修復の着地点
最近は現在の状態をほぼ維持するように、多少の変色も、傷もそのままに、今ある姿形をできるだけ止めることが求められることが多くなって来た。これは、ひとえに修復を依頼してくる顧客の学習や経験によって得た価値観の変化によるところが大きいのだろうと理解している。
たとえ、それが科学的には劣化による変質や変色だとしても、長い年月を経ることにより纏った古色を美しい、好ましいと思う人も少なくはないだろう。骨董蒐集などといった趣味も、古びた書画や家具を、使い古した食器を美しいと思い、愛着を感じ、そこに高い価値を見出すことができるから成立するのだろう。
利用によって汚れ、傷つき、傷んだ作品を「もとのように」「綺麗に」戻して欲しいと望む者は今も多い。でも、それは人の学習や経験によって作られた価値観という意味においては同じであり、そこに差異はあっても、優劣など無いのではないかと私は考える。私たち修復家の様な専門家の価値観も、高度な学術経験者のそれも、決して普遍、不変なものではなく、将来必ずや訪れるだろう新たな経験によって変化する可能性をもったイメージであることには変わりない。人々の価値観は多様であり、その多様性の中から生まれた芸術、文化でもある。
私たち修復家にとっては、貴重な絵画や工芸品、歴史的に重要な資料をいたずらに綺麗にすることが目標ではなく、この先いかにその延命を図り、末長く保てるように努めることが最も重要な使命と心得ているが、この行為、活動もまた、他の人々の営為、経済活動となんら変わることはなく、人と社会の希望を叶え、求めに応じた結果を提供することが出来ることによって成り立っている。
絵画や美術品、歴史資料といった、いわゆる広義な意味での文化財遺産(狭義な意味で文化財とは国宝など国や地域が指定した作品、資料になります)は、時の人と社会によってその価値が定められ、保存方法や修復の目標も定められてきた。修復の目標も着地点も、日々、変わりゆくものなのだと思う今日この頃である。