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2010年5月19日 (水)

骨董はあたらしい?

某TV番組のおかげか、不景気なせいなのか、新しい作品が売れない一方で骨とう品を珍重する人が増えているようだ。それが興味本位であれ、財産として、金銭的価値目当てであれ、私たちのような仕事をしている人間にとっては、古い物を大切にしてくれるのはうれしい限りではある。でも、骨董という概念は、確かに古い物を収集し、大切にもされながら、実際は現代における価値観のもとに成立をしていて、創造された当初からみれば、けっこう異なった見方、意味付け、価値付けがされていることが多いかと思う。美術館や博物館に展示され、芸術作品として、あるいは歴史資料として捉えられる仏像は、本来しかるべき寺社に納められ、かつては信仰の対象として、神の化身として崇められていた捉えられていた存在から、現代の私たちによってガラス製の展示ケースに収められる観賞の対象となっている。骨董というモノも、じつはもとのイメージとは異なった価値を与えられた、あたらしい『別モノ』として、私達は捉えているのではないだろうか。

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