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2009年11月

2009年11月25日 (水)

文化の見え方伝え方

グローバル社会といわれて久しいが、言葉や文化の交流はずいぶんと昔からあった。日本では6世紀頃の仏教の伝来に始まって、織田信長はキリスト教文化を通じて、様々な物や情報を手に入れ、自分なりにうまく利用した。19世紀中頃、パリで開催された万国博覧会では日本の文化が紹介され、ジャポニズムなる流行となって、印象派やアールヌーボーのアーティストたちに大きな影響を与えている。
今や一日に膨大な情報が高速で世界を駆け巡っている。人はデジタル装置ではないので、情報の受け渡しを正確無比になどおこなえるハズはないから、何かが他者の手元に移る度に、少しずつ本来の意味とは違ったモノとして捉えられ、扱われているうちに変化する。これは、同じ地域や国の中でもおこることだし、異なった言葉や文化背景を持つ者の間でならば、変化する事こそ自然なのかと思う。
白である必要があった(日本の柔道家は主張していました)柔道着が、いつか国際大会で『紛らわしい』ということで、青と白になったのは、さして記憶に遠くはなかろう。ここ数年、日本の相撲の関係者が外国人力士の行動に『品格』がないと騒いでいる。柔道は世界に受入れられてから、かける技の美しさよりも勝敗を争うことが優先される競技となり、相撲はその存亡を外国人に頼ったばかりに伝統?の保護に手を焼いている。
私達人間同士の理解、認識の相違や変化は、それぞれの説明不足と勝手な解釈(あるいは偉大な想像力)や理解力不足にも原因があると思うのだが、決してどちらか一方が悪いというものではないと私は考える。けれど、自分たちの文化に譲れない価値観や概念、変えてはいけないと思う姿や形、約束ごとがあるのならば、それを守りたいと思うのならば、まずはその特徴や根拠を相手にわかりやすく、丁寧に説明する不断の努力をする必要があるだろう。

Tsukemawasi掛軸や巻物など、伝統的な装幀技術には作法や様式など多くの約束事があるが、地域によって少しずつ差異がある。

2009年11月 9日 (月)

サルガド観賞記

重なる紛争の犠牲者たち
家族を失った深い悲しみ
四肢を奪われた子供たち
流血と憎悪の連鎖

砂漠化が続く大地
容赦のない日照りからは逃れる場所もなく
痩せ細った足を引きずりながら
命をもとめて旅する家族
絶望的な人の弱さ

一瞬垣間見える笑顔
愛くるしい子供たちのつぶらな瞳
神秘を思わせる遊牧民の娘の肢体
たくましい命とその美しさ

アフリカの大地の荘厳さと自然の驚異
人々の営みと狂気
サルガドの捉えた瞬間が心を揺さぶる

セバスチャン・サルガド 『ア フ リ カ』
2009年10月24日(土曜日)〜12月13日(日曜日)
於:東京都写真美術館2階展示室

<http://www.syabi.com/index.shtml>

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