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2010年6月

2010年6月28日 (月)

芸術納税

少し前にイタリア帰りの修復家から聞いた話だが、イタリアでは、かつて高額脱税者の税金の取り立てに、絵画や彫刻など、いわゆる芸術作品の『物納』についての検討がずいぶんと重ねられたという話を聞いた。脱税者の中には、歴史的に観ても、学術的に観ても、きわめて貴重な芸術作品を所有する者がいて、事情を知った国の文化担当官(日本の文部科学省の様なところ?)、国立の博物館や美術館がぜひ入手、利用したいと申し出たそうだ。しかし、当の国税局は、穴の空いた国庫には実際に『お金』は入らないし、たとえ売買が成立したとしても、時の市場、需要によって相場の変動する、不確かな価値の『物納』は受け入れ難いという回答を出したという。とかく取り扱いのデリケートな美術作品は管理費用も馬鹿にならず、『お荷物』にしかならないと判断したようだ。

2010年6月24日 (木)

蛇使いの女

アンリ・ルソーは独学で絵画技術を習得し、50歳を過ぎる頃に、長く勤めていたパリ市の税関を辞めて画家を志した。伝統的で、正当(多くの人がきっとそうだとうなずくような)な絵画技法から観れば、はなはだへたくそなデッサン、奇妙な情景。でも、一見子供の塗り絵のような彼の作品に私は強く引かれる。初めて実物を見たのは確か1993年の夏、パリのオルセー美術館。結構な大きさの画面に描かれた世界は、淡い月の光に照らされる鬱蒼としたジャングル。まとわりつくような湿り気、蒸れるような草木のにおいのなかに、蛇を身体にまとい笛吹く一人の女。影のように、ほとんど黒く塗られたその姿は、目だけが白く光っている、、、。そこには観る者の想像力をかき立てさせ、そしてなお呪縛する様な不思議な力を感じた。彼の作品には、技術や知識を超えた、『オーラ』と言えば良いのだろうか、言葉では語り尽くせないものを感じる。こんな作品にこそ、絵画本来の意味があるような気がする。

◎ルソーの作品は以下の展覧会で。
オリセー美術館展2010『ポスト印象派』http://orsay.exhn.jp/
於:国立新美術館 2010年5/26(水曜日)〜8月16日(月曜日)

2010年6月16日 (水)

カビ害に備える

東京も梅雨の時期に入ったようだ。この時期気になるのがやはり黴害。大切な絵画や美術品を深刻な状態に至らせないためには、何より日頃の観察と展示保管場所の環境をできるだけ整える事が肝心だが、カビの生えやすい環境や生えやすい場所を知っておくのも、きっと良い対策になるだろう。カビはおよそ湿度60%を超えると繁殖しやすくなると言われている。額に入った絵画作品ならば、額の内部と外側の温度差によってガラスの内側に結露が生じることが多い。もし、その痕が灰色~暗黒色に変色していれば、額の内部や作品上にもカビが繁殖している可能性がある。同じ額(額装された作品)を長期にわたって展示しておいた場合、額裏と壁面との狭い空間にはずっと同じ空気が停滞している。けっこうな埃(カビの餌になる)がたまっている場合も多いから、ここで湿度が上昇し、さらに帯湿する期間が長くなれば、カビが繁殖する可能性は高い。日本間の漆喰壁、床の間の土壁などは、もともと帯湿しやすいので、特に湿度の高い折は、額や掛け軸のかけっぱなしはしないようにしたい。長く同じ場所に掛けてある額や掛軸は、たまには取り外して、作品の裏面や壁の清掃をしておくのも防カビ効果につながる。
湿度の高い時期は、展示する前にエアコンなどを使ってあらかじめ展示する部屋全体の湿度を下げておくと良いだろう。湿度の管理は、一般にはエアコンを使うのが最も簡便で効果的でもあるが、大切なのは、一日の温度差、湿度差ができるだけ急変しない様なこまめな調節。湿度に敏感な材料はちょっとした湿度の変化で急激に伸び縮みし、掛軸の様に薄い物ならば波打ちや引き攣れの様な変形が生じるし、質量のある木材彫刻などは、乾燥が過ぎると亀裂など生じる危険がある。急激な温度の変化は、私達人間の身体にも不快を感じさせ、変調を来すことがあるが、デリケートな美術作品にとっても大きなストレスを与えることになる。
肝心なことがもう一つ。エアコンの内部はいつも湿っているので、実はとてもカビが生えやすい。カビたままエアコンを運転すれば、カビをまき散らしているようなものだ。こちらもこまめな点検と整備を。

2010年6月 7日 (月)

カビにご用心

カビは微生物の一種で、正式には真菌【しんきん】と呼ばれている。私たちがカビと呼ぶのは、この菌が何かに付着して出芽した胞子の集団。一般の住宅の中では、1平方メートルあたり数千個の真菌がいつも浮遊しており、10℃から35度程度の温度の環境で生き続けることが出来、湿度が60%を超える頃になると繁殖しやすいと言われる。私たちの日常環境は、常にカビが生える状態にあると考えてよいだろう。カビが生育するためには、他の動植物同様に栄養が必要だが、カビは人工、天然を問わず、チリや埃、樹脂製の風呂桶、窓ガラスなど、何でも栄養にしてしまうから、実際にカビを生やさないようにすることは難しい。
湿気の多い梅雨ではなくても、暖房、エアコンなどによる急激な部温度変化は、時にたくさんの結露を作り、注意を怠ると着床したカビが急速に増える。カビは発芽して胞子を持てば、またたくうちに転移、増殖して、そこにある栄養源を枯渇するまで吸収し、代わりに酸(有機酸=フマル酸、リンゴ酸など)を生成しながら、着床した物を侵し、破壊の限りを尽くし、着床した物を深刻な症状へと至らしめる。カビは発生当初ならばティッシュペーパーで拭き取ることも出来る(一見、そのように見える)が、不用意に払拭すれば、菌を撫で広げるだけになって、かえって症状を進行させてしまわないとも限らない。一般に殺菌にはアルコールを使うのが有効ではあるが、あまり濃度が高いとカビを死滅させるに十分な効果を与える前に蒸発(エタノールの場合は70%程度の水溶液が科学的に殺菌効果があるとされている)してしまうし、素人判断で安易に利用すると、塗布した物を変質させてしまう可能性もある。敏感な体質の人は、肌が荒れたりする可能性もあるから、さらに注意が必要。アルコールもいろいろな物を溶かす強い溶剤であることに変わりはないから、安易な利用は控えてほしい。
絵画作品にカビが発生してしばらくすると、まるで麻疹のような斑点状の変色を生じたり、絵の具や画布、画用紙をまるで別物に変質させてしまう。これも早期、初期的症状で発見されれば十分な回復も望めるが、症状が進行すれば、外科医よろしく、変性部分をメスやピンセットで取り除いたり、薬品を用いた化学的処置が必要になり、図らずも処置対象を痛めることになったり、最悪の場合は処置が出来なくなる。絵画や美術品にとってのカビは、ガンのように手強いので、早期発見が重要。大切な作品や資料をお持ちの方は、どうぞ定期的な観察を怠らない様に。もうすぐ梅雨の季節。どうぞご用心を。

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◎壁の材質や額の構造、材料にもよるが、長く壁に掛けてある作品は、背面に湿気が溜まり、カビが生えやすい状態になっている事が多い。カビが生えるとカビを餌にするダニも集まって来て被害は急速に拡大、深刻化することもある。

2010年6月 4日 (金)

It makes visible!

20世紀を代表するスイスの画家(美術理論家)、パウル・クレーは、『芸術とは、ただ見えるものを描くのではない。それは目に見えるようにすることだ』と言ったそうだ。描くことが始まった遥か太古の時代には、薄暗い洞窟の岩影に、草原を走るライオンや鹿のシルエットを見いだし、それをなぞり、色をつけた。暗闇の中に入った時に、目をつぶった時に見える光の残像を止めようと、その軌跡の記憶を辿り、線を刻んだ。そして、そんな表現を叶えてくれる自らの手に顔料を塗り、子供のいたずらよろしくぺたぺたと岩壁に手の痕を記した。写真技術が生まれる前までは、たぶん、この世界の確かな記録手段として絵画技術は発達した。
私たち人間の頭脳のすばらしさは、実際にこの世には存在しない、どれだけ言葉を尽くしても語ることの出来ない、そんなイメージが浮かび上がる、想起されるということなのだと私は思う。いつか絵画の主題も、自然から人へ、人から神へ、そして、夢や幻想のように、実際には形のない世界、現実には目にする事の出来ない世界を創造、表現してきた。もともと描くということ自体、自然界からは逸脱した行為で、人にしかできない事。あるいは絵画こそ、この世界を超越するための最初の技術のひとつであったのかもしれない。そして、それは同時に、今日の私たちの生活に欠かすことの出来なくなりつつあるコンピュータと同じように、人々の経験と記憶を体のなかから取り出し、確かに記録する装置としても、大きな役目を果たしてきたように思う。

2010年6月 1日 (火)

かたちのない本

小説や雑誌、論文、国や地方自治体で作られる公文書、毎日印刷される新聞は、スポーツ紙や地方紙まで加えると、その数は膨大になる。もし、これらを書かれた物をそのまま、印刷物を丸ごと、数十年、いや、数百年にわたって保管するとしたら、どれだけ大きな書庫があっても間に合いはしないだろう。こうした事情を考慮してか、文字記録、印刷物の保管には、そこにある情報にアクセスできれば良いとして、他の記録媒体に情報を移し替え、かさばる物自体は捨ててしまうといった考え方がけっこう古くからある。アメリカでは1930年代、情報の縮小化による保管の有効性と利便性に注目して、図書館におけるマイクロフィルムの導入がはじまっている。そして、昨今では爆発的な技術開発のもと、世界中で文字情報をデジタル化する動きが加速していて、インターネットにアクセスできるコンピューターと語学力さえあれば、自宅でビールでも飲んでくつろぎながら、遠くはなれた国の図書館にある本を読むことも可能になってきた。
先日、アップル社製のiPadが日本でも発売された。この端末は、iPodをはじめとする携帯音楽プレイヤーがインターネットサーバー上にある音楽をダウンロードして、いつでもどこでも音楽を楽しめるように、ダウンロードした書籍の情報を、液晶モニターに映し出して読むことが出来る。指先でモニターに触れ、本物の本のページをめくるようにすると次のページに画面がが切り替わるイメージは秀逸で、いかにもアップル社の製品らしい遊び心を感じる。
文字、図像、音声、映像、音楽、、、。いまやあらゆる物がどんどん電子信号として置き換えられている。コンピューター、デジタルテクノロジーの発展は、様々な分野で大きな進化と利便性をもたらす一方で、今まで目に見えていた、手に触れる事のできた物の価値を、その姿や形の価値を確かに変化させている様に思う。

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