わたしの原点
最近お気入りの店、千駄木駅の近くにある乃池(のいけ)という寿司屋に久しぶりに行ってきた。結構な歳月を感じさせる古い佇まい、間口の狭い店の一階は、十人も入ればいっぱいかと思う店(二階もあるようだ)であるが、カウンターに座ると、長い年を経てなお木肌の美しい、真っ白に磨かれた付け台に驚き、寿司を握る親方の包丁捌き、手捌きに見惚れてしまい、ついつい箸も止まってしまう、、、。
私の父も、母方の祖父も表具師だった(父は当初この祖父の工房で働いていた)こともあるのだろうが、小さなに頃に住んでいた町の近隣には、様々な手工業に携わる職人の住まいや工房があって、建具屋に箱屋、刷毛屋、塗師屋(【ぬしや】漆を使った塗装を行う店)、畳屋、大工などと、さまざまな職人の技を目の前にする事もできた。
当時、父に連れられてよく行った漆屋では、『かぶれるからあちこち触っちゃいけないよ』と脅され、おっかなびっくりでついて行った。この塗師屋さんでは、それまで嗅いだことのなかった漆と片脳油の匂い立ち込める中、定盤(じょうばん=作業台)の上で素早く練られ、屏風の細い縁に手際よく塗られてゆく、滑らかで艶やかな漆の美しさに、私の目は釘付けになった。余り熱心に見ているものだから、「おい、おまえ俺の弟子にならないか」と言われ、困惑したことを今でもよく覚えている。
それからしばらくして、色々と事情もあったのだけれど、あまり先のことも考えずに、絵画の修復家になろうと、当時独立をしたばかりの父の元で修行を始める決心をした。父が独立をしてからも、ずっとお付き合いをしていた塗師屋の親方は、私が父のもとで修行を始めてしばらくして亡くなられ、一緒に仕事をしていた息子さんが店を継いだが、彼も私が一人前になるかならないかのうちに、若くして亡くなってしまい、訃報を聞いたときはとても寂しい思いをした。
他のどんな仕事であっても、簡単に習得できるもの、楽に稼げる仕事など一つもなかろうが、手に職を持ち、それを生業として生きてゆくことはまた厳しいことである。それが今や、コンピューターテクノロジーが急速に進化したおかげで、様々な物が素早く正確に、大量に作られるようになった。現在では、人が何年もの修行により獲得できるような作業も、高性能な機械、ロボットにいとも簡単に、素早く正確に作られるようになっている。丁寧に、長い時間をかけて、人の手で一つ一つ作る様な商品の需要は減る一方であり、職人という存在も、過去の遺物のように大切には思われても、あるいは希少であることから珍重はされても、広く現代社会の中においては、その存在価値も薄れ、稀有な存在となっているように思う。
あの日、職人の働く姿を見ることがなかったならば、私の人生は大きく変わっていただろう。今ではなかなか目にすることも出来なくなった、様々な職人たちの技を間近に見ることができたことをとても幸せに思っている。親しくしてくれた親方からは、後年、結構な情報と技術のご教授をいただいた。それは全て今の私の血となり肉となっている。
私も修復家を標榜して久しい。職種は違えど、かつて見た職人と同じように手に職を持って経験を積み、自分なりに努めて知識も技術も高めてきたつもりである。今では結構大きな問題を抱えた作品と対峙しても、処方に困ったり、若い頃に感じた恐れや不安のようなものを抱くこともなくなった。業種は違えど、あのとき憧れた職人たちに、私も少しは近づく事ができただろうかなと、ちょっと自信が持てる様にもなった今日この頃である。
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