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2009年9月

2009年9月17日 (木)

信仰と修復の関係

仕事柄、信仰の対象となる宗教絵画やその教義を記した教典なども扱う。私自身は信仰を持たないし、たとえなんであれ、その素性がどうであれ、多少は心動かされる事はあっても、修復処置を望まれるならば、専門家としては常に物理的かつ科学的に粛々と必要な作業を行うだけ。信仰の対象を修復するからといって、修復家がその対象に捧げるべき信仰を持つ必要は無いと思うし、私達は日々、信仰にまさるとも劣らぬだろう情熱と、創造物と創造者への敬意を忘れず、経験と知識、技術を尽して修復にのぞんでいる。
かつて、古典彫刻の修復を専門にしている先輩に聞いた話であるが、仏像を修復する際には、僧侶によってそこに込められた魂を抜く行事を行うという。そして、修復が終わってもとの寺院や寺に返却されると、再び魂が入れられるのだそうだ。最近、子供と一緒に見ているアニメーション番組で、主人公の死神が現世で活動をするために義骸(ぎがい)とよばれる仮の身体を使うという荒唐無稽な話をおもいだす。何人も触れざるベき霊験あらたかな仏像も、魂さえ抜いてしまえば、神聖な物さえ素手で触ることが許される様になる。大変に良いシステムであり、便利な考え方かと思う。
余談ではあるが、元々、修復という行為、活動自体、宗教と深くかかわりを持っていた。日本では伝統的装幀技術が経師(【きょうじ】かつては【けいし】とよばれ、教典を記す用紙を染めたり罫線を引くなどしていた)と呼ばれるのもその所以。アジアでもヨーロッパでも、絵画のはじまりは宗教的な物が多く、その制作はもちろん、修復に携わる者もその周辺に関わりを持つ者が多かったと思う。今日の私達の知識、技術の中に往古の聖職者の経験と記憶の片鱗が生きていると思えば、この身も精神もまたいっそう引き締まるだろうか。

Img_5159sanzon釈迦三尊を描いた木版画。紫外線にて撮影した修復前の状態。周囲に白く見える水玉模様は黴の発生痕。

2009年9月10日 (木)

伸びたり縮んだり

絵画の土台となり、文字や地図などを記すための基礎材料(私達修復家は支持体、基底材料などと呼ぶ)となる皮や板、紙、絹織物、麻織物などは皆、天然の動植物から素材を採取し、結構な手間をかけて加工したものが多い。天然素材から作られた材料、製品の多くは、製造後も私達の身体の様に適当な水分を含んでいて、外界の気温や湿度に応じて水分の吸排出を繰り返す。たいていは周囲の湿度が上がると吸収してその分だけ膨張し、周りが乾燥して来ると自ら持っていた水分を吐き出してその分収縮する。この結果として、伸縮、波打、反り返り、干割れや亀裂といった様な現象、症状を私達は目にすることが出来る(経年劣化による保水性の低下、硬化による症状の場合もある)。
現代の様に人工的な環境管理が出来なかったころは、基本的に自然環境の変化になすがままの状態であったが、今や私達は、そこそこの空間であれば、人工的に環境をコントロールできる様になって、一部の公共機関(完全な環境を常時維持しているのはほんの一部の施設のみです)では、この技術を貴重な文化遺産の保全に役立てている。
経済の長い低迷が騒がれる昨今では、日々の光熱費用も気になるし、エコな生活を目指す人にはCO2の排出も気になるだろうか。文化財の保全と環境の保全はなかなか相容れない?
やはり自然環境の悪化(破壊?)が原因なのか、ここ数年は季節のめぐりも不順に感じ、気温の変化(とくに温度上昇)も激しくなった様に思う。あまりの我慢もまた健康に良くないので、エアコンも上手に使いたい。とくにデリケートな美術品や工芸品は、急に大きな変化を与えないのが大切。温度調節をこまめにしましょう(今日はどこかの電力会社のCMみたい)。

Img_0513itaware経年の材料収縮によって接ぎ合わせ部が剥離した板木材は乾燥すると繊維(元の樹木の天地方向)と垂直方向に縮む。

2009年9月 4日 (金)

掛軸はミルフィーユ?

掛軸や巻物(巻子【かんす】よもよぶ)は観賞する時には平に伸ばして広げ、しまう時にはくるくるとコンパクトに巻くことが出来、収納スペースも小さくて済むし移動にも便利。この装幀方法は、ずいぶんと昔、チベットの辺りで、布教活動を目的として沢山の教典を持ち運ぶために考案されたという説があり、西暦500年頃になって、仏教の伝来と共に掛軸装された仏画や巻子になった教典が日本にも運ばれて来る。
薄い絹織物や手漉きの紙に文字や絵を記す東洋の文字記録や絵画は、このままでは脆弱で、すぐに折れたり破けたりしてしまうので、利用するのも持ち運ぶのも難しい。そこで考えられたのが『裏打』という加工。裏打とは簡単に、糊を塗った紙を作品や資料の裏側に貼付けること。これによって脆弱な絹織物や紙に必要な強度を与えることが出来る。
書画を掛軸や巻物に仕立てる『表装(ひょうそう)』『表具(ひょうぐ)』『経師(きょうじ)』なととよばれる技術は、日本の手漉き和紙の特性を生かして、巻いたり広げたりを繰り返しできる様に、薄い紙、質の異なる紙を何層かにわたって裏打し、なお硬く強ばらぬ様に、しなやかな掛軸や巻物を仕立てる高度で洗練された装幀術。制作には作品と装幀に使う織物(裂地)それぞれを同じ様な厚さ、硬さ(しなやかさ)になる様に裏打し、さらに裏打した作品、裂地同士を接合の後、また何度かの裏打を行って仕立て上げる。裏打の回数は作品の大きさや質にもよるが、大きなものになると5〜6層の裏打をすることもある。出来上がってしまえば一見一枚のシートに見える掛軸や巻物。でも実は多層構造(ミルフィーユほどじゃないけれど)となっている。

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写真は古い掛軸の修理作業。傷んだ裏打紙を取り除いているところ。

膠(にかわ)のはなし

絵画制作で欠かすことが出来ない絵の具は、簡単に、色のもとである顔料(一部は染料)とそれ自体を固め、なお紙や布などに固着させる接着剤の二つからなっている。油絵の具ならば乾性油と呼ばれる油。水彩絵の具はアラビアゴム。日本画で使う岩絵の具は顔料と膠を混ぜたもの。この膠は動物の皮や魚の浮き袋を煮だして抽出したいわゆるゼラチン。タンパク質が主成分。
岩絵の具に混ぜられた膠はゲル化(ゼリーの様な状態)して顔料を塗布した場所に止めるが、いずれ含んだ水分の蒸発とともにその体積を微妙に小さくしてゆく。接着寿命はそれ自体の劣化にもよるが、用法として最初に使用した膠の量(濃度)、絵の具を塗る用紙や織物、木材など被着物の収縮によっても接着状態は変化し、早期に剥離に及ぶことがある。いくら塗った絵の具がしっかりと固まっていても、塗った土台が伸び縮みしたり動いたりすればそこにズレが生じ、結果としてその上に付いていた絵の具は引きはがされたり割れたりする。
膠と顔料を『混ぜる』と記したが、岩絵の具の場合は顔料と膠の比重の差が大きくてちゃんと混ざらない。作った当初は何となく混ざっているが、いずれ重い顔料は沈殿する。固化中にも膠に含まれた(溶解、希釈に加えた)水は大気中に気化して減少し、固化後は絵の具の分子(つぶ)と膠の分子(つぶ)が隣り合って『点』でくっ付く様な感じになっている。膠を混ぜた絵の具の体積は、膠の乾燥と共にさらに収縮するので、しっかりと固化しないうちに絵の具を重ねると、重ねた表面が先に固化し、いずれ時間を置いて下層の絵の具が乾き始めるため、その収縮によって上層の絵の具に亀裂や剥離を生じさせることもある。一度に分厚く塗るのも亀裂や剥離を引き起こしやすい。一度剥離をはじめたら、早期に大きな破壊に至ることもあるので、描画部にちょっとでも亀裂や剥離を見つけたら、大事にならぬ様に専門家に相談されたい。

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日本画の絵の具が剥離した例。作者独自の技法自体が不安定で、デリケートな作品をつくり出すこともある。『うつくしいはな』ならぬ『うつくしいえ』も気をつけなければならない。トゲは無くても、、、。

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