あらためてパティナという古色を考えてみる
『修復は、芸術作品の潜在的な統一性を回復することを目的とする。ただし、あくまでも芸術作品の経年の痕跡を消すことなく、また芸術的な偽りや歴史的な捏造を犯すことなく、芸術作品の潜在的な統一性の回復が可能である場合に限られる。』(チェーザレ・ブランディ:修復の理論)
私は少し前にピカソの版画作品を修復して、さらにレンブラントの名作である『夜警』を模写して、イタリアの修復家達が唱えるパティナという概念に思考を巡らせた。
パティナというのは、日本語では『古色』と訳されることが多いと思うが、古色と言うのを科学的に追求してゆくと、それは例えば変色とか退色といった劣化、さらに言い換えることができるならば悪化ということができるかもしれない。先に修復したピカソの版画作品は、画用紙が含む絵の具やインクの定着剤(硫酸バンド=経年により硫酸を生成して紙繊維を痛める)やリグニンという物質(木材を形成する重要な物質であるが、光を浴びることで褐色化する。機械的に樹木を粉砕して作られる木材パルプで作られる画用紙はこのリグニンが多く含まれる)の劣化、変質によって、経年により褐色化、暗色化していた。さらに、この作品は額装されていたが、額装材として作品の背面に直接当てられていた段ボール紙の劣化により色素などが転移し、表面は暗い茶褐色に変色し、背面は段ボール紙の凹凸が反映して縞模様の痕が裏面全体についていた。
この版画の所有者は、画用紙が暗い色に変色してしまったことをとても残念に思って、元あったように画用紙の白色性を取り戻したいと望んでおり、私はその要望に応えるべくアルカリ化した純水や漂白効果のある薬剤を使用して、画用紙の白色性をなんとか取り戻した。
紙を水に付けて洗浄したり、漂白したりすることには大きなリスクがある。どんな紙であれ、水につければ膨潤するし、処置後にサイズが変化する可能性もある。濡れた紙はとてもデリケートで、繊維の結合が弱く、もろくなり、手で触れることも容易でなくなる。変色した紙は洗浄すれば劣化や変質の結果として生じた変色は改善されることが多いが、それを『芸術作品の経年の痕跡 』とするならば、それは消失することになる。この修復処置法は後戻りができない不可逆的な処置であり、様々な絵画修復方法、処置法の中でも、とても難しいものであると私は常々認識している。
私は今回も事前に所有者に『古色(パティナ)は無くなります』と話をして納得をいただいてはいるし、修復結果にもご満足をいただき、喜んでいただけたことは何よりであると思ってはいる。
今年2022年は私にとって厳しい年となり、仕事が激減した。ならば他の仕事でもアルバイトでもすればいいとお叱りを受けるかもしれないが、勉強になると思って、この暇な時間にレンブラントの名作である『夜警』を模写した。けれどこの作品、本来の適切な名称は『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民隊』というそうで、この作品はまた、夜を描いたものではない。『夜警』と呼ばれるようになったのがいつの頃かは知らないが、塗布されたニスが経年により変色、暗色化して、まるで夜のような印象となったのがその原因だという。この作品は20世紀に入って2回のニスの除去処置が行われ、明るさが増して昼に描かれたことが明らかになった。しかし、先述のブランディの言葉によればまた、作品が持っていた『経年の痕跡を消し去った』事になる。ブランディならば、ちょっとニスを残して『夕警』にしたろうか。
ブランディはまた、『古色が取り除かれると物質の現存(絵の具、画材の現状と言って良いだろうか)が目立ちすぎ、正しく鑑賞されることを邪魔する』とまで言っているが、私にはこの考え方が科学的なものではなく、ブランディ個人の、美的な価値観に依拠しているものと思われてならない。いったい、正しい鑑賞とはどういうことなのだろうか?パティナとはなんなのであろうか。私が思うにブランディの言う(考えている)パティナは、どうやら、絵画の構成要素である木枠や画布、絵の具やニスの物性を示しているのではないように思う。彼が科学者であるならば、それが経年により劣化し、変質をすることも理解していたはずであろうし、それを残せと言うのならば、それは劣化、変質、悪化したものに価値を見出していたからにほかない。彼が言う『正しい』鑑賞というのも、その劣化、変質、悪化したものを受け入れることが大切なのだと説いているのだろう。
それは、本来ならば科学的に作品にとってマイナスな要素としか考えられない現象をも包括して守るべきだという、劣化の結果として古色をまとった絵画を、例えば美しいと思ったり、そこに歴史的な価値を見出すといったような、ある意味、少し情緒的な感情、そこからつくられる価値観であり、例えば、古びた茶碗を愛でたり、セピア色になった古い写真に過去の思いを寄せるノスタルジーのようなものと近しいものがあるのではないだろうか。それはまた、とてもパーソナルな価値観であり、人間の自然で健康的な思考のあり方であろうとも思うのだけれど、ブランディの価値観は、実際に介入(なんらかの実処置、施術)こそしていないし、捏造とはならぬまでも、絵画作品に新しい価値を与え、その意味合いを変化させる可能性もあるのではないだろうか。
ブランディの修復理論は、ロマンティックに思えてくるのは私だけであろうか。
もう少し思考をめぐらせよう。
修復後と修復前。およそ元の画用紙の白さを取り戻した版画と暗褐色に変質した版画。皆さんはどちらがお好みであろうか。