『元』に戻すこと『元』を守ること
修復というと、多くの人が『元に戻す』というイメージを抱くのが自然かと思う。けれど、総ての物質には動植物の様な再生機能はないから、元に戻すには色々と人の手を加えなければならない。そして、その行動が過ぎれば、元には無かった物がたくさん加えられ、図らずも取り除く必要の無かった何かを失う危険性もあり、貴重な美術品や歴史資料を扱う場合にはとても大きな問題となる。
今日、私達修復家には、修復対象となる物の制作原初の姿形を追求し、それを厳守すること、保護することが強く求められる。美術品や歴史資料に代表される文化財の修復は、例えば車の板金塗装の様に、傷んでいない箇所まで塗装を行って修復箇所をわからない様にしたり、作業効率が良いからと、周辺のドアやバンパーを丸ごと新しい物に変えるという様なことも絶対にしない。多少傷んでいても、創造者、製作者が選び、使ったものであるのならば、それを出来るだけ保たせる処置をするのが原則である。
私達が頭の中で描く『元に戻す』とか『元』というイメージ、その理想の姿形は、人それぞれに異なるし、そのイメージは『元』とはけっこう異なったものと化していることもある。私達の心と脳は、時に自分さえ気づかぬうちに、適当に新しいイメージをつくり出してしまうものだ。だから、私達は修復の対象から、その特徴をよく理解し、発生している問題、症状をつまびらかに調べ上げ、あちこちから光を当てては念入りに観察し、実際の『元』を理解することから仕事をはじめる。修復処置にいたっては、必要最小限と思われる処置に徹して、加える物(例えば絵の具や接着剤など)は短期間で変質したり、対象に被害を及ぼすことのない物を選び、さらに後日容易に取り外せる様、可逆性のある物を使用しておくことで、いつでも修復以前の『元』の状態に戻せる様にも心がけている。貴重な美術品や歴史資料の修復は、調査と記録に何日も費やして、修復処置は数時間ということも少なくはない。『元』を守るということは、なかなか一筋縄では行かない、厄介な作業であり、それが修復家の仕事なのである。
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