文化財はあたらしい!?
仕事上、私達は過去に修復された作品をよく見る。そこには、現在では認められない、過った処置が施されていることが少なからずある。過去の行動を否定することは容易いのだけれど、よく観れば、そこにも必ず、それを残そうとして来た人々の工夫や努力を読み取ることができる。当時は、今のように高度な科学的知識はなかったし、 現在のような生産も、流通システムもないから、修復に必要な材料にも大きな制約を受けていたことだろう。今ここに観られる全ては、何もかもが足りない中で、経験をたよりに、知恵を絞り、工夫をして、持てる技術を投じた結果として捉えることが出来れば、また学ぶことは多いと思う。そこには、きっと現在と同じ様に、人と社会が求める価値の回復や保護、延命への懸命な努力を観ることが出来るだろう。そして、守られた『価値』を見出すことができる。人のつくり出した物は、それが創造者の手を離れ、世界に委ねられた瞬間から、他者によって様々な価値が見いだされ、時の人々、社会によってしっかりと価値が認められることで大切にされ、長く利用され、守られてゆく可能性がうまれる。今、私達のもとに運ばれてくる絵画や歴史資料は皆、こうして多くの人々によって『価値』が見いだされ、理解され続けてきた物なのだと思う。
一方、価値とはまた、人と社会、時代によって変化することを避けられない。長く守られ、遺されてきた絵画や彫刻などの美術品、偉人の記した手紙や大音楽家の自筆の原稿、古書、古地図、、、。今日文化財などと呼ばれるの類いには、その生きながらえた長い年月の中で、様々に解釈され、意味付けされ、価値が与えられている。たとえば、資本主義経済世界の中で産み出された、価格という価値も、あるいは、文化財というイメージも、あるひとつの社会(資本主義世界、学術的な世界)の枠組の中で、新しくつくり出された価値であり、実際の物づくりの時空間からうまれたものではない。それは制作当初に纏っていたものでもなく、あくまで創造の後に他者によってつくりだされ、投影され、付帯されたモノであることに変りはないと思う。
文化財はあたらしい!?
◎過去の修復痕 オーバーペインティングの例(紫外線撮影)。
顔の部分、明るく白い箇所は、後に異なった絵の具で健常な箇所に上塗りしたもの。
絵の具の剥がれ落ちた部分を補う為におこなった過去の処置と思われるが、健常な部位にまで色を塗っており、使った絵の具や塗り方にも問題がある。