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2024年3月27日 (水)

柳宗悦の審美眼の行方

思想家の柳宗悦は、日常で使用する什器に美しさを見いだし、製作する職人の手仕事に高い価値を見出した人物である。彼はのちに、陶芸家の富本憲吉、濱田庄司、河井寛次郎らとともに 庶民の暮らしの中から生まれた美の世界(柳が見出した美の世界)を紹介する活動を始め、以後共鳴者を増やしながら、それはやがて民藝運動へとつながってゆく。

柳は民藝運動の祖とされており、彼らの運動によって、様々な地域で生産される食器や家具、衣服(織物)、道具が広く知られるようになり、その価値も、生産者(職人)も高く評価されるようになったが、最近の研究によると、柳はこの運動によって波及する民藝趣味やその大衆化を望んでいたのではなかったようだ。

目黒区の駒場にある日本民藝館は、柳らが見出し、創り出した『民藝』という美の概念を広く社会に紹介するために、その本拠地として建てられた施設であり、私も何度か足を運んだことがある。日本民藝館はその建物自体もとても素晴らしいもので、隅々に伝統的な日本家屋の工法の髄を極めた作りにも魅了される。中に入れば、柳が日本各地、諸外国から集めてきた工芸品が展示されていて、それはどれも皆、柳の審美眼による選りすぐりのものばかりで、その中にはかなり個性的で、一風変わったものも展示されている。
民藝館を訪れると良くわかるような気がするのだが、彼が言うところの『民藝』とは、毎日手仕事により作られる数多の什器の中から『希に』『たまたま』生まれ出てくる『希少な』『選りすぐりな』一品を指して民藝の素晴らしさを謳ったのであり、その土壌や生産者の可能性をも評価はしてはいたのだろうけれど、彼の審美眼が捉えるもの以外は、その対象とは考えていなかった(興味もなかったろう)ようだ。
柳の創造した美の世界は、広く大衆に紹介される途中で、いつか自分の意図していない方向へと変化しながら拡散して、気がつけば何でもありの大雑把な民藝となってしまったようである。竹中均さんの著書によれば、『柳本来の意図とは異なった 民藝趣味 民藝の大衆化 下手物のアウラ化 が起こった』とある。

今日も柳宗悦は民藝運動の祖と呼んで誤りはないと思うけれど、民藝運動とは、実は彼の経験に基づく審美眼、美意識を追求し、構築するための作業であり、それを熟成、成就させるための運動であったよううに思う。それは人の創り出した物への新たな発見、それまで存在しなかった価値観の創造でもあるのだろう。でも、考え方次第では、たとえ柳が不本意であったとしても、彼が思わぬ形になったとしても、柳の運動を契機に、大衆から新たな美意識や審美眼が、価値観の創造がなされたと見ることもできるだろう。そういった民藝運動でもあったのだろうと私は思う。

私たちが今対峙している美術品も、いつかきっと誰かの審美眼に、新しい価値観に捉えられ、新たな存在意味をもたらされるのだろう。

 

日本民藝館<https://mingeikan.or.jp>

竹中均著:柳宗悦・民藝・社会論 ーカルチェラル・スタディーズの試みー

 

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