デジタル作品の未来
確か、二十歳になるかならないかの頃、都内の美術館でナム・ジュンパイクの展覧会を見たときの印象は強烈だった。会場にはたくさんのブラウン管モニター(もちろん、液晶も、プラズマもない頃)にめまぐるしく、とめどなく映りだす映像の断片は、そのとき予想だにしなかったデジタル社会の到来を予言していたように思う。それまでは、純粋に手作業で物作りを行ってきた芸術、確かに芸術とはそういうものだと思っていた世界に、突然現れたテレビの集合体。機械化された工場でシステマティックに、そして大量に製造された電化製品の集合体は、とても不思議で謎めいた世界だった。あれから30年近くたって、コンピューターの進化にともない音楽の制作や映像技術は激変し、コンピューターグラフィックは芸術表現の道具として当たり前のものとなった。今や多くの芸術表現が電子信号の集合体と化し、インターネットを通じて世界を駆け巡る。果たして、この芸術表現はどうやって残されるのだろう。電子化された情報は瞬くうちに容易にコピーされ、音楽のリミックスよろしく加工されて、さらに新しい何かを作り出すことが出来る。この世界には、一体どこにオリジナリティーを見出せばよいのだろうか。オリジナリティーというモノ自体に意味はあるのだろうか。
ブラウン管もいつかこの世から消え去るに違いない。ナム・ジュンパイクの作品を見ることはもう出来なくなるのだろうか。めまぐるしく進化を続けるデジタル技術の陰で、記録メディアも変化を続け、フォーマットとハードウエアの進化によって、現存するデジタル情報は陳腐化するばかり。今私たちの周りにある数多の情報は、創造物は、いったいいつまで利用することが出来るのだろうか、残すことが出来るのだろうか。
2010.05.02『六本木クロッシング2010展・芸術は可能か』を観て
○『六本木クロッシング2010展・芸術は可能か』 2010年3月20日〜7月4日 森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)
<http://www.mori.art.museum/contents/roppongix2010/index.html>
○ナム・ジュン・パイク(Nam June Paik 白南準 )1932〜2006年。韓国系アメリカ人の現代美術家。ビデオアートの先駆者として代表的な存在。
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