変化、物事を纏っているから、それはそれで失い難い貴重なモノと考えることができるだろう。ちょっと身近で例えるならば、骨董などといった趣向も、経年による劣化とか、長く利用することによって生じた変化など(その痕跡)に対して、同じ様に高い評価、価値を与えている。
私達修復家は、作品を単なる物質として修理するのではなく、稀有な人の創造物として敬意を払い、さらにそこに纏わり付いた歴史的な事象をも守り、延命させることが、また大切なのである。

以前、レンブラントの「夜警」を模写した。でもこの作品は「夜」を描いた作品ではない。制作後に塗布されたニス(透明樹脂)の経年劣化によって変色を来した結果、人々は『夜』の情景と勘違いをし、そう呼ばれはじめたことはよく知られているかと思う。現在、この作品が展示されているアムステルダムのアムステルダム国立美術館(オランダ)では修復作業が進められているけれど、古いニスを全部取り去って、「朝警」とか「昼警」にされることはないだろう。

Strip-off
過去には不用意に、粗雑な処置をしてあることも少なく無い。
作品に害を及ぼしたり、景観を損ねる様な古い処置痕、修理材は取り除いて再修復する。

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