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2014年6月

2014年6月14日 (土)

再考、熟考 〜文化財保存修復学会第36回大会に参加して〜

文化財の中には絵画や歴史資料など様々なものがあり、海外ならばイコンや聖人像、日本なら仏像彫刻の様に信仰の対象となる物も多い。仏像彫刻を修理するために解体をしてゆくと、内部から小さな像や記録、お経を揮毫した紙など見つかることがある。これらは修復後、学術的に貴重な資料として鑑賞、利用出来る様に、修復後は仏像の外に出したまま管理されることも少なくはない。しかし、宗教的な立場から見れば、それを外に出すことが問題になる。内部に納められる物はその像の魂として納める様なものもあり、そもそもそれは像の体内と不可分であるべきとされる事も多い。

一方、私たち修復家は修復対象を科学的に『物』として捉える事を旨として、そこに存在する要素としての材料素材、その成り立ち(技法)、形状形態の保護、長期的維持を可能にすべく努めている。私たちはよく『オリジナリティーの保護』というが、実はこのオリジナリティーというのも、絶対的に言えるものではなく、前記の様な事例の場合、学術的な立場で対象をとらえるか、宗教的な意味を重視してとらえるかによって対象の『本来』のあり方は様変わりする。

私たちの社会は多様であり、その社会における価値観として、例えば、私たちが文化財と呼ぶ物も、その社会によって本来の在り様が決定する(そもそも『文化財』という言葉自体比較的新しくつくられた言葉であり、表象)。この価値観は時代の流れによってまたうつり変わり、きっと変化をする。このことは、信仰の対象であった仏像彫刻が美術館に置かれ、美術品としての鑑賞対象となっていることからも明らかだろう。

私たち修復家は対象を『物』としてとらえる事しかできないし、『神様』を扱う事はできない(仏像修復の際は僧侶が像の魂を抜く儀式をし、修復後にはまた入魂の儀式を行う)。だから科学的に(社会に左右されない)物質や形質に注目して処置をすれば良いとするし、その考え方に異論はない。しかし、その在り様(人と社会の価値観)が切っても切れない対象のオリジナリティーとして含まれるというのならば、私たち修復家もそれを考慮せざるを得ない。

私は長くこの仕事を生業としてきて、個人の顧客とも多く接してきた。宗教的な立場とはまた異なるが、彼らには彼らの価値観が在り、それを守り、延命させることを望んで私たちのところへ駆け込んでくる事も多く、時に私たちが考え、イメージする修復の理想との擦り合わせにずいぶんと悩まされてきた。はたして、私たち専門家の哲学が、価値観が正しいのか。私たちの旨とするところをつらぬく事こそが専門家として正しいと思う一方で、それを守り、愛してきた人びとと社会の価値観をないがしろにしたり、どこかへ追いやる事はないだろうか、、、。


大会二日目、牧野隆夫さんの発表は、私たち修復家にあらためて再考を促す発表であったと思う。

この大会は遠方にて開催される事も多く、最近はなかなか出席出来ない事も多くなった。今回は都内で開催のため久々に出席したところ、旧知の修復家仲間、友人に幾度となく捕まってしまい、なかなか発表を聴けず終いだったが、先輩との対話、いつか皆オーソリティーとなった後輩との情報交換も楽しく、何よりためになるものであった。彼らと知り会えた事にあらためて感謝をしている。

2014年6月7~8日 文化財保存修復学会 第36回大会於:明治大学アカデミーコモン

6月8日 セッションⅦ

『宗教的文化財としての仏像の本来的価値観を保つ修理についての一考察ー納入品の取り扱い事例を通じてー』

発表:牧野隆夫(吉備文化財修復所)

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