修復に望まれるもの
世の中にはいろいろな物を修復する業者や技術者がいて、それぞれに独特の方法や技術を持っている。しかし、どんなものであれ、修復するとなれば、一般(美術館や博物館以外、専門家以外)の顧客から強く求められるのは元あったような色や形に戻されること。あるいは元あった機能や強度を回復し、修復以前と同じように利用できること。これが社会的に広く認知された『修復』という言葉の意味かと思う。
車の修復例を観てみると、傷つき凹んだ部分をハンマーでたたき出し、あるいは合成樹脂を盛りつけ研磨して整形、塗装、などといった一連の作業が日常的におこなわれている。損傷の状態にもよるのだろうが、これらの施工は損傷箇所に限定しておこなわれることはなく、問題のない健常な周囲部分までひろげて削ったり、塗装することが通例で、この施工法によって処置した箇所と健常であった周囲が一体化し、滑らかに連続的につながり、修復箇所はわからなくなる。こういった修復方法は車に限らず、多く認められ、よく観られるものかと思う。
かつては貴重な作品にも、先述の板金塗装のような処置が行われていた時代もある。作業効率を優先して、あるいは経済効率も優先したか、大きく痛んだ部分は適当に、あるいは施術者の都合の良いように根こそぎ取り除いてしまい、新たに用意した紙や布をはめ込むような処置も行われてきた。描画のない余白なら多少裁断しても罪悪感がなかったか、汚れた余白を切り取ったり、作品の周囲に接合された古い装幀材料を取り除く際にも、固まって変質した糊しろごと裁ち落とすようなことも頻繁に行われ、その結果、作品の寸法が小さくなっているケースも少なくは無い。欠損した描画部には健常部に及ぶ彩色、想像による再現がされたものも多く目にしたが、中にはずいぶんと大雑把で、稚拙な処置が施されているような例もあった。
過去の修復処置が案外良く出来ていて、修理跡も、加えられた修理材料も良い状態で残存していることも稀にはあるが、大抵は修理痕が経年によって変色したり、変質したり、さらにその処置が健常部に及んでいて、修理材料もろとも痛んでしまっていて、古い修復材料を取り除くこともとても難しく、うかつに手が出せないような物もあった。かつて修復した芝居小屋の群像を描いた絵画作品の中には、欠損した部分に描き加えた『顔』がいくつか見られたが、その取り扱いに苦慮した。こういった加筆のようなものは、私たちの職業倫理に従えば、オリジナルとは異なる物として、取り除くが通例である。しかし、それを取り除いてしまうと顔が無くなってしまうし、その顔も、それなりに経年を経て、補填されていた料紙も適当な経年色を帯びて周囲と混じり合い(所有者自身が違和感を感じていないケースがある)、あるいは後に描かれた顔も、当時のオリジナルの『顔』を偲ばせる物と判断され、相談の上、後の加筆も温存させたこともあった。一般に、多くの人が描線や描画が欠けていることは望まないのだ。
私は長く修復家として、大学の資料館や地方の博物館など公共施設の仕事を続けてきた傍ら、企業や個人からも仕事の依頼を受けてきたが、とくに個人から預かる作品については、思い入れが強く、その望みを叶えるにあたっては、私たちの職業倫理(オリジナル以外に付け足されたものは排除するようなこと)が障害となることも少なくはなかった。文化財の修復事情など全く知らない顧客の望みを叶え、技術的な解決策を導きだすことも大変で、出来ないことも多く、出来ないことを詳しく説明し、説得し、修復のイメージ(私たちが正しいとする、理想とする処置のあり方や修復後の姿)を共有することも、専門的な知識を持つ者が在籍する施設とは違った難しさがある。
多くの人々は先述の車の修理のように、欠損した色や形をもとの通りに回復させてほしいと願っているし、修理後は健常であった以前と同じように取り扱いが出来ることを望んでいる。しかし相手は百年は当たり前、時に数百年の時を経て今あるもの。当然、もとの様には戻らない、戻せないのである。
◎制作後の加筆跡(この作品の場合中央に墨書きされた顔)は取り除かれることが多い。描画部の欠損箇所には基本的に想像を伴う様な描画再現はおこなわない。
◎大きく破損した部分も残骸が残っていれば奇麗に直ることもある。