デジタルデータの宿命
最近、毎朝のメールチェック作業の折りに昔集めたJAZZレコードをよく聞く。暫く聞いていなかったアルバムはけっこう新鮮に聞こえたりする。レコードがCDに変わったのはいつだったろうか。今や音楽はデジタルデータ化して、胸ポケットに入る名刺入れ程の軽くて小さな電子機器に、軽く数千余曲をダウンロードして持ち運び、いつでもどこでも楽しむことが出来る様になった。気がつけば、この世の中にあるおよそすべて物事がと言ってもよいほど、音楽に限らず、ありとあらゆる情報がデジタル化され、文化財保存の世界でも応用されている。 いまや、膨大な情報がインターネットを通じて、世界中の津々浦々に流れ、渦巻き、すでにウエッブ上でかわされる電子メールの数は、なんと一日あたり310億通(2004年7月当時の記録)と想像をはるかに超える。デジタル化されたデータのメリットは検索、製作、配布、複製と、汎用性があり、利便性が高く、近年は、主要な研究機関や図書館などで管理される貴重書、文章記録をはじめとして、多くの文化遺産とその情報がデジタル化されている。しかし、こんなに素晴らしいデジタル情報も、それに匹敵するデメリットがり、やはり完璧な物ではないことを覚えておく必要がある。 ダジタルデーターもアナログデーターと同じ様に記録し、音源や文字、画像などの情報を保管をする必要があるが、この情報の保存容器、収納庫に問題がある。コンピューターのハードディスクも、移動可能な記憶媒体としてのフロッピーディスク(もう誰も使わなくなった?)、MO、CD、DVD、も、それぞれに物理的な耐用年数に限りがあり、その年数も思いのほか短い(利用、管理の方法によってはさらに短くなる)。さらに情報をつくり、あるいは読み込む電子器機、コンピューターが日進月歩で進化、変化(これは記録媒体も同じ)しており、これも情報の保存を危険にさらす。ハードウエアーが進化するたび、フォーマットやソフトウエアも進化し、このたびにデータの更新作業が必要になったり、放っておけばそれは陳腐化するばかり。いつか利用することもかなわなくなる。少ない情報ならばこれも容易かろうが、いったいいつまでイタチごっこをすれば良いのやら、、、。そんなデジタルデーターなのである。
修復家は預かった資料や作品の写真記録を撮ることを習慣的に行なっている。私も年間2000〜3000カットの撮影を行なうが、最近は、顧客の要望もあってデジタルカメラを利用することも多くなった。デジタルカメラは撮影した画像をその場ですぐに確認できるから取り残しや取り損ねがなくなってよいし、ランニングコストも安く済む。画像の管理もことのほか楽で場所ももちろん取らない。 しかし、良いことばかりのこの一方で、すでに100年余の保管性能を実証しているフィルム写真に比べて、便利ではあるが、フィルムも、プリントも残らない写真には、どこか頼りないデジタル写真と思う。