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2010年7月15日 (木)

記号と価値と芸術と

特定の意味や価値が与えられた文字や図像を私達は『記号』【きごう】と呼んでいる。日常、身の回りを見渡せば、漢字や数字、アルファベットにはじまって、音符、モールス信号(今はもう使わない?)、道路標識、地図記号など、けっこうな種類と量がある。ちょっと前に流行ったダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』は、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品に残された記号を巡るサスペンス(ちなみに”コード”は直訳すると記号となる)。記号には、その存在の意味と価値を確かなものにするために、ある社会や人の集団の中におけるお互いの共通理解、共通認識(あるいは幻想のようなモノでもよい)が必要とされるが、実際にイタリアのレオナルドをはじめ、ヨーロッパ各地で描かれた宗教絵画には、聖書に記述のある物事の象徴や比喩が必ず描かれているので、それらを知らなければ、描かれた神々の物語も教義も読み取ることは出来ない。だから、キリスト教徒の歴史や文化を背景にした(フィクションも多いようだけれど)『ダ・ヴィンチ・コード』は、アメリカやヨーロッパのキリスト教圏でもっとも関心が持たれ、流行ったかと思う。
記号のように、特定の意味を与えられるのはものは、私たちの身振りや手振りの中にもたくさんあって、ボディランゲージと呼ばれるような誰もが知っている仕草、挨拶や服装(ドレスコード)、冠婚葬祭など、様々な儀式における作法のほか、歌舞伎や能、狂言などの芸術表現の中にも、喜怒哀楽を示す踊りや仕草の型があるが、これらも皆同じ様に、事前の相互理解と相互認識があって初めて成立する。
全ての記号は、それ自体では何の意味も持たない、価値もないけれど、私たち人間が価値を与えることで成立する。本来はただの数字や肖像、図像が刻印された金属片が硬貨となり、印刷された紙が紙幣となる事がその最たるものと言ってよいだろうか。それは長く変わらぬ世界、外部と閉ざされた環境と人々のなかにおいては、意味と価値を長く持続することも出来るが、変化する世界の中においては、簡単に意味を失い、消滅さえしてしまう。現在の様に、世界の情報が高速で行き交う世界では、それは日々時に如何様にも解釈され、急速な変化も余儀なくされることだろう。もちろん、新しいモノも産まれているハズ。

Gabriel_3マリアのもとに神の子を授かった事を告げに
舞い降りた大天使ガブリエルは貞操(純潔)
を示す百合の花を持っている。

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