残すもの取り除くもの ー扁額の修復処置ー
最近修復処置を行った扁額(墨書/https://nyushodo.com/report014.html)は、現在の状態をできるだけ残したいという要望のもとに作業を進めていった。伝統的な扁額は、作品を保護するようなガラスの装着もなく、家屋の天井近く、長押板【なげしいた】の上にのせるようにして、ちょっと下を向くように壁に掛けて鑑賞をする。高い場所に置かれることもあってか、一度展示するとそのまま放置されることが多く、表裏共にむき出しの状態になっているので、修復を依頼されるときには結構な塵埃が堆積しており、長い間光にさらされているために変退色も進み、温度や湿度の影響をダイレクトに受けているため劣化もかなり進んでいることが多い。
今回処置した作品も、表装部分、背面に貼られた唐紙共に劣化が著しく、揮毫された文字の墨は定着力を失って、粉化した墨の粉末が散乱し、背面に貼られていた唐紙には大きな破損と部分的な材料欠失があり、調査当初よりそれなりの覚悟をしていたものの、そのフタを開けて見れば、思った通りのこともあり、想定外の問題もあり、結局いつもの通り。一筋縄ではいかない仕事となった。
修復処置にあたっては、まず縁を取り外すのだが、これがまた厄介で、固定のために打ち込まれていた釘が錆びてしまっていて容易に引き抜けない。釘の頭の部分をペンチなどでうまく掴んでも、引き上げようとすると釘が崩れてくる。今回は縁も再利用することとなっていたため、出来るだけ傷付けないよう作業を進めたが、錆びた釘を放置しておくことも良くない(周囲の木材が腐朽する)ので、彫刻刀やルーターを使って、虫歯の治療のように変色していた釘の周囲を最小限削り取り、隙間から先の細いペンチなどを差し込んで、辛くも全て引き抜いた。もちろん、この釘は再利用できない。
表の本紙と古い表装材料は接着剤も劣化していたことから、当初の予想より楽に分離できたが、大きな破損があった裏面の唐紙は思った通り。不用意に力を加えるとポロポロと紙が崩れてくるので、とにかく慎重に作業を進める必要があり、久しぶりに緊張した時間を過ごさせてくれた。
本紙と古い表装材(鳥の子紙と思われる)、裏面の唐紙も、長い間外界に曝されて来ているため、汚れも変色も著しく、洗浄する必要があったが、本紙と表装材については、その紙質の違いから、洗浄によって伸縮の違いが生じないように、分離しないまま洗浄する方法を用い、大破していた唐紙についても、残存している部分をいったん綺麗に元に戻し、仮固定した状態で洗浄処置を行なった。
今回の修復作業において、最大の問題が下骨(【したぼね】杉角材で作った格子状の構造材)の取り扱いであった。今回はこの下骨についても再利用する予定で解体を進めてみたものの、古い下張り紙を剥がして出てきたのは、継ぎ接ぎだらけの寄せ集めの材料だった。あろうことか、最も頑丈に作らなければならない外周の框材には、襖の縁を加工したと思われるものが使われ、ホゾ穴が等間隔で開けられており、中央に計4箇所ほどあった桟材の接合(角材の継ぎ接ぎ)箇所に打ち込まれていた木ネジや釘はサビが酷く、周囲の木材は黒くなって腐朽し、指で軽く押しただけで崩れるような状態となっていた。
この下骨は物のない時分に制作されたものか、あるいは経済的制約かあったのか、それとも手近にあった材料を使っただけなのか、額装した表具店周辺の物資の流通にも問題もあったかもしれない、、、。この脆弱な寄せ集めの下骨も、見方によってはそれなりの工夫が見られ、とてもユニークな作り、形態をしており、独創的であった(この下骨材は資料の一部として別途保管されている)。
このような下骨も、なんとか再利用をすることは可能であろうが、この下骨は額の主要な構造材となり、作品を固定する土台ともなることから、今後のことを考えて、私は新しい材料との交換を強く勧め、受け入れてもらった。
新しい下骨は良質の杉材、白太材を使い、下張り6層(骨紙貼り、胴貼り、蓑掛け3層、蓑押さえ、下受け貼り、上受け貼り)を行なって、修復した作品、表装材、唐紙を貼り合わせ、縁も元あったものを修復、清掃して再取り付けした。
はるかな時を超えて、老化、劣化、腐朽し、大きく傷ついた作品を残してゆくのは、技術的にも難しく、修復した後の取り扱いも決して楽にはならない。傷んだ箇所を修復して、ぱっと見は綺麗にすることも、ある程度丈夫にすることもできるのだけれども、今あるその姿形、質感のようなものまでを残そうとすると、処置にも制約が生じ、出来ることが少なくなって、処置後も問題を内包したまま顧客に返却をすることになるので、その後の所有者や管理者にも負担が生じる。
修復技術者の最も大切な使命は、今ある姿や形を『残す』ことと『延命』にあると考えているが、実際に長くこの仕事をしていると、それを両立させることが難しいケースも少なくない。残すことで短命になったり、除くこと、捨てることでより延命につながることもあり、さらには視覚的に良好になったり、元来持っていた機能が改善されることもある(そういったことを望まれるケースも多い)。
大切に、長く守られてきたものほど何を残し、何を取り除くかを選ぶことは難しい。
そこにどんな価値を見出すのか、それは残す価値がないのか。
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