陶磁器の修復法
陶磁器(とくに茶器)には独特の修理法があって、景色【けしき】と称して修理した痕を金や銀で装飾する。この金継ぎ【金継ぎ】という修理法は、漆と小麦粉(人によっては炊いた米など使う)を接着剤として割れた部分を接合し、欠けた部分には漆に砥の粉など加えたパテ状のものを埋め合せ、乾燥、固化した後に金粉や銀粉を使って漆芸の蒔絵よろしく装飾する。漆は伝統的に長く食器にも使われてきたし、耐水、耐薬、耐熱性(人が飲食可能な程度の温度)にすぐれ、金や銀は歯科医が義歯材料として使ってきた実績もあるので、実用食器として食品を盛りつけたり、飲食時に口を付ける器への利用は、もともと安全で理にかなっている。
私の工房でも、望まれればこの金継ぎ方法を用いることがあるが、現在では大きな欠損部分の再生や、割れた破片や断片同士の接合には合成樹脂を利用している(この上から漆と金粉による装飾、塗装もできる)。合成樹脂は種類も豊富で、漆よりもコントロールがしやすく、高い修復精度が得られる。合成樹脂は顔料と自由に混合できるものもあり、破損したも物の材質によっては、損傷痕がほとんど目立たぬように修復できる。
沖縄の陶芸家、金城次郎作の湯呑み
実用品であるが、損傷が器の外側にあることに加えて割離した断片が一部残存していたため、修復後に露出する合成樹脂の面積も小さくなることから、衛生面でも安全であると判断して合成樹脂を使用した修復を行なった。
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はじめまして。
文化財の修復に興味があり、こちらのサイトを拝見させていただきました。
金継ぎについて疑問に思ってので質問させていただきます。
陶芸の世界では、欠けてしまった部分をあえてわかるようにするという話を聞いた事があります。わかる様にしてあれば、見た側も修復されているという事を受け止め、修理前とは違った印象を楽しむ(上手く表現できなくて申し訳ありません)といった考え方があるそうです。
しかし、こちらの工房ではほとんどの場合、痕を綺麗に消してしまうという事で驚きました。
これは金継ぎという伝統が失われていっているという事なのでしょうか。それとも依頼人様の要望が、傷跡を解らなくしてほしいというものが多いのでしょうか。
お答え頂けるとうれしいです。
投稿: 佐伯 | 2011年8月 2日 (火) 23時24分
この度はサイトへのアクセス、ご質問を頂戴し有り難うございます。少し話が長くなりますが、以下ご説明致します。
私たち修復家の立場から優先するのは、対象のオリジナリティーを保護することです。実際の修復にあたっては、もとあった姿や形、色調、質感を変えないようにすること。使用した接着剤や塗料などの安全性はもとより、将来の再修復にも備えて、必要となった際、加えた素材を安全に取り除ける様、常に注意を払っています。
以上の私たちの倫理や哲学に則って修復を考えた場合は、『金継』のように、一度固化すると取り除くことも難しい漆を使ったり、さらに修復した痕を装飾するようなことを、基本的に正しい修復とは考えておりません。
一方、伝統的な様式美の中につくられた『金継』のような修復方法は、現代の修復家の倫理、哲学に反するものだとしても、実用の食器に用いる修復方法としては耐久性と安全性に優れますし、文化的な意味や価値も持ちますので、この方法が必要と判断された場合や、茶道に携わるような方が希望された場合に限っては取り入れることがあります。
ご指摘の通り、一般(個人所有の物)には痕がわからなくなるような修復を望まれるケースがほとんどと言っても良いかと思います。実際に、『金継』というのは、修復というのではなく、茶道の世界の中でつくられた装飾、造形的な意味合いの強い行為であると私は理解しています。
私たちが修復をする文化財、美術品は、所有者が限定されている個人の所有物と、公共機関や団体が管理する物とに大きく分かれますが、基本的には双方とも同じ哲学、理念のもとに修復を進めています。しかし、それぞれの立場により希望は異なりますので、皆様のご希望に添えるように可能な限りの工夫に努めています。
私の文章表現に不足もあったかと思いますが、修復の痕を『綺麗に消してしまう』ことも、私たちは本来の目的(優先目標)とはしていません。私たちの行う修復は、車の板金塗装などとは違って、損傷部を判別出来なくなるようにその周囲まで塗装で覆い隠すような処置をすることもありません。処置はあくまで損傷部に限定をして行い、首尾よく修復によって良好な観賞性を回復出来、その痕を肉眼で確認出来なくなっても、オリジナルとは異なった材料を使用していますので、特殊な光などあてると、いつでも修復部位が特定出来ようになっています。
以上長くなりましたが、お役に立てば幸甚です。
投稿: | 2011年8月 3日 (水) 14時07分
丁寧に御説明頂き有難うございます。
私は学校の授業で、「陶芸では割れている状態は許されないが、修復してあれば割れたことが明らかでも許される」というような説明を聞き、非常に驚きました。修復というのはなるべく痕がわからないようにするものだと思っていましたから。
(その時は、金継ぎの説明という訳ではなく、陶芸の作品が欠けてしまった学生に先生が助言をされていました。)
その話を聞いてから、陶芸の修復は、一見して修復箇所がわかるものでなければいけないと勘違いしていました。
しかし、この場合は修復ではあるけれど、制作過程の一段階とも考えられます。
金継ぎも、行為としては修復にあたりますが、割れた作品から新たな作品を生み出すという点で見ると、『なおす』と言うよりは『つくる』という風に感じます。
修復は作家のオリジナリティーを生かすのですから、修復家が新たに『つくる』ということにはならないということですね。
似ているようで全く違いますね・・・。
自分の中で考えが整理できてスッキリしました。
お答えいただき本当に有難うございます。
投稿: 佐伯 | 2011年8月 4日 (木) 23時02分