写真の歴史の終焉
私が最初に手にしたカメラは父のもっていたCanon製のカメラで、高校生の頃には白黒写真に熱中し、撮影はもとより、フィルム現像から印画紙へのプリントまで一通りおぼえた。あれから結構な歳月が過ぎて、今ではおよそほとんどのカメラがデジタル式になり、かつては専門店に限らず、あちこちの店先で販売していたフィルムも滅多に見なくなった。最近はスマートフォンの普及と性能の向上によって、カメラの需要も激減しているように思う。カメラのデジタル化によって、『写真』の取扱いや利用方法も変わり、かつてはプリント(印画紙に画像を焼き付ける)してはじめて写真となり、鑑賞利用されたものが、いまや印画紙にプリントされることもほとんどなく、スマートフォンやコンピューターのメモリーの中に、あるいはインターネットのサーバーに画像データーとして蓄積され(あるいは放置されて)、液晶モニターを介して鑑賞することが主流になっているのではないだろうか。
昨今、『写真』は『画像』という風に、呼び方まで変わって来ている。フィルムの現像、印画紙へのプリントという一連の処理から開放された写真は、電子機器の普及と発達にともなって、より多くの人に利用され、日々大量のデジタル写真画像が製産されるようになった。もはや多くの人がフィルムカメラを利用することも望めない時代となったのであろうこの頃、カメラメーカーCanonがフィルムカメラの生産終了を発表した。また一つ、ある歴史が終焉を迎えたようだ。
プロ用フィルムカメラの最終型EOS-1v。なんと製造は8年前に打ち切られ、Canonはずっと在庫を販売していたそうだ。昨今、私も使う機会が無くなってしまった。
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