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2025年1月 6日 (月)

豊国との再会

歌川豊国は江戸時代(明和6年/1769年~文政8年/1825)に活躍した浮世絵師で、役者絵や美人画で大きな人気を博した人物である。私はこれまでに何度か、豊国の浮世絵版画の修復をした経験があるが、かつての浮世絵の蒐集家の中には、作品を束ねて本にして保管している例も多かった。当時の浮世絵は現代で言うところの人気の俳優、歌手、スポーツ選手などのブロマイド(ハガキ大にプリントされた写真)のようなもので、今ならば、集めたものをクリアフォルダーか何かに収めたような感じと言って良いだろうか。製本するとたくさんの作品をひとまとめにすることもでき、手にとって一度に多くの作品を眺めることもできる。製本にすると、鑑賞に利用しないときには閉じられて、作品が外界から遮断されるため、ある意味作品が外界から遮断され、汚れたり、光による変色、退色からも免れる。浮世絵を本に装幀をする場合は、作品に裏打ちをするか、背中合わせに(背面どうし)貼り合わせて1ページとし、長辺の片方を糸綴じするか糊付けして束ね、染めた和紙などで作った表紙を取り付ける。

浮世絵を本のように束ねると、一度にたくさんの作品を鑑賞することができる。管理するのも便利だし、さらに作品が保護されるメリットもあるし、今日までに長い間、多くの作品が散逸せずに残されたことを考えれば、実はとても良い装幀方法であったと考えることも出来ようが、今日ではこの装幀様式が好まれず、また忌み嫌われる傾向が強い。その理由はいくつかあるのだけれど、まず、作品を裏打ちすることが問題で、浮世絵の絵の具は展色材(接着剤)が入っていないため水に溶けやすく、水分を多く含んだ糊で裏打ちすると絵の具が溶け出し、滲んだり、裏打ち紙に吸収される。作品を背中どうし糊付けするなど以ての外で、お互いの絵の具を双方に移動させ、美しい色、図柄を台無しにしてしまうのだ。
浮世絵には必ず絵画の周囲に余白が設けられ、ここに擦り元の情報などが印刷されてあるため、資料価値が高いのだが、当時の人には無用なものと思ったのか、製本する際にはこの部分を全て切り取ってしまう例も多い。
浮世絵の研究が進んだ昨今では、バレン(摺り、印刷の際に版木の上に乗せた紙をこすって圧をかけ、版木に塗布した絵の具を紙へ転写させるための道具)の跡が残る裏面が観察できるということも重要で、専門家にとっては背面が覆われてしまう製本は論外なのである。

実際に私も、随分と前のことになるけれど、数百枚の浮世絵を和綴じにした本を何度か目にしており、これを解装して裏打ちを剥がし取り、もとの一枚の作品に戻す作業を何度かした経験がある(https://nyushodo.com/report002.html)。そして最近、久々に、製本された多数の豊国の浮世絵版画作品が私の工房に持ち込まれた。この作品の装幀は『帖』(【じょう】折り本、折り手本のこと)と呼ばれる装幀がされており、作品は先述のように周囲の余白を裁断して整え、裏打ちし、長辺どうしを糊付けして横に繋げたのち、蛇腹帖に折りたたみ、厚紙に牡丹の花を印刷した美しい表紙が取り付けられていた。

今回預かったこの作品は、経年劣化によって作品の接合部や表紙の取り付け部分が剥がれ、一部は分離した状態となってしまったことから修復を依頼された。近年の保存修復のトレンドからすると、解装によって作品一枚一枚を分離することが望まれるが、今回は製本されたその姿形自体を貴重なものとして取り扱われており、現在の装幀を変えることなく、部分的、応急的な修復処置が求められた。

私はこの修復の指針、希望を、一修復家として少し嬉しく思った。この製本をした人は、浮世絵が水分に弱いという弱点を知っていたか、実に巧妙に裏打ちされ、絵の具が滲んだり、裏打ち紙に吸収されることもごく最小限に抑えられており、なかなか腕の立つ職人が装幀したのだろう。
今日においては伝統的な過去の装幀もまた、残しかた、その方法論を構築すべきであると思う。浮世絵の製本というのも、ある一つの文化的、歴史的に大きな意味と価値ある人の生み出した創造物である。

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