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2024年3月

2024年3月28日 (木)

修復と言う名の支配

3月24日に東京芸術大学で開催された国際シンポジウム、『未完の修復』で登壇された文化人類学者の古谷嘉章さんは、アマゾンの奥地で発掘される土器の話をされる中で、出土された土器が近隣の人々が使う水瓶になったり、お土産として売る複製品の元になったりするという話をされていたのが印象深かった。彼の話の中で一番気にかかったのが、考古学が発達すると『考古学がそれを支配するようになる』という発言であった。
考古学者が埋蔵していた土器を発掘した瞬間から、それは埋蔵文化財、歴史資料となり、調査、研究の対象となる、土器の断片は詳しく調べられて、制作当初の姿形を追求して関係に復元されたり、博物館に持ち込まれればガラスケースの中に入れられた展示物となる。そうなってしまっては、もはや地元の人が再利用することもお土産品の元として扱うことさえできなくなる、、、。

私は個人を始め、大学の研究機関や公共の美術館、博物館、資料館など、様々な人、環境に置かれ、利用されている美術品や歴史資料の修復を長く行ってきたのだけれど、預かる作品や資料の修復に求められるイメージはそれぞれに皆異なった。私たちのような修復家は、よく『オリジナリティー』を守ろうとか、大切にしようというけれど、このオリジナリティーというのも解釈の幅があり、そのイメージは人の経験や学習、価値観によって揺れ動き、製作後にはるかな時を経てきた物であれば、オリジナルな状態、元の状態、その時点を特定することも難しい。
一方、
私たち修復家といえば、壊れた物や劣化した物を巧妙に取り繕うことはできたとしても、それは修復という技術の下に損傷や劣化を見え難くすることがせいぜいで、実際には、物に刻まれた過去の経験や履歴の地層のようなものを部分的に取り除いたり、覆い隠してしまったりすることである。 私たち人間は、タイムマシーンでも持たない限り、実際には痛んだり老朽化した物を元の状態に戻すことはできないのだが、それをして修復という。

私たちがオリジナリティーと呼ぶものは、物の一部を捉えたり、示しているところはあるかもしれないけれど、実は多くの部分で、私たちが心象に作り出す、その理想像であったり、自らの経験や価値観が捉えたイメージとなってはいないだろうか。
そして、修復するということは、それを守り、残そうとする、そうしたいと願う人々の大切にするそのイメージこそ確保し、それこそを永らえさせようとすることが望まれる、人の意図的、恣意的な行為なのではないだろうか。

それは本当にオリジナル、オリジナリティーと呼ぶことができるのだろうか。
私たちのイメージの元に物を支配するということには繋がらないか。

2024年3月27日 (水)

写真はオワコンか

最近の若い人々、通称Z世代を中心に、フィルムカメラが密かなブームになっているようだ。

私は中学生の頃にカメラに夢中になり、安い引き伸ばし機を手に入れて、自らフィルムの現像からモノクロのプリントするまで、写真の基本的な技術を習得した。あの頃、夏休みになると、長い時間暗室に仕立てた風呂場に一人こもり、汗だくになって写真をプリントした。現像液にプリント用紙を漬けると、にわかに自分が写し撮った図像が現れてくるその瞬間に感動を覚えたものである。

最近カメラ店を訪ねてくる人の中には、『綺麗に撮れないカメラはあるか』と訪ねてくる人もいるそうである。どうも言葉に語弊があるようだが、適当に撮っても綺麗に、それなりに良い写真が撮れてしまうスマートフォンの画像に飽きたのか、ピントを合わせるのさえ慣れないと難しいアナログなカメラに、慣れなければうまく撮れないカメラの画像に興味を持ったようだが、どうも、それは私のように写真の伝統的な技法や技術に興味を持ったのとは様子が異なるようだ。
最近の写真屋さんではフィルムカメラで撮った画像をデジタル化してもらえるそうで、Z世代の人達はそれもよく知っていて、撮影したデーターをデジタル化した後のフィルムは廃棄処分してもらう人が多いそうである。撮影した画像はプリントされることもなく、スマートフォンなどのデジタルディバイスに納まり、そこから見ることが出来さえすれば良いようで、あるいは伝統的、すでに古典的といっても良いかもしれない写真、そのモノ(物質)自体はもはや必要とされなくなってしまったのだろう。

今や写真の取り扱い方も随分と変わってきたようだ。私も結構長くコンピューターやデジタルガジェットを使い続けてきた(もはや愛用さえしている)が、デジタル化した画像データは、その管理者や持ち主がいなくなったら、一体どうなってしまうのだろう。いつか宇宙のように広大にになるかもしれないクラウドコンピューターシステムの中に漂い続けるのだろうか。それは今日まではるか100年を超えて残っている写真の寿命を超えるのか。もはやかつての写真技術はオワコンになったのか。Z世代は写真の世界に新風を巻き起こすか。

 

親友である志村正治さんからのメールに寄せて

 

Z世代のフィルムカメラブーム、驚きだらけ ネガは捨てる、オリンパスμだけが欲しい

<https://news.mynavi.jp/article/20240313-2903885/>

柳宗悦の審美眼の行方

思想家の柳宗悦は、日常で使用する什器に美しさを見いだし、製作する職人の手仕事に高い価値を見出した人物である。彼はのちに、陶芸家の富本憲吉、濱田庄司、河井寛次郎らとともに 庶民の暮らしの中から生まれた美の世界(柳が見出した美の世界)を紹介する活動を始め、以後共鳴者を増やしながら、それはやがて民藝運動へとつながってゆく。

柳は民藝運動の祖とされており、彼らの運動によって、様々な地域で生産される食器や家具、衣服(織物)、道具が広く知られるようになり、その価値も、生産者(職人)も高く評価されるようになったが、最近の研究によると、柳はこの運動によって波及する民藝趣味やその大衆化を望んでいたのではなかったようだ。

目黒区の駒場にある日本民藝館は、柳らが見出し、創り出した『民藝』という美の概念を広く社会に紹介するために、その本拠地として建てられた施設であり、私も何度か足を運んだことがある。日本民藝館はその建物自体もとても素晴らしいもので、隅々に伝統的な日本家屋の工法の髄を極めた作りにも魅了される。中に入れば、柳が日本各地、諸外国から集めてきた工芸品が展示されていて、それはどれも皆、柳の審美眼による選りすぐりのものばかりで、その中にはかなり個性的で、一風変わったものも展示されている。
民藝館を訪れると良くわかるような気がするのだが、彼が言うところの『民藝』とは、毎日手仕事により作られる数多の什器の中から『希に』『たまたま』生まれ出てくる『希少な』『選りすぐりな』一品を指して民藝の素晴らしさを謳ったのであり、その土壌や生産者の可能性をも評価はしてはいたのだろうけれど、彼の審美眼が捉えるもの以外は、その対象とは考えていなかった(興味もなかったろう)ようだ。
柳の創造した美の世界は、広く大衆に紹介される途中で、いつか自分の意図していない方向へと変化しながら拡散して、気がつけば何でもありの大雑把な民藝となってしまったようである。竹中均さんの著書によれば、『柳本来の意図とは異なった 民藝趣味 民藝の大衆化 下手物のアウラ化 が起こった』とある。

今日も柳宗悦は民藝運動の祖と呼んで誤りはないと思うけれど、民藝運動とは、実は彼の経験に基づく審美眼、美意識を追求し、構築するための作業であり、それを熟成、成就させるための運動であったよううに思う。それは人の創り出した物への新たな発見、それまで存在しなかった価値観の創造でもあるのだろう。でも、考え方次第では、たとえ柳が不本意であったとしても、彼が思わぬ形になったとしても、柳の運動を契機に、大衆から新たな美意識や審美眼が、価値観の創造がなされたと見ることもできるだろう。そういった民藝運動でもあったのだろうと私は思う。

私たちが今対峙している美術品も、いつかきっと誰かの審美眼に、新しい価値観に捉えられ、新たな存在意味をもたらされるのだろう。

 

日本民藝館<https://mingeikan.or.jp>

竹中均著:柳宗悦・民藝・社会論 ーカルチェラル・スタディーズの試みー

 

2024年3月25日 (月)

オリジナリティはどこにあるのか

文化財の保存や修復に携わるものは、よく『オリジナリティー』という言葉を使う。かくいう私自身も、自分の運営するインターネットサイトでよく使っている言葉でもある。オリジナリティーとは、元々は最初のものという意味で、独自のものとして、何かに加工される前の元とか、例えば複製品に対しても使う言葉であるという。

太古の昔の話。アマゾンの奥地あたりに散在する集落では、互いの集落へ訪問する際に、自分たちで作った焼き物(器)を土産物として持参した。それは訪ねた集落の長に手渡されるのだが、なんと長はそれを割ってしまい、その破片を集落に住む人々に分け与えるという習慣があったそうである。そこで贈与される焼き物は、破壊される(分割される)ことを前提として作られ、壊された破片を民に分け与えられることによって価値、意味が成り立っていたのだ。

太古に製作された土器やその破片は日本国内のあちこちで出土されている。私の住む町の近くでも、縄文時代の住居跡が見つかっており、近隣の博物館では出土した土器の破片を寄せ集めて復元した土器が飾られている。
私の古い友人はかつて考古学を勉強していて、彼のところに遊びに行くと、出土した土器の破片や綺麗に成形された鏃を片手にいろいろな話をしてくれた。土器の破片に刻まれた模様を手繰ってゆくと、途切れたその先が見たくなる。一体、元はどんな文様だったのか、かつてこの器の形はどんなものだったのか知りたくなってくる。集められた破片を一つ一つつぶさに調べ、つなぎ合わせておよそ完形となる作業を見たときには、感動さえ覚えた。
それから数十年を経て、今あの時のことを思い出すと、果たしてあの修復作業のような行為は正しかったのだろうかなどと考える。元の姿形に戻してしまえば、割れた元の状態は無くなってしまう。もし、割れた状態に歴史的な意味があり、ある完成形であるとするならば(完形という状態が過程に過ぎなかったのならば)、完形に戻すことはオリジナリティーの保護に反する行為となるだろう。

人が作った物の中には、人や時を経て姿形を変えて良しとするものもある。日本の茶道においては『侘び寂び』などと言った美意識があり、使い古した道具、欠けたりヒビの入った器に価値を見出そうとする姿勢がある。これは、かのチェザーレ・ブランディのいう人と時の介在(その事実)を保存の対象として視野に入れようとする姿勢に近しいのではないだろうか。

でも、こういった考え方はオリジナリティーのありかをどこか不明瞭にし、私たちのような修復家やそれを保存管理する人々を惑わせ悩ませる。
オリジナリティーはどこにあるのか。それは守るべきものか。

 

国際シンポジウム『未完の修復』に参加して

2024年3月 8日 (金)

絵画の一期一会

ジャズという音楽ジャンルに新しい道を切り開いたエリック・ドルフィーは、『音楽というのは演奏を始めた瞬間から大気の中に消えていってしまい、私たちは二度とそれを取り戻すことはできない』と言った。

短い曲でもいい。長い曲であるならばなお、演奏者のその時の体のコンディションや精神のあり方次第で演奏も変わるだろう。私も若かりし頃、好きなアーチストのコンサート、ライブ会場によく足を運んだが、それはレコードで聴いていたものとは全然違うし、当人のコンディション以外にも、会場の作りとか、集まった客によってもパフォーマンスは変わってくる。生演奏、ライブというのはそういうものかともう。

昨今デジタル化された音源や映像の中には、往古の貴重なの生演奏を見たり聴くことができるものもあるが、例えその演奏を記録して、再生することがいつでも可能となったとしても、当時の演奏された場所の空気、湿度や温度、はたまた匂いのようなものを残し、再現することは今もできない。その場にいて見たり聞いたりすることと、CDや携帯端末から聴く音は全く違うものだ。

初めてアンリ・ルソーの絵画作品を見たときには、描かれた人と建物や動植物背景の大きさもメチャクチャで、まるで子供の塗り絵みたいだなあと思ったものだ。しかし、この仕事をについてしばらくして、パリのオルセー美術館で『蛇使いの女』と対峙した時は、あたかもそこから放たれた妖気のような何かに絡みつかれるように、奥深いジャングルの湿った、生暖かい空気に包まれるような不思議な感覚にとらわれ、この絵画の怪しくも不思議な世界にすっかりと魅了されてしまい、しばらくその場を動くことが出来なくなった。

茶道の席ではよく『一期一会』という言葉が使われる。その時、その場所で、その瞬間だけ得ることのできる感覚や印象、そういった体験は音楽や絵画だけに留まらず、私たちの周りをよく注視すれば、いつでもそんな一瞬と遭遇できるのだろう。
私は体力、健康を維持するために、趣味方々、毎週30~40キロ程度のサイクリングをしているのだけれど、同じコースを走っていると、時間や季節によって体感する温度や湿度、空気の香りも変わって来るのがよくわかる。いつも目にする風景も注意深く見てみると、またなんとなく違って見えて、その印象、気持ちを味わうこともまた楽しい。

いつも見ている一枚の絵画も、明日はまた違って見えるかもしれない。

2024年3月 5日 (火)

物か価値か

私たち人間は色々なものに価値を見出してきた。この価値観が、自然界にある物から何かを作りだす材料を見出し、道具を作り、またその道具駆使して、私たちはこの自然界には存在しなかった新しい何かを生み出してきた。芸術の世界で言うならば、綺麗な色をした石を砕き、接着剤となる油や膠を混ぜ、植物の繊維を編んだ布や紙に何らかの図像を記すことで絵画というものが成り立ってきた。それは石に、草や木々に様々な利用価値を見いだしてきた人間のなんと素晴らしい想像力だろうかと思う。

私の手元に清源寺仁王像修復の全記録という冊子がある。これは山形県にある古刹、清源寺に安置されていた赤く塗られた仏像の修復記録である。この二対の像、阿行吽行像は、製作後およそ250年を経て老朽化著しく、自立することができなくなり、修復が行われることになった。そして、ここで大きな問題となったのが、修復の着地点、修復後の状態である。

現代の修復理念、哲学によれば、仏像など伝統工法によって作られた古典的彫刻は、製作当初の姿形を再現することが良しとされ、製作後によく行われた漆塗装や彩色は取り除く傾向がある。詳細な調査により、この仁王像も、赤い塗装膜は製作後しばらく立ってから塗装されたことが判明したが、本像は長く檀家や民間に『おにょろさま』『赤い仁王様』として親しまれ、信仰の対象としての存在価値が高く、二対の像は赤く塗られていなければその存在価値はなかった。
修復を担当した(有)東北古典彫刻研究所の所長であった牧野隆夫さんは、大学で文化財の保存修復学を教えていた手前、修復に携わる若い修復家達に、それを信仰の対象とする人々の思い、その価値観を理解させ、元の赤い仁王にすることを納得させることを、心苦しくも思ったとおっしゃっていたのを覚えている。
彼らは苦肉の策として、二像をいったん理想的な修復状態(塗装のない状態)として、詳細な写真記録を取り、その後像全体に和紙貼って覆い隠して、塗装膜との絶縁層を形成し、この和紙の上から檀家が望む赤色に彩色した。その修復結果は、文化財の修復理念、哲学には離反しているのかもしれないけれど、私はこの仕事を高く評価したいと思っている。

人が作り出した物はみな、製作者が何かに価値を見出して生まれ、それが残る、残されるのは、そこにまた、新たに見出される人々の価値があるからに他ならない。それを大切に守り、受け継がれるためには、人々が、今、価値を見出していなければならないのだと思う。

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