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2021年8月17日 (火)

絵画の国籍とカテゴライズ

『日本画』と呼ばれる絵画のジャンルがある。多くの人々はいわゆる伝統的技法により製作された水墨山水とか、大和絵(私の日本画のイメージはこの大和絵である)に代表される、故事、昔話を題材に描かれた絵画をイメージするのだろうか。あるいは、その技法は知らずとも、独特のつや消しの絵肌を持ち、屏風や掛け軸、巻物に表装、装幀された絵画をそう呼ぶと思っているだろうか。そもそも『日本画』という呼称が生まれたのは明治時代(概ね明治20年代から30年代)で、ヨーロッパからもたらされた西洋絵画と区別をするために生まれた新しい言葉である。もちろん、当時から『日本人によって描かれる絵画が日本画』という認識はあった様ではあるが、これが現在まで続いているのは面白い。
日本にはまた、油彩画という言葉がある。絵の具の接着成分成分(展色材【てんしょくざい】とも呼ぶ)である乾性油をもって油絵と呼ぶが、これに対して、絵の具の接着剤を膠とする日本の絵画を膠絵【にかわえ】などと呼ばれることは、およそ聞いたことがないのも興味深い。

歴史を紐解いてみると、それまでは唐絵【からえ】と呼ばれる中国や朝鮮半島から輸入された作品と、大和絵【やまとえ】と呼ばれる日本国内で日本人の手によって描かれる絵画のスタイル、ジャンルしか無かった。そして大和絵というのも、輸入されてきた絵画とその情報から派生、影響して作り出されたものである。
日本では明治20年に現在の東京藝術大学の前身である東京美術学校の創設を前後して、様々な美術団体が生まれた。それまでは伝統的に、狩野派、円山・四条派などの流派によって長く守られてきた国内の絵画技法やスタイルが、学校教育や展覧会という情報公開によって次第に混じり合い、変化進化をしてゆくことになる。
東洋美術の研究者であり、哲学者であったアーネスト・フェノロサは、ボストン美術館付属の美術学校で油絵とデッサンを学び、来日後は日本美術に傾倒し、助手となった岡倉天心と東京美術学校の設立にも尽力したと言われているが、実は彼こそが『日本画』という言葉とジャンルを作った人らしく、西洋の絵画に劣らぬ美しさの優位性を解くために、次のような日本の絵画の定義を行なっている。1.写実的ではない(写実を求めない)。2.物の陰影を作らず平面的。3.描線により姿形が作られている。4.淡い色が用いられる。5.表現スタイルが簡潔である。と。
この時以降、『日本画』という区別の仕方や呼称はごく一般的なものとなっていった様であるが、そんなフェノロサ自身はと言えば、は狩野芳崖ら当時の画家達に西洋の絵画技法を伝え、新しい日本画のスタイルを模索し、一緒になって創造に取り組んでいたというからまた面白い。
それからしばらくして製作されてきた作品の中には、『日本画』というジャンルに分類したり、そう呼ぶことがしっくりこない作品も多くなったかと思う。現代ではすでに、フェノロサが定義したような要素も少なく、あるいは見る影もなくなり、そんな要素は一切取り払われた作品もあるし、これもまた日本画と呼ばれることにちょっと違和感がある。

これはあくまで私個人、一修復家としての私見ではあるが、現代社会における『日本画』という呼び方や分類方法は、あまり大きな意味もなくなったと感じている。そもそも自由な発想、思考の元に製作されるべき芸術作品にたいして、国籍の様なものを与えること自体ナンセンスではなかろうか。現代において絵画のジャンル分けをするならば、科学的に観て、絵画の要素として最も重要な要素である絵の具に注目し、油絵の具で描かれた油絵、アクリル絵の具で描かれたアクリル絵、そして膠絵などと分類するだけで、それがいちばんシックリと落ち着いて良いと思っている。もちろん、このカテゴリーにさえ当てはまらぬ、素材も技法もわからぬ、得体の知れぬ作品(混合絵、ハイブリット絵画とでもしようか)があることも忘れてはいけないだろう。

さて、皆さんは如何お考えだろうか。

*乾性油【かんせいゆ】
空気中で徐々に酸化することにより、固化する油のこと、台所の固まった油汚れも同じ理由で固まる。亜麻仁油・桐油・芥子油・紫蘇油・胡桃油・荏油・紅花油・向日葵油など植物から生成される

 

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