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2009年1月

2009年1月15日 (木)

文化財はあたらしい!?

仕事上、私達は過去に修復された作品をよく見る。そこには、現在では認められない、過った処置が施されていることが少なからずある。過去の行動を否定することは容易いのだけれど、よく観れば、そこにも必ず、それを残そうとして来た人々の工夫や努力を読み取ることができる。当時は、今のように高度な科学的知識はなかったし、 現在のような生産も、流通システムもないから、修復に必要な材料にも大きな制約を受けていたことだろう。今ここに観られる全ては、何もかもが足りない中で、経験をたよりに、知恵を絞り、工夫をして、持てる技術を投じた結果として捉えることが出来れば、また学ぶことは多いと思う。そこには、きっと現在と同じ様に、人と社会が求める価値の回復や保護、延命への懸命な努力を観ることが出来るだろう。そして、守られた『価値』を見出すことができる。人のつくり出した物は、それが創造者の手を離れ、世界に委ねられた瞬間から、他者によって様々な価値が見いだされ、時の人々、社会によってしっかりと価値が認められることで大切にされ、長く利用され、守られてゆく可能性がうまれる。今、私達のもとに運ばれてくる絵画や歴史資料は皆、こうして多くの人々によって『価値』が見いだされ、理解され続けてきた物なのだと思う。
一方、価値とはまた、人と社会、時代によって変化することを避けられない。長く守られ、遺されてきた絵画や彫刻などの美術品、偉人の記した手紙や大音楽家の自筆の原稿、古書、古地図、、、。今日文化財などと呼ばれるの類いには、その生きながらえた長い年月の中で、様々に解釈され、意味付けされ、価値が与えられている。たとえば、資本主義経済世界の中で産み出された、価格という価値も、あるいは、文化財というイメージも、あるひとつの社会(資本主義世界、学術的な世界)の枠組の中で、新しくつくり出された価値であり、実際の物づくりの時空間からうまれたものではない。それは制作当初に纏っていたものでもなく、あくまで創造の後に他者によってつくりだされ、投影され、付帯されたモノであることに変りはないと思う。

文化財はあたらしい!?


Img_7354
◎過去の修復痕 オーバーペインティングの例(紫外線撮影)。
顔の部分、明るく白い箇所は、後に異なった絵の具で健常な箇所に上塗りしたもの。
絵の具の剥がれ落ちた部分を補う為におこなった過去の処置と思われるが、健常な部位にまで色を塗っており、使った絵の具や塗り方にも問題がある。

2009年1月 9日 (金)

修復する価値

経済重視(偏重?偏執?)の日本の社会では、美術品や歴史資料を資産として捉える傾向が強い。長くこの仕事をしていると、少なからずこの『価値』を訪ねてくる人がいるが、修復をする価値があるかどうかなどと訪ねてこられると甚だ返答に困る。
ここで言う『価値』というのは、市場価値を指しているのだろうが、美術品の市場価値などというものは株価に等しく、変動するのが当たり前で、決して絶対的なものではない。時につれ、あるいは国や地域によって大きく変わる。きっと賢明なる人々は熟知しているだろうが、それは確かに流動的で不確定。市場はまた、需要と供給によって簡単に変化するものである。
修復する価値があるかどうかを判断するのは私達修復家ではない。たとえそれが偽物だろうが、市場で価値のない物であろうが、望まれるならば専門家として技術を尽くす。それが修復家の指命だと私は思っている。なるほど、作品の価値と修復代金を量りにかける気持ちもわからないでもないが、自分の持っているものを、いたずらに市場価値のみで推し量ることはあまりにも寂しい。モノの価値を見い出す方法はもっと他にもある。まずは、もういちど、自分自身の目で、その形を、色を、しっかりと捉え、感じて欲しい。感じた何かに価値を見出して欲しいと思う。そして、それが何故、今あなたの手元にあるのかを考えてみるのも良いだろう。たとえそれがあなたの求めた物ではなかったとしても、そこにある限りは、誰かがその価値を見い出していたということである。その価値を考え、あるいはそれを見い出した人に思いを巡らせるのもよいかもしれない。
私達修復家は人の創造物を修復し、より長く延命させる技術と知識を持っている。しかし、私達の技術を利用するかしないかをきめるのは、所有者であるあなた以外には誰もいない。二束三文で売却するも、破棄するも、放置して朽ち果てるのを待つのも、すべての決定権利は所有者にあり、管理者であるあなたにある。そして、たった一握りの人間の価値判断によって、そこでは量ることのできなかった何か大切なものが失われるとすれば、それはとても悲しいことだと思う。

世界的な経済危機が騒がれている今、すでに貴重な文化財の多くが存亡の岐路に立たされているのだろうか。どうか、忘れないで欲しい。失った物は二度と戻らないということを。

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