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2018年3月

2018年3月28日 (水)

修復に望まれるもの

世の中にはいろいろな物を修復する業者や技術者がいて、それぞれに独特の方法や技術を持っている。しかし、どんなものであれ、修復するとなれば、一般(美術館や博物館以外、専門家以外)の顧客から強く求められるのは元あったような色や形に戻されること。あるいは元あった機能や強度を回復し、修復以前と同じように利用できること。これが社会的に広く認知された『修復』という言葉の意味かと思う。

車の修復例を観てみると、傷つき凹んだ部分をハンマーでたたき出し、あるいは合成樹脂を盛りつけ研磨して整形、塗装、などといった一連の作業が日常的におこなわれている。損傷の状態にもよるのだろうが、これらの施工は損傷箇所に限定しておこなわれることはなく、問題のない健常な周囲部分までひろげて削ったり、塗装することが通例で、この施工法によって処置した箇所と健常であった周囲が一体化し、滑らかに連続的につながり、修復箇所はわからなくなる。こういった修復方法は車に限らず、多く認められ、よく観られるものかと思う。

かつては貴重な作品にも、先述の板金塗装のような処置が行われていた時代もある。作業効率を優先して、あるいは経済効率も優先したか、大きく痛んだ部分は適当に、あるいは施術者の都合の良いように根こそぎ取り除いてしまい、新たに用意した紙や布をはめ込むような処置も行われてきた。描画のない余白なら多少裁断しても罪悪感がなかったか、汚れた余白を切り取ったり、作品の周囲に接合された古い装幀材料を取り除く際にも、固まって変質した糊しろごと裁ち落とすようなことも頻繁に行われ、その結果、作品の寸法が小さくなっているケースも少なくは無い。欠損した描画部には健常部に及ぶ彩色、想像による再現がされたものも多く目にしたが、中にはずいぶんと大雑把で、稚拙な処置が施されているような例もあった。

過去の修復処置が案外良く出来ていて、修理跡も、加えられた修理材料も良い状態で残存していることも稀にはあるが、大抵は修理痕が経年によって変色したり、変質したり、さらにその処置が健常部に及んでいて、修理材料もろとも痛んでしまっていて、古い修復材料を取り除くこともとても難しく、うかつに手が出せないような物もあった。かつて修復した芝居小屋の群像を描いた絵画作品の中には、欠損した部分に描き加えた『顔』がいくつか見られたが、その取り扱いに苦慮した。こういった加筆のようなものは、私たちの職業倫理に従えば、オリジナルとは異なる物として、取り除くが通例である。しかし、それを取り除いてしまうと顔が無くなってしまうし、その顔も、それなりに経年を経て、補填されていた料紙も適当な経年色を帯びて周囲と混じり合い(所有者自身が違和感を感じていないケースがある)、あるいは後に描かれた顔も、当時のオリジナルの『顔』を偲ばせる物と判断され、相談の上、後の加筆も温存させたこともあった。一般に、多くの人が描線や描画が欠けていることは望まないのだ。

私は長く修復家として、大学の資料館や地方の博物館など公共施設の仕事を続けてきた傍ら、企業や個人からも仕事の依頼を受けてきたが、とくに個人から預かる作品については、思い入れが強く、その望みを叶えるにあたっては、私たちの職業倫理(オリジナル以外に付け足されたものは排除するようなこと)が障害となることも少なくはなかった。文化財の修復事情など全く知らない顧客の望みを叶え、技術的な解決策を導きだすことも大変で、出来ないことも多く、出来ないことを詳しく説明し、説得し、修復のイメージ(私たちが正しいとする、理想とする処置のあり方や修復後の姿)を共有することも、専門的な知識を持つ者が在籍する施設とは違った難しさがある。

多くの人々は先述の車の修理のように、欠損した色や形をもとの通りに回復させてほしいと願っているし、修理後は健常であった以前と同じように取り扱いが出来ることを望んでいる。しかし相手は百年は当たり前、時に数百年の時を経て今あるもの。当然、もとの様には戻らない、戻せないのである。

 

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◎制作後の加筆跡(この作品の場合中央に墨書きされた顔)は取り除かれることが多い。描画部の欠損箇所には基本的に想像を伴う様な描画再現はおこなわない。

 

 

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◎大きく破損した部分も残骸が残っていれば奇麗に直ることもある。

 

2018年3月14日 (水)

修復報告書をつくる理由

私の工房では、公共、民間、個人を問わず、修復処置が終わると必ず報告書を作成し、作品の返却時に顧客に手渡している。報告書を作成する理由は、貴重な作品や資料を預かり、直接的な修復処置をおこなう修復家の責任として、施術、施工の記録をし、修復前後の変化を記録するため、さらに修復処置によって得た情報を詳しく伝えることで、修復後の取り扱いに役立てていただきたいと考えている。私たちが取り扱う作品や資料は、数百年の歳月を得ているものも珍しくはなく、もともとデリケートなものが多いし、問題点があれば、全て理解していた方が安心、安全。人の怪我や病気も、自らがその症状をよく理解して養生に努めれば、より治療の効果も上がるように、修復した物もまた、その後の保存や管理が大切になるから、私たちの作る修復報告書が、今後の有効な活用と延命の一役となってくれれば嬉しい。

私は2000年ごろからインターネット(祐松堂HP  http://yushodo.art.coocan.jp  )を通じ、美術品や歴史資料の修復にまつわる様々な情報を配信してきた。先述の報告書についても、所有者の皆さんにお願いして、いくつかの例を掲載している。その後、私たち修復家の世界も雑誌やTVなどで紹介され、昨今は関連するインターネットサイトも増えては来たが、やはり今もって修復家という職業はマイナーな世界であることに変わりはなく、もともとこの世界に関心を持っている人も少ない。

報告書の提出先が公共の美術館や博物館、資料館など、専任の学芸員や司書が在籍している場合は、自分たちの管理している作品や資料を熟知しているし、関心も高いので、比較的解説も楽になる(そう感じている)けれど、それでも修復の施術や方法論については、まだまだ明るい者は多くはないし、専門的な知識のない一般の人々が相手となれば、その内容を丁寧に、きちんと理解してもらえるように説明することは、また大切なことであり、結構大変な仕事でもある。

少し前に、ある地域の資料館の依頼で収蔵品の修復処置をおこなった際に、報告書の管理をどうしたものかと問われ、相談の上、当時の担当官の計らいもあって、近隣にある図書館で管理をお願いすることになった。本来、公共の費用で賄う修復業務については、その内容を誰もが知る権利があるだろうし、確認できる必要もあるだろう。

絵画や資料の修復処置には、今でも一般には知られていない方法や技術を使い、さらに専用の道具もあるし、使う材料、その名称についても一般に流通していない特殊な物がたくさんある。私は必要に応じて注釈を付けたり、解説のページを設けてもいるが、あまり情報量が多くなっても読むことが大変になってしまうだろうし、そうかといって、伝えるべき情報を減らしたり、重要な説明を省くことも出来ない。専門的な知識や情報を持たない人々への説明は、わかりやすい言葉で、丁寧に、そして手短かにすることなど工夫が必要と思ってはいるのだけれど、実際にはなかなか思うようにはいかず、預かった作品や資料の返却期限が迫ってくると、ついついいつもの様に事務的に書き上げて提出してしまう、、、。

 

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◎報告書には色々な情報を記すが、私の工房では 1.修復した作品、資料のおよその成り立ちや特徴 2.処置前の状況、劣化や損傷の状態 3.修復処置の概要 の3つを記録するのが基本となり、さらに修復前後の写真記録、必要に応じて取り除いた古い材料のサンプル、修復時に加えた材料のサンプルなど添付する。

報告書は全てパーソナルコンピューターを使って作成し、写真画像はデジタルカメラを利用。報告書は2組作り、1組を工房内で保管している。安全を考慮して文章については印刷物とデジタル化したデーターの双方ともに保管。写真画像を含むデジタルデーターは、パーソナルコンピューターによる保管と、コンパクトディスクに記録したものをあわせて保管している。

 

 

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