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2025年3月

2025年3月20日 (木)

補彩という修復家の意図

絵画上にある色面や描線が劣化や損傷の結果欠けた場合、ここに施す補助的な彩色を私たち修復家は『補彩』と呼んでいる。この補彩については色々な考え方があり、基本的には欠けた色彩が不明であったり、描線の行方が分からない場合には、あまり手を加えないが、何もしないと損傷部分が目立つ場合、著しく鑑賞の妨げとなる場合については、所有者や管理者と相談の上処置をする。

補彩する場合は損傷部に限定して行い、原則としてオリジナルの画布や画用紙の上に直接的な彩色を行わないようにする。さらに使う顔料、絵の具についてもオリジナルと同じものは使わない。
油彩画の場合には、あらかじめ画布の上に地塗り(たいてい白い絵の具が塗られており、この上に絵画層、絵の具が乗っかっている)層があるため、絵の具が剥がれ落ちて、画布がむき出しになっている様な状態の場合、欠けた部分に樹脂など充填(被覆)して周囲の筆致、画面形状に合わせて表層をならし、絵の具を塗ることができる。一方の薄い画用紙や絹織物に直接的に絵の具を染み込ませるように描画する伝統的な東洋絵画の場合は、たとえ補填した画用紙や画布部分にのみ彩色をしたとしても、不用意に補彩を行なった場合はその周囲にも絵の具が染み込みやすいため、とくに処置は難しくなる。こんな材料素材の問題もあってか、
西洋絵画、油彩画の場合は欠損部(欠けた描画)への補彩を比較的積極的に行う傾向にあり、東洋絵画の場合は消極的。東洋絵画の欠損部分への処置は周囲の色調や画布、画用紙の地色に合わせた彩色を行うか、やや明るい色で彩色を行って済ませ、描線、描画は行わないことがある。

補彩はその作品の管理者や所有者にとって、最も修復結果、その印象をを大きく左右するものであり、だからこそそこへ求める結果についてはその人の経験や立場によって変わってくる。処置する作品が重要な作品であればあるほど、それは慎重さが要求されるし、たとえば市場にあって、商品である作品に対しては、処置した部分が出来るだけわからなくなることを望まれることも多い。
補彩のレベル、その完成具合については、あくまでその作品の所有者や管理者の意向に沿うべきと考えるが、その意向についても、明確な数値のようなものを示されるようなことはなく、実際のところのその目標は結構曖昧である。一方の私たち修復家はといえば、日頃から重箱の隅を突っつくように作品を観察し、細かな問題も逃さない観察眼を持っているから、どんな些細な傷も目立って見えてしまうし、私たちが勝手に満足のゆく処置をした場合は、その処置が他の専門家にとっては過剰な処置と思われたり、専門家が良しと思っても一般の顧客には結構目に障る処置結果となってしまうかもしれない。修復家が全ての顧客を満足させることは難しい。

私が補彩を行う場合は、絵画を鑑賞する際に損傷部分に視線が捕らわれないことを基本目標にするが、顧客の考えや求めに応じて、またその作品の内容や利用のされ方によって、そのレベルを調整して、補彩をしない様勧めることもあるし、補彩をしてもある程度目に止まるような(例えるならば、小さな魚の骨が喉に引っかかったような感じに)処置をする場合もある。
補彩をする際には、作品からおよそ1メートルほど離れて、作品全体をぼーっと見たときに(これが結構難しいのだが)、およそ損傷部分に目が捕らわれないような処置を目指す。そして私自身が納得のゆく状態になった時に、日頃より芸術にさほど関心のない妻と、音楽や芸術に関心のある我が子に鑑賞をしてもらう。専門家ではない彼らに鑑賞をしてもらうことによって、ある意味多少の客観性を持つということにして、処置部分を指摘しなければ『気にならない』、近づいて処置部分を注視しなければ『わからない』程度に処置をする様にしている。

あえて補彩をしない場合を除いて、私たち修復が技術を尽くせば、多くの人々にとって、補彩した箇所はおよそ違和感のない状態に仕上げられるだろう。しかし、ここで問題になるのは、この補助的な彩色が、その作品本来のオリジナルな状態に、実際に手を加えることになり、たとえ顧客の希望を叶えるための処置だとしても、そこに修復家の裁量、意図が加わるということである。
私たち修復家にとっては、作品の現存する状態を延命させることが重要であり、出来るだけそこに手を加えない(何かを付け足したり除いたりしないようにすること)ことを大切なことと考えているが、補彩という行為は絵画の鑑賞性を大きく左右するため、最も望まれる処置であり、だからとても難しく、悩ましく、また重要な処置となるのだと思う。

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中央部分、描画が欠けている部分が修復した箇所。欠損した箇所の描線の行方、描画状況がよくわからない場合は、欠損部に別途画布や画用紙を充填し、この部分をオリジナルの画用紙、画布の色調に合わせて彩色して欠損部の違和感をなくす。

 

 

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