フォト
無料ブログはココログ

« 2010年4月 | トップページ | 2010年6月 »

2010年5月

2010年5月19日 (水)

骨董はあたらしい?

某TV番組のおかげか、不景気なせいなのか、新しい作品が売れない一方で骨とう品を珍重する人が増えているようだ。それが興味本位であれ、財産として、金銭的価値目当てであれ、私たちのような仕事をしている人間にとっては、古い物を大切にしてくれるのはうれしい限りではある。でも、骨董という概念は、確かに古い物を収集し、大切にもされながら、実際は現代における価値観のもとに成立をしていて、創造された当初からみれば、けっこう異なった見方、意味付け、価値付けがされていることが多いかと思う。美術館や博物館に展示され、芸術作品として、あるいは歴史資料として捉えられる仏像は、本来しかるべき寺社に納められ、かつては信仰の対象として、神の化身として崇められていた捉えられていた存在から、現代の私たちによってガラス製の展示ケースに収められる観賞の対象となっている。骨董というモノも、じつはもとのイメージとは異なった価値を与えられた、あたらしい『別モノ』として、私達は捉えているのではないだろうか。

『修復家の集い』

10年ほど前のある夜、今もずっと親しくお付き合いさせていただいている京都、和蘭画房の志村正治さんのお宅に集まり、一台のApple社製コンピューターを囲んで、インターネットの未来について、みんなで喧々諤々話し合った。当時、既に私はコンピューターを多少はいじってはいたが、インタネーットについての知識はもちろんのこと、ましてやホームページ、インターネットサイトの作り方など、全く知らない初心者だった。このときのメンバーの中には、コンピューターを所有しない者も少なくはなくて、これから体験する未知の世界への不安や期待に、きっと皆が心動かされていただろう。
後に大切な友人となり、多くを教えてくれた修復家の尾立和則さんがはじめた、情報の公開と伝達、修復家同士の交流の場をつくるというコンセプト、志を支持して、インターネット版『修復家の集い』をはじめたのは、確か1999年の初頭。和蘭画房を中心に、数人のメンバーそれぞれに契約するサーバー上にページを分担してつくり、リンクを張って一つのサイトを完成させた。あのときの感動は今も忘れない。
開設当初はトラブルもけこうあって、遠方に住むメンバー同士で毎晩の様にメールをやり取りし、メールで足りないときは電話で話したり(実際に声を聞いて、電話で話すと解決しやすいこともあるものだ)、会う機会があればできるだけ顔を合わせ、いろいろと相談し合った。その後、運営メンバーも入れ替わり、独自のドメインを取得したり、寄付金による運営をはじめたりと紆余曲折しながら、気がつけば『修復家の集い』とのつきあいもずいぶんと長くなってしまった。開設当時、国内にはおよそ文化財の修復をテーマにするサイトは皆無と言っても良い状況の中で、『修復家の集い』の活動は、とても画期的であったと思う(きっと、創設メンバーのみんながそう思っているだろう)。
あれから、国内にも文化財の保存や修復をテーマにしたサイトはずいぶんと増えて、貴重で有益な情報を配信するページも多くなった。いつか『修復家の集い』への参加者も遠のくように減り、私たちの活動の役目も終焉に近づいたことを感じさせていた今年の春先、創設者である尾立和則の意向によって、サーバー上から『修復家の集い』は消去された。
『修復家の集い』は、私自身も参加者の一人として、多くの方との交流を得てきた。ここではまた多くを知り、学ぶことが出来た。管理者の一人としては、この活動に参加できたことに、ささやかながら運営にも協力できたことを誇りに思うとともに、創設当時のメンバーと参加者の皆さんに感謝をしたい。

*『修復家の集い』
修復家の尾立和則が文化財の保護や修復、保存に関する情報を様々なメディアから厚め、編集、コピーをして、A4版の冊子として関係者に配布したのが始まり。1998年より文化財保存修復学会の研究発表会で知り合った仲間同士で集めた情報をインターネット上で公開。同時に修復家や関係者の情報交換を可能にした。

2010年5月10日 (月)

人の想像力

先日、京王線の高幡不動で開催される『高幡不動ござれ市』がテレビで紹介されていた。この市には使われなくなった日用品、骨董品をはじめ、ジャンク品(簡単に、家電製品やカメラ、時計など壊れて使えなくなった道具など)やくず鉄の様な金属なども売る露店が並ぶという。きっと誰もが燃えない(?)ゴミとして捨ててしまうジャンク品は、それ自体では何の役にも立たない代物だが、バラバラにすれば、今はもう部品の製造も止まってしまい、修理出来ない道具や機械の修理部品として活用することが出来るし、世の中にはこういったジャンク品を探しまわっている人もいると聞く。大きくなれば、しかるべき施設にお金を払って処分してもらわなければならず、簡単に捨てる事もできない厄介な金属も、現代アートの素材として購入する人がいるそうだ。
ずいぶん前に、青山の本田技研本社で開催された篠原勝之(通称クマさん)の『鉄』を素材にした展覧会を思い出す。会場にところ狭しと並ぶ作品の存在感に圧倒されたのを覚えているが、たしか、彼もまた、鉄材を使う工場などから、廃材などをを集めて作品を制作していたと思う。捨てる者あれば拾う者あり。ゴミから何かを想起、想像し、創造できる人のすばらしさかと思う。ちなみに、『高幡不動ござれ市』は日用品から骨董品まで、なんでも『ござれ』という意味だそうだ。買う人もいろいろでゴザル。

◎高幡不動ござれ市 <http://www.kanagawa-antique.com/html/takahata.html>
◎篠原 勝之(しのはら かつゆき )芸術家、タレント。愛称は「クマさん」。北海道札幌市生まれ、1970年代は唐十郎主宰の『状況劇場』の美術としてポースターなど制作。近年は鉄、ガラスを使った作品を制作。文筆活動もしている。クマスファクトリー所属。<http://www.kuma-3.com/>

2010年5月 6日 (木)

虫干しをしてみませんか

今年の春先の寒さには参った。しまい込んだ冬物を出すのも面倒だし、4月になって冬物を着るのも嫌だった。でも、さすがに五月に入ってからはぽかぽかと暖かく、さわやかな日が続いている。一年のうちでも、比較的湿度の低いこの時期は、絵画や美術工芸品の虫干しに最も良い時期。長いこと押し入れやタンスの奥に、大切?にしまっておいた作品を出してきて虫干しをしてみよう。作品を出して来たらば、まずは表も裏も、表も中も、重箱の角を突っつくようにして、なめるように細かく観察をしよう。異常が見当たらなければ、日陰で、新鮮な屋外の空気が交換している場所にさらして、含んでいた湿気を飛ばす。注意しなければ行けないのは、この時期は結構風の強い日もあるし、落下や転倒の危険があるから、風の通り道になる様な場所には作品を置かないということ。作品をさらす場所は、事前に外気を交換した室内で行なう(できれば害虫の侵入にも注意を払って欲しい)。この折、収納箱があれば一緒にふたを開けて空気にさらそう。湿った作品が入っている収納箱は同じように湿っている。『干す』といっても、決して直射日光を当てては行けない。窓やカーテン、障子越しでも、太陽光線の中には紫外線など、退色や劣化を促進させる効果があるから、基本的に光は直接当てない様にしよう。また、急激に気温が上昇する様な非、時間も結露が発生する場合があるので気をつけて欲しい。
結露の危険があるので虫干しにおいて大切な事は、とにかく観察を徹底的に行うこと。そして、観察の結果を記録しておけば完璧。観察を定期的に行うことで、あなたはその作品を熟知することが出来るし、問題が発生しても、もしかしたら初期的な症状で早期発見できるかもしれない。押し入れにしまいっぱなしの物でなくても、床の間に掛けっぱなしの掛軸や、玄関にかけっぱなしの絵画、リビングの置物もちょくちょく観察して欲しい。

デジタル作品の未来

確か、二十歳になるかならないかの頃、都内の美術館でナム・ジュンパイクの展覧会を見たときの印象は強烈だった。会場にはたくさんのブラウン管モニター(もちろん、液晶も、プラズマもない頃)にめまぐるしく、とめどなく映りだす映像の断片は、そのとき予想だにしなかったデジタル社会の到来を予言していたように思う。それまでは、純粋に手作業で物作りを行ってきた芸術、確かに芸術とはそういうものだと思っていた世界に、突然現れたテレビの集合体。機械化された工場でシステマティックに、そして大量に製造された電化製品の集合体は、とても不思議で謎めいた世界だった。あれから30年近くたって、コンピューターの進化にともない音楽の制作や映像技術は激変し、コンピューターグラフィックは芸術表現の道具として当たり前のものとなった。今や多くの芸術表現が電子信号の集合体と化し、インターネットを通じて世界を駆け巡る。果たして、この芸術表現はどうやって残されるのだろう。電子化された情報は瞬くうちに容易にコピーされ、音楽のリミックスよろしく加工されて、さらに新しい何かを作り出すことが出来る。この世界には、一体どこにオリジナリティーを見出せばよいのだろうか。オリジナリティーというモノ自体に意味はあるのだろうか。
ブラウン管もいつかこの世から消え去るに違いない。ナム・ジュンパイクの作品を見ることはもう出来なくなるのだろうか。めまぐるしく進化を続けるデジタル技術の陰で、記録メディアも変化を続け、フォーマットとハードウエアの進化によって、現存するデジタル情報は陳腐化するばかり。今私たちの周りにある数多の情報は、創造物は、いったいいつまで利用することが出来るのだろうか、残すことが出来るのだろうか。 

2010.05.02『六本木クロッシング2010展・芸術は可能か』を観て

○『六本木クロッシング2010展・芸術は可能か』 2010年3月20日〜7月4日 森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)
<http://www.mori.art.museum/contents/roppongix2010/index.html>

○ナム・ジュン・パイク(Nam June Paik 白南準 )1932〜2006年。韓国系アメリカ人の現代美術家。ビデオアートの先駆者として代表的な存在。

« 2010年4月 | トップページ | 2010年6月 »