なぜ修復をするのか なぜ修復は必要なのか
『なぜ修復をするのか』『なぜ修復が必要なのか』といえば、それは、私たち以外の誰かが修復を望んでいるからに他ない。私たちは絵画や彫刻に代表される芸術作品や歴史的に重要な資料を修復する方法と技術に長けた専門家であるが、それあくまで、この営為を評価し、求めて来る人と社会があってこそ、はじめて修復家というような業務も成り立っているのだと私は考えている。
私たち修復家が対峙する作品や資料は皆、遥かな歳月を経て、様々な人の手を経て存在している。その過程の中では、美的価値、歴史的な価値はもちろん。多くの人々の関心を呼ぶ市場価値もまとわりつく。いつの時代も、人と社会においては、この価値が見出せるからこそ、それは大切に守られてゆく。そして、その価値が脅かされそうになった時、危うくなった時に(そう思われた時に)、それは私たちのところへ運び込まれるのだ。人々にとって最も大切なのは、この『価値』にこそ何の弊害もなくスムーズにアクセスでき、認識できる状態なのだろうと思う。
往古より現在に伝わる芸術作品や歴史資料は、今日まで様々な人の手を経て今日に至っている。その歳月の中では度々何らかの手入れが行われ、修理、修復も繰り返され、それは地層のように積層している。こんな痕跡もまた、私たち専門家からすれば史実として価値あるものと受け取ることができる。科学的には経年劣化によりセピア色に変色(変質)したニスを美しいと思い、経年を経た風合いとして愛でる人は少なからずいるだろうし、度重なる利用によって汚れたり、磨滅したり、事故による傷や欠損さえも、その作品の経てきた歴史の証と考えることもできる。人は時として、他者が思いもよらぬ何かに価値を見出すものだ。
修復家にとっては、今目の前に差し出された作品、資料の現状を出来る限り永らえさせることが最も重要な目標、目的となるが、『修復をしてほしい』と望まれる物には必ず、少し控えめに言って大抵、何かを取り除いたり何かを加えるという処置が必要となるものであり、このことが修復家をいつだって悩ませる。画布や画用紙が欠けたところを何かで補うことも、変色したニスを取り除くことも、欠けた描線や色面を補うことも、常にオリジナル(現在確認ができる製作者が選んで用いた材料と作品の構造、姿形)を変化させることになる。簡単にいうと、歴史を経てきた、ある歴史の証をまとった現状を少なからず変えてしまうのだ。
私たち修復家は他の誰に勝るとも劣らず、処置する物の価値の理解に努めているから、あるいは最も理解しうるだろうから(しなければならないだろう)、だからこそ、製作者以外の何人たりとも、製作者が選び、使用したものは一片足りとも取り除きたくはないし、それ以外は加えるべきではないと考える。その作品が時の経過により自然に劣化した状態さえも、史実、時を経てきた証として捉え、大切にしようと考える。
しかし、その一方で作品に害を与えるような、放置しておくことで後に被害を与えると思われるようなものは取り除くことを考えなくてはならないし、補強や強化に必要とあらば何かを加えることを考えなくてはならない『変化』を与える修復という行為である。そして、この行為、処置は全て、人と社会が見出し、認めた『価値』を守るための行為であり、その要求、裏付けがあるからこそ許される貴重な美術品、歴史資料の修復であるかと思う。
(2025年1月改訂)