保存修復の秘密
東京国立近代美術館で開催されている『重要文化財の秘密』展で開催されたトークイベントに参加をしてきた。登壇されたのは絵画修復家の土師広さんと修復家であり、保存修復と修復理論を研究されている田口かおるさん。今回このイベントの中でとても印象的だったのは、イベント後の質疑応答で、美術館スタッフ、司会者の『修復にクリエイティブな要素はあるのか」という問いかけであった。これに対して、土師さんは『自分の意思を出さないように、意図を加えないようにしている』と答えられ、田口さんは『ありうる』とお答えになっている。
私たち修復家は、また私たちの先達らはこれまで、修復を依頼される作品と向き合うたびに、いつも深く思考を巡らし、きっとその知識と経験、技術を駆使して、当時最善と思われた処置をしてきたのだと思う。修復の歴史を紐解くと、そこには、現在では許されない様々な問題を添加してしまったものもあるし、疑問視される処置も数多あるようであるが、たとえどんな形であれ、その行為があったからこそ、今ここにその作品が存在しているという事実もあるだろう。
修復という行為に絶対とか、完全とか、確かといったものはない。今、その道に長けた専門家が安全と思い、ベター(ベストはないから)な選択をしていても、科学技術が急速に進歩している現代では、遅かれ早かれ『これはダメだな~』などと言われてしまうかもしれない。そしてどんなに手当てをしても、生物のように再生機能のない絵画や美術作品は、傷つけば自ずから治るというようなこともなく、そして修復家はせいぜいそれが目立たなくなるようにすることぐらいしか出来ず、タイムマシーンでも手に入れない限り、傷を元に戻すことなんてできない。さらには修復処置により加えた何かもまた劣化する。これが現在私たちが行っている修復の実態である。
私はこのコラムの中で、祐松堂のインターネットサイトの中で繰り返し、『修復とは何かを取り除いたり加えたりする行為である』と言ってきたが、そこには必ずクライアント要望や修復家の意思も反映しており、修復に何を望み、どんな結果をイメージするかによって残すもの、残さないものも決まる。修復家はオリジナリティーを守ることが大切と口々に言うが、果たしてこのオリジナルの状態というのも、人がそれぞれの中に抱くイメージは異なっているように思うし、この、オリジナルの状態をいつ、どの時点と定めるかはまた難しい。世の中には、経年を経て褐色化したニスを纏った絵画を美しいと思ったり、その時代性を大切にしようという人もいる。製作当初の、まだニスが変色していない頃を製作当初のオリジナルの状態と考えて、それを取り戻そうとする人もいる。そして、修復とは、こういった人々の希望や要求に答えて行うものである。今対峙する作品に物理的な付加を与えるのみならず、現在の私たちの思いを付帯(追加)させる行為でもある。
修復家の土師さんは修復家は『断る選択肢を持っている』と言っておられたが、『処置しない』という行為もまた、今、私たちが目の前に認識した何か(ある価値)に手を入れず、そのままにしたいという意思や目論みが与えられることになるのではないだろうか。厳しく言えば、修復術者が意思を出さないのも、意図を加えないもの、難しいのではないか。そもそも人の行動はその人の意思や意図によってなしうるのだろう。
私たち人間は常に現在を生きていて、今を創造している。保存修復という行為もまた一つの人の営為であり、とてもクリエイティブな活動と思う。そしてまた私たちの元に、延命や修復を求めて作品が運び込まれてくる、、、。
東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密
2023年3月17日金曜日~5月14日日曜日
<https://www.momat.go.jp>
2024.03.28改訂
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