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2017年11月

2017年11月30日 (木)

補彩はむずかしい

一般的な感覚からすれば、修復をするのだから、専門家に頼むのだから、修復をすれば痛んだ部分は跡形もなくきれいに直ることが当たり前のこととと思うだろう。実際に市場にある商品としての絵画作品や、一般のコレクター所有の絵画の修復においては、絵画上に欠けた描線や色面がある場合、それをを補うこと(以下 補彩【ほさい】と記す)を強く要求されることが多い。

しかし、貴重な絵画作品への補彩処置は、その価値を大きく左右するだけに、とくに慎重に対応する。その作品のオリジナリティー(独自性、信憑性)を守るため、制作者が塗布したオリジナルの絵具、画用紙や画布の上には新たに絵具をのせることは倫理的に出来ないし、ましてや描画部分が大きく消失してしまった場合、ここに想像をともなう様な加筆作業はできない。たとえそれが修復のためであったとしても、作品に何かを加えるということは、厳密には加筆(創作、創造)することに等しくなり、職業倫理的にこれをおこなうことはできない。

今日、絵画には多くの種類、技法があり、様々な材料の使い方があるが、一般に多く知られるものとして、薄い絹織物や和紙に膠と顔料を混合した絵具で描かれる伝統的な東洋絵画と、厚い麻布を木枠に張ったキャンバスに油彩絵具(乾性油と顔料の混合絵具)で描く西洋絵画に大別してみると、この二つの間での補彩方法はずいぶんと異なる。

東洋絵画は薄い絹織物や紙の上に描かれているので、そのオリジナルの画布や画用紙に絵具をのせると繊維の間に絵具が染み込んでしまい、完全に取り除くことは出来なくなってしまう。だから、基本的に画布や画用紙が虫食いや破損で欠損した場合のみ、そこに補填した代替の画布や画用紙の上にのみならば補彩も可能と私は考えるが、それでも周囲健常部分に絵具が浸透して広がる可能性も高いので、最近の東洋絵画の修復においては、欠損した描画部分の補彩、再現はほとんどの場合おこなわれず、欠損部分には料紙、料絹を補填の上、描画されていない部分の支持体の経年色(時間を経ることで自然に生じた古色)にあわせて染める程度に処置をとどめておく傾向にある。

西洋絵画(油彩画)の場合は、通常、画布や木板の上にあらかじめ白い地塗りを施し、描画層、ニス層というように層が形成されている。油彩画はニスも塗布出来る(もともと塗布されていない作品については基本的に塗布しない)ことから、オリジナルの絵画層の上にニスを塗布して保護膜(オリジナルの絵画層をニスで遮断、カバーしてしまう)をつくることも出来るため、その上から欠損部を充填したり、補助彩色を行ったりすることで、修理材料や補彩の絵具を直接的に接触、接着させない処置が可能となる(修理部は比較的に除去しやすい構造にすることができる)。

補彩に利用する絵具は、基本的にオリジナルのそれとは異なって、健常部分とはっきり区別できる物を使う。 油彩画は比較的補彩処置の自由度が大きい様にも思われるが、油彩絵の具は一度完全に固まると除去は難しくなるので、修復材料としては一切利用はしない。補彩をおこなう目的は、失った描画部が不自然に見えないように(目立って視線が誘導されない様に)するための処置ではあるが、あくまで補助的な処置として、制作者の使ったオリジナルの絵具と区別(分別)出来るようにするためにも、東洋絵画であれ、西洋絵画であれ、同質の絵の具は一切使用しないし、さらに遠い将来の再修復にも備えて、必要に応じて出来るだけ安全に取り除くこと(修復前の状態に戻すこと)が出来る物を使用し、それがなければ修復家自身が調整してつくる。

ヨーロッパでは結構昔から、絵画作品の補彩についてさまざまな議論、検討がされている。その技術、方法論についても、色々な形で確立されてはいるものの、今もなお、国や地域によって考え方も施術方法も微妙に異なっているようだ。何が安全で、さらに正しい方法かといえば、『補彩はしない』というのが文化財を保護する上ではもっとも(たぶんいろいろな意味で安全な)な考え方となるかと思うのだけれど、それが鑑賞の対象である限り、欠損した描線や色を補いたい、完全な姿を見てみたいと願うことは、鑑賞者(人、社会)にとってはまたごく自然なことであるかとは思う。絵画は私たち人間にとって、その色彩や形こそが知覚出来る最大の情報であり、その情報を最大の価値として鑑賞する絵画でもある。でもだからこそ、それを大きく左右する補彩処置に、私たち専門家はとても慎重になるのだ。

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◎個人所有の揮毫作品(書跡/揮毫作品) 

写真は絹本に揮毫された作品。支持体の欠損が大きく、支持体ごと文字も欠損していた。この作品については新たに用意した料絹を充填し、所有者の希望により可能な限りの(充填した料絹に限定した) 補彩をおこなった。明らかに描線が途中で途切れたり、同一の色面が欠損したものと判断が出来る場合には、線や色を補うことは比較的容易ではあるが、想像を必要とする作業はいたずらに行うことが出来ない。

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◎博物館所有の作品(東洋絵画)

厚手の和紙に膠と顔料を用いて描かれた絵画。たとえ絵具が大きく剥落したとしても、補彩をするためにオリジナルの支持体や描画上に直接絵具を置かざるを得ない様な場合には、残る絵具の保護はしても、補彩はおこなわない。

2017年11月 4日 (土)

歪む絵画、波打つ絵画

西洋絵画であれ、東洋絵画であれ、版画であれ、絵画を描くには必ず絵具を載せる土台が必要となり、この土台になる材料を総じて支持体【しじたい】と呼んでいる。伝統的に、また一般に多く使われてきた使われてきた支持体材料には、木板、麻や絹などの織物、紙などがあるが、いずれも天然の素材を加工したもの。これらは大気の湿度や温度の変化に応じて自らが含む水分量を変化させ、微妙な伸縮を繰り返す結果、反り返ったり、波打ちが生じたりするし、質量のある木材にいたっては、変形が大きくなると亀裂が生じたりすることもある。

絵画の技法によっては、部分的に絵具を厚く塗ったり(絵具の接着成分などによって湿度の影響を受けにくくなる)、版画のように部分的に圧縮した場合(密度が高くなる)に、絵具のある場所のない場所、プレスされた場所とそうでない場所で材質に変化が生じ、また不規則に変形するようになる。

版画作品に多く見られる額装幀方法として、作品の周囲にペーパーマットを設置して、裏からベニヤ板などで押さえつけているものが数多く観られるが、こういったセット方法によっても、マットで押さえられた部分(押さえつけられて伸縮が抑制される)と開口部(抑制されない)に環境差が生じ、後に作品(画用紙)のマットの開口部分が膨らんでくるなど、結果的に不規則な変形を生じる例も数多い。

支持体の変形を防ぐ、あるいは抑制する方法としては、裏打ちを施したり、さらに動きにくい(湿度の影響を受けにくい)構造物(例えば襖の下骨など木軸格子や木枠、木製のパネル)に固定する方法もあるが、作品の種類や性格、性質によっては、これらの加工、対策は出来ない。基本的に、版画作品には裏打ちはしないため、まずは気温、湿度を出来るだけ一定に保つことが大切になる。

一般の家庭におかれるような作品の場合には、温度も湿度もコントロールが難しいのが現状で、ある程度の変形は容認しなければならないと思うが、展示利用には出来るだけ一日の温度差の少ない場所を選んだり、気候の厳しい季節にはより安全な場所に保管して、さらに長期間の展示を避けることも有効になるかと思う。とくに厳暑や厳冬期にはエアコンなどこまめに利用して、急激な温度上昇、湿度の上昇を抑制したい。これに加えて、額の改良や作品のセット方法を工夫、改良したり、湿度をコントロールする材料など装着するのも有効だ。


11月に入って、一段と朝夕冷え込むようになってきたと思う。これからさらに寒くなり、暖房器具を利用する機会も多くなるだろう。急激な温度の上昇は額に装着されたガラスの内側などに結露を生じさせることもあるし、結露が生じると黴が発生を促すことにつながるので、ぜひ注意をしてほしい。黴が繁殖をはじめると、一見して軽微な症状であっても、実は深刻な状態になっていることも少なくはない。


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◎額装幀された版画作品によく見られる症状。銅版によって強くプレスの掛かった画用紙の中央と周囲の動きに差が生じているのがわかるかと思う。額の中でマットやベニヤ板に挟まれていた部分(画用紙の外周)は、狭い空間の中で無理に動こうとして細かな波打ち、ひだを形成し、開放されていた中央部は大きく前方に膨らむ用に歪んでいる。この作品は額の内部に結露が生じ、長く耐湿していた様子で、黴による被害も生じていた。青く見える写真は紫外線を照射した様子。黴害にあった部分が斑点状に変色しているのがわかる。

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