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2024年3月 5日 (火)

物か価値か

私たち人間は色々なものに価値を見出してきた。この価値観が、自然界にある物から何かを作りだす材料を見出し、道具を作り、またその道具駆使して、私たちはこの自然界には存在しなかった新しい何かを生み出してきた。芸術の世界で言うならば、綺麗な色をした石を砕き、接着剤となる油や膠を混ぜ、植物の繊維を編んだ布や紙に何らかの図像を記すことで絵画というものが成り立ってきた。それは石に、草や木々に様々な利用価値を見いだしてきた人間のなんと素晴らしい想像力だろうかと思う。

私の手元に清源寺仁王像修復の全記録という冊子がある。これは山形県にある古刹、清源寺に安置されていた赤く塗られた仏像の修復記録である。この二対の像、阿行吽行像は、製作後およそ250年を経て老朽化著しく、自立することができなくなり、修復が行われることになった。そして、ここで大きな問題となったのが、修復の着地点、修復後の状態である。

現代の修復理念、哲学によれば、仏像など伝統工法によって作られた古典的彫刻は、製作当初の姿形を再現することが良しとされ、製作後によく行われた漆塗装や彩色は取り除く傾向がある。詳細な調査により、この仁王像も、赤い塗装膜は製作後しばらく立ってから塗装されたことが判明したが、本像は長く檀家や民間に『おにょろさま』『赤い仁王様』として親しまれ、信仰の対象としての存在価値が高く、二対の像は赤く塗られていなければその存在価値はなかった。
修復を担当した(有)東北古典彫刻研究所の所長であった牧野隆夫さんは、大学で文化財の保存修復学を教えていた手前、修復に携わる若い修復家達に、それを信仰の対象とする人々の思い、その価値観を理解させ、元の赤い仁王にすることを納得させることを、心苦しくも思ったとおっしゃっていたのを覚えている。
彼らは苦肉の策として、二像をいったん理想的な修復状態(塗装のない状態)として、詳細な写真記録を取り、その後像全体に和紙貼って覆い隠して、塗装膜との絶縁層を形成し、この和紙の上から檀家が望む赤色に彩色した。その修復結果は、文化財の修復理念、哲学には離反しているのかもしれないけれど、私はこの仕事を高く評価したいと思っている。

人が作り出した物はみな、製作者が何かに価値を見出して生まれ、それが残る、残されるのは、そこにまた、新たに見出される人々の価値があるからに他ならない。それを大切に守り、受け継がれるためには、人々が、今、価値を見出していなければならないのだと思う。

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