年中行事です
この5〜6年間、毎年の恒例の様に、年始から大きな絵画や絵図面を修復している。預かる資料は芝居の興行に使われた手書きの看板絵や王族の陵墓図、戦国時代の地域の勢力図や江戸場内図など様々であるが、広げると縦横とも3〜4メーターを越える物もあり、取り扱いにもひと苦労。普段工房で使っている大きな作業台を二台接合して修復作業に望む。
この種の大きな作品、資料のほとんどはA4サイズ程度に細かく折り畳まれるか、くるくると丸められて長く利用、保管されており、折り畳んだ物は折れ山あたりが裂け、丸めていた物は丸めて筒状になった外周は手垢で汚れ、内側は埃が堆積し、黴なども目立つ。掛軸の様に心棒がない状態で丸められた作品は不用意な扱いによって潰れ、折れ痕が発生する。さらに経年によって文字が書かれ、図像が描かれた料紙は劣化、あるいは硬化し、大きく波打っていて、全体を平滑に伸ばすことだけで丸一日ほどかかる物もある。
« 文化財はあたらしい!? | トップページ | デジタルデータの宿命 »
「保存修復」カテゴリの記事
- 絵画の擬人化 (2023.05.14)
- 保存修復の秘密(2023.04.30)
- 私たちはなぜ修復をするのか(2023.03.10)
- あらためてパティナという古色を考えてみる(2022.11.10)
- 額装の心得 その1. ーガラスは作品に密着させないー(2022.10.13)
はじめまして。唐突で恐縮ではありますが質問があります。
いま大学(社会学部)の教員をやっているのですが、ゼミ生(今月卒業)から突然、美術修復士(日本画)になりたいと相談をうけました。私としては「美大とかでてないと難しいのではないか」といったのですが、何せ専門領域が違うので適切なアドバイスができなくて学生に申し訳ないなと思っています。
少し調べた限りでは、西洋絵画の修複は美大→イタリア修行のようなキャリアが主流のようですが、日本画(東洋絵画)の修復士の場合はどのようなキャリアを積んで、職に至るのでしょうか。まったくの素人がいきなり弟子入りをするということはあるのでしょうか。
修復に関する書籍はあるようですが、修復士にかんする書籍はないようで、情報が少ないようです。何かアドバイスをいただければ幸いです。
投稿: 祥子 | 2009年3月 6日 (金) 15時56分
コメントいただき有り難うございます。
現在、保存修復の世界は、欧米の影響があってか、技術よりも学術的な知識が優先される傾向が強い様です。私がこの世界に入った頃は、専門の学科を設ける教育機関は東京芸大の大学院など極めて限られており、私の場合は現場で学ぶ方法しか(幸い現場に就職できました)ありませんでした。また、技術者として、何より技術を身につけたかったので、先ず現場での修行を選び、足りない部分はほとんど独学でこなしてきましたが、現在はある程度の知識がなければ工房は受入れてくれないでしょう(私の工房でも受入れません)。近年は専門の学科を設ける大学、教育機関も(たしか奈良大学は通信教育もあったと思います)増えたようで、第一線で活躍したいと思うのであれば、こういった教育機関で学ぶことが今は最良(きっと楽でしょう)かと思います。ただし、この類いの教育機関でも、技術を習得することは難しく、修復家になる為にはやはり最終的にいずれかの在来の工房、修復機関に就職するなどして習得するほか技術を身につける道はありません。実はこの事情はどこの国でもほぼ同じようで、修復家を国家資格としているイタリアでも、大学で学位を取った後、数年間、工房での実務が義務づけられています。
現在、日本では修復家という職業が国家資格としてはありませんので、美大を卒業しなくても修復家になろうと思えばなれます(美大を出ていることはさほど重要ではありません)。私の周りの修復家の中には、化学畑からこの道に入ってきた人もいます。しかし、やっぱり描けた方が有効です(必要です)。絵画技術だけではなく、科学的な知識や記録する為の写真術など、、、。修復家の仕事は知識と技術をバランスよく身に付ける必要のある仕事です。修復家になる手っ取り早い方法はありませんが、学ぶ方法もアプローチの仕方もたくさんあるかと思います。
以上私の経験からのアドバイスです。
投稿: ニードルアイ | 2009年3月 6日 (金) 18時15分
お忙しいところ、大変丁寧な返信をいただき、ありがとうございます。御蔭さまで大分ことの輪郭がみえてきました。もしよろしければ、もう少し質問させてください。
その学生の話によれば、絵を書くことはすきだけれど、きちんとした絵の教育はこれまで受けたことがないとのこと。現在では大学等で修復学を納めなければ、工房も受け入れをしないということですが、①それは大学教育レベルなのでしょうか、それとも大学院教育のレベルが必要になるのでしょうか。
また例えば東京芸大大学院文化財保存学専攻には「保存修復学コース」と「保存科学コース」があり、前者は実際の修復技術を身につけるようで(入試には作品提出が必須)、後者は保存に関する科学的知を学ぶようです(入試に作品提出は必要なし)。②工房の方が修復士志望の人に(大学等で学んでほしいと)求めていらっしゃるのはどちらのことが大きいのでしょうか。私の相談に来た学生の場合、絵の教育を受けたことがないので、作品提出は難しいのだと思います。保存修復に関わる科学的知を大学(院)等で学び、実際の技術は工房で一から学ぶというキャリアか、もしくは美大等に学部から入り直して技術と知識を両方とも学んでおいて、工房でさらに技術を中心に磨くというキャリア、どちらをその学生に薦めるべきかということで悩んでおります。
さらに、③保存修復の業界では、人材のニーズというものは大きいのでしょうか。大学(院)や専門学校で修復について学んだ学生が皆,工房に就職できるわけではないと思いますが、その割合というのは厳しいのかどうなのか。
一方的な質問のみで大変恐縮ではありますが、お答いただけえば幸いに存じます。
投稿: 祥子 | 2009年3月 7日 (土) 11時26分
以下ご質問に則して、私の知っていること、経験として記します。
①絵画や歴史資料などを修復する工房は数多くあるかと思いますが、もともと額や表装をつくる傍らに修理を受けているところもあれば、修復を専門にしているところもあります。修復を専門にしている機関、工房でも、扱い物が市場にある絵画であったり、公共機関に置かれるものであったり様々です。従って、全ての工房が大学教育の習得者を望んでいるものでもないと考えます。しかし、公共機関の資料、作品、国宝などを扱い機関では、それなりの知識レベルが求められると思います。
②先述に重なるところもありますが、工房によって求めるものは異なってくると思います。分業制を取り入れているところもあり、修復技術者と研究者双方を必要としている工房もある様です。即戦力として技術者を要求しているところでは、やはり技術を優先視するでしょうが、実際のところは、私の経験の限り、既存の教育機関を卒業して即戦力になる者はなかなかいないと考えています。大学で学び、およそ確かに習得できるのが学知のみであるのならば、即戦力として使えるのが科学知識を得た人として、工房も受入れやすいことがあるかもしれません。
③人材のニーズは極めて少ないと考えてください。もともと、マーケットも、需要も限られた職業です。修復に出される物は貴重、かつ高価な物に限られ、そうでない物は安い賃金による修復を求められるか、放置されるのがほとんどです。
直接的に生活に必要のないこと、経済効率、市場価値ばかりに目をやる傾向が強い日本では、文化財の保存、修復に理解をもとめ、仕事として得ること自体が難しいのが実情です。
投稿: ニードルアイ | 2009年3月 7日 (土) 12時24分
大変詳しく、教えていただきありがとうございました。アドヴァイスいただきましたことを学生に伝させていただきましたところ、「夢に挑戦したい」ということで当面はアルバイトをして学費を稼いでから、来年度以降に然るべき学校(大学)に入るということでした。学校(大学)選びなどは実際に工房の方にお話を伺いに赴いて決めたいと言っておりました。
年齢的なものも含めて、学校(大学)を出てから工房に受け入れてもらえるかが勝負になると思いますが、このご時世にあって何か職人的技術を極めたいというのは私も応援しがいがあります。
たびたびの質問にお答えくださり、感謝しております。ありがとうございました。
投稿: 祥子 | 2009年3月 8日 (日) 15時47分