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2023年3月

2023年3月10日 (金)

私たちはなぜ修復をするのか

絵画修復家の土師宏さんは、Newsletter of The National Museum of Modern Art, Tokyo [Apr.-Jun. 2019]の中で、岸田劉生作品の修復を通して、次のように記している。『劣化を促進させる症状は処置の対象とする一方で、自然な変化にはなるべく手を加えず、枠品が歴史を内包している存在であることを受け入れる。その上で、オリジナルを妨げ、画家の意図ではないと思われる要素を検討し、可能な範囲で注意深く取り除く、そして修復した痕跡が姿を隠し、作品が何事もなかったように展示されたとき、100年前の表現と現在の鑑賞者は、スムーズにつながることができるのではないか』と。
彼の表現は、まさに私たち修復家の仕事を的確に説明したものであると私は思う。そして私は、彼の記した中で最も重要と思っているのが『100年前の表現と現在の鑑賞者は、スムーズにつながることができる』ということである。きっと土師さんも、対峙する絵画の向こうにいる、人と社会をしっかりと認識されているのだろう。
『なぜ修復をするのか』といえば、それは、私たち以外の誰かが修復を望んでいるからに他ない。私たちは確かに、絵画や彫刻に代表される美術品という物を修理する方法と技術に長けた専門家ではあるが、対峙する物にこそ最大の神経と知識、技術、体力を注ぐことこそが使命ではあるが、それあくまで、この営為を評価し、求めて来る人と社会があってこそ、はじめて業務としても成り立つのだ。
修復家が対峙する絵画や版画、彫刻、工芸品などの芸術作品は皆、遥かな歳月を経て、様々な人の手を経て存在している。そしてその過程の中で、美的価値、歴史的な価値はもちろん。多くの人々の関心を呼ぶ市場価値もまとわりついている。人と社会においては、この価値が見出せるからこそ、その物が大切に守られてゆく。そして、その価値が脅かされそうになった時、危うくなった時に(そう思われた時に)、その作品は私たちのところへ運び込まれる。人々にとって最も大切なのは、土師さんの言葉を借りれば、この『価値』にもまたスムーズにアクセスでき、認識できる状態なのだ。

修復家にとっては、今目の前に差し出された作品の現状を出来る限り永らえさせることが最も重要な目標、目的であることに異論を唱える者はないかと思うが、『修復をしてほしい』と望まれる作品には必ず、少し控えめに言って大抵、何かを取り除いたり何かを加えるという処置が必要となるものであり、このことが修復家を悩ませる。画布や画用紙が欠けたところを何かで補うことも、絵画の上で変色したニスを取り除くことも、欠けた描線や色面を補うことも、常にオリジナリティーを犯し、抵触する可能性がある。科学的には経年劣化により変色(変質)したニスを美しいと思い、その作品の一部をなすものだと考える人もいるし、画用紙や画布、描画の欠損さえも、その作品の経てきた歴史の一部と考えることもできるからだ。
私たち修復家は、他の誰に勝るとも劣らず、修復対象となる物の価値を理解しうるだろう。だからこそ、製作者以外の何人たりとも、製作者が選び、使用したものは取り除いてはならないし、それ以外は加えるべきではないと考える。その作品が時の経過により自然に劣化した状態も、史実として捉え、大切にしようと考える。しかし、その一方で、問題と思われる何かを取り除き、必要と思われる何かを加える修復という行為が、人と社会から求められて来た。人々が見出した価値を永らえさせるために、それを取り戻そうとする度に、善かれ悪しかれ数多の芸術作品に手が入れられ、今私たちの目の前に存在している事実もある。
私たち修復家は、専門家として人と社会から求められ、望まれる修復に対して答えてゆかなければならない。そして、そのために与えられた作品に生じた問題に真摯に向き合い、知識と技術を駆使して、その時の最善を尽くし、多くの問題、苦難を乗り越えて行かねばならないし、その弛まぬ努力があって、私たちの行為の意味も価値もまた生まれるのだと、私は思う今日この頃である。

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