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2013年12月25日 (水)

この時代に物を残す大切さを考える

少し前にアメリカFRBが金融緩和政策の縮小を発表した。景気が上向き見なって、雇用も増える公算という。日本も景気が上向きになっているという声を聞くが、私自身は(私の周りを見回しても)はっきりした実感が沸かない。私たちのように文化財保護に関わる世界は、もともと経済活動の主要な場所には置かれない ? から、景気が悪くなればまず最初に費用の縮小が叫ばれ、景気が良くなったと言われてもその影響は忘れた頃にやってくる。そんな風に私は理解をしている。

ニュースを見れば、ヨーロッパもEUの統合以来、ずっと経済問題に悩まされている。ミュンヘンで活動中の友人の報告によれば、ある国では修復機関が閉鎖されたり、修復家のリストラや、他の機関で働くための教育プログラムが行われていると聞く、、、。

近年、デジタル機器の進化は加速度をつけて、私たち修復家の作業現場にも数々の恩恵をもたらしている。九州国立博物館にははやくから3Dプリンターが導入され、代替物を作ることで普段は接触することが難しい立体物の調査や研究に役立てられている。

デジタルカメラの利用は、画像記録のコストダウンを可能にし、インターネット、パーソナルコンピューターの併用によって、その利便性と汎用性は大きく拡大した。日々膨大に作られる書籍や新聞、雑誌に代表される文字情報は、長くその物理的保存対策に悩まされつづけてきたが、文字や図像をデジタル化することによって(物としての本、新聞、雑誌=紙を捨ててしまう)、従来続けてきた修復や保存管理の作業も、物を保管してゆくスペースも必要なくなり、高い経済的効率を図ることができる。

一方、デジタル化された情報は、コンピューターなどのハードウエアや、それを読み取り、利用するためのソフトウエアが欠かせず、その世界の進化スピードから、作られたデータは日々急速に老化、陳腐化をし続け、将来古いデーターを利用するための技術開発も追いついているようには見えず、極めてその保存性能も危うい。

さらに、デジタル化できない情報として、私たちが物からその存在を体感、近知覚出来る重さや手触り、香り(例えば古本の匂い)は、それ自体、物のを残さなければ、得ることはできなくなってしまう。あるいは、そんな情報も、近い将来には知覚できるシステムも登場するかもしれないが、デジタル化された情報によって、そのオリジナルを再生することはできないだろう。

今やビッグデーター時代などといわれ、世界でおこる様々な物事がデジタル化され、コンピューターネットワークを通じて集中化されている。私自身も、その恩恵をたくさん受けているのだけれど、何もかもがデジタル化されてしまうこと、それに慣れてしまうことに不安を感じているのは私だけだろうか。

Img_c20131225

この世界で唯一、人だけが自然界のシステムを超えて、長い経験を経て培ってきた物づくり(それが芸術であれなんであれ)は、私たちの世界の象徴であり、文化の根源であると思う。

私たち修復家は人の一生をはるかにこえ、数百年の歳月を経てなお残され、守られ続けて来た絵画や資料と日々長い時間をかけて対峙しながら、きっと誰よりも、人びとの創造物を守り、残すことの重要さを、強く感じ続けている。


メリークリスマス

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