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芸術は未来のヒント

フェルディナンド=ソシュールという言語学者は『人は生まれた時から言葉の網にとらわれる』といい、文化人類学者のレヴィ=ストロースは『人は生まれながらにして社会の見えない構造にとらわれている』といった。ある精神科医によれば、このことを教育し、躾ける機関の最たるのが学校であるという。日本で言うならば、ほとんどの人が幼稚園から中学校まで、およそ10年以上にわたって、この言葉や社会の構造にうまくハマるように教育され、躾けられるのである。
こんな話を聞くと、私たちには自由な意志があるじゃあないかと思う人もいるだろう。けれども偉大なる先人が唱えた構造主義哲学の立場から見れば、私たちは皆、牢獄のような閉じられた中にいて、この意志さえも、言語や社会のあり方に左右されてしまうのだ。

でも、しかしだ。脳科学者によれば、私たちの脳の中には、あまり使われていないような領域があって、そこは未知数のようだ。もしかして、この脳の一部分に、例えば学校での教育も歯が立たず、躾けることさえ手強い何かが残ってはいまいか。

私は長く絵画をはじめとした芸術作品の修復を生業としているが、いうまでもなく、絵画の中には言葉はない(ある物語をテーマにした作品はあるが)。往古の作品の中にも不思議なものや奇妙なものはあるが、とくに現代絵画の中には、理解することさえ拒絶されるような、対峙する私たちを困惑させる作品も少なくない。そして、きっとそんな芸術作品の創造者たちの頭脳の中に、いまだこの世界にとらわれていない、躾けられていない独自の、原始的とも言えるような思考世界が維持されていて、その思考があるからこそ、独自の作品を創造することができるのだと私は踏んでいる。それはまさに、今までこの世界になかったものを作り出す源であり、これまで見たことも聞いたこともない世界だからこそ、筆舌に尽くし難い何かをたたえ、私たちの想像を超えて、驚きや不安、不思議な感覚を覚えさせてくれるのだと思う。
芸術がわからない、理解できいないという人がいる。それは私たちの多く、いやほとんどの人がこの言葉にとらわれ、この社会の虜となっているからなのだろう。だから、その外側にあるモノはわかりにくいのだ。おそらく、人間の芸術活動こそがこの言葉の網を破り、現代社会の構造を飛び出して、未来へ向かうきっかけや手がかりとなるのではないだろうか。そこにこそ未来のヒントがあるに違いない。だから、私たち人類にとって掛け替えのない芸術活動なのだと思う今日この頃である。

私の中にも躾けられていない思考が残っているだろうか。

 

2024年4月12日 (金)

残すもの取り除くもの ー扁額の修復処置ー

最近修復処置を行った扁額(墨書/https://nyushodo.com/report014.html)は、現在の状態をできるだけ残したいという要望のもとに作業を進めていった。伝統的な扁額は、作品を保護するようなガラスの装着もなく、家屋の天井近く、長押板【なげしいた】の上にのせるようにして、ちょっと下を向くように壁に掛けて鑑賞をする。高い場所に置かれることもあってか、一度展示するとそのまま放置されることが多く、表裏共にむき出しの状態になっているので、修復を依頼されるときには結構な塵埃が堆積しており、長い間光にさらされているために変退色も進み、温度や湿度の影響をダイレクトに受けているため劣化もかなり進んでいることが多い。
今回処置した作品も、表装部分、背面に貼られた唐紙共に劣化が著しく、揮毫された文字の墨は定着力を失って、粉化した墨の粉末が散乱し、背面に貼られていた唐紙には大きな破損と部分的な材料欠失があり、調査当初よりそれなりの覚悟をしていたものの、そのフタを開けて見れば、思った通りのこともあり、想定外の問題もあり、結局いつもの通り。一筋縄ではいかない仕事となった。

修復処置にあたっては、まず縁を取り外すのだが、これがまた厄介で、固定のために打ち込まれていた釘が錆びてしまっていて容易に引き抜けない。釘の頭の部分をペンチなどでうまく掴んでも、引き上げようとすると釘が崩れてくる。今回は縁も再利用することとなっていたため、出来るだけ傷付けないよう作業を進めたが、錆びた釘を放置しておくことも良くない(周囲の木材が腐朽する)ので、彫刻刀やルーターを使って、虫歯の治療のように変色していた釘の周囲を最小限削り取り、隙間から先の細いペンチなどを差し込んで、辛くも全て引き抜いた。もちろん、この釘は再利用できない。

表の本紙と古い表装材料は接着剤も劣化していたことから、当初の予想より楽に分離できたが、大きな破損があった裏面の唐紙は思った通り。不用意に力を加えるとポロポロと紙が崩れてくるので、とにかく慎重に作業を進める必要があり、久しぶりに緊張した時間を過ごさせてくれた。
本紙と古い表装材(鳥の子紙と思われる)、裏面の唐紙も、長い間外界に曝されて来ているため、汚れも変色も著しく、洗浄する必要があったが、本紙と表装材については、その紙質の違いから、洗浄によって伸縮の違いが生じないように、分離しないまま洗浄する方法を用い、大破していた唐紙についても、残存している部分をいったん綺麗に元に戻し、仮固定した状態で洗浄処置を行なった。

今回の修復作業において、最大の問題が下骨(【したぼね】杉角材で作った格子状の構造材)の取り扱いであった。今回はこの下骨についても再利用する予定で解体を進めてみたものの、古い下張り紙を剥がして出てきたのは、継ぎ接ぎだらけの寄せ集めの材料だった。あろうことか、最も頑丈に作らなければならない外周の框材には、襖の縁を加工したと思われるものが使われ、ホゾ穴が等間隔で開けられており、中央に計4箇所ほどあった桟材の接合(角材の継ぎ接ぎ)箇所に打ち込まれていた木ネジや釘はサビが酷く、周囲の木材は黒くなって腐朽し、指で軽く押しただけで崩れるような状態となっていた。
この下骨は物のない時分に制作されたものか、あるいは経済的制約かあったのか、それとも手近にあった材料を使っただけなのか、額装した表具店周辺の物資の流通にも問題もあったかもしれない、、、。この脆弱な寄せ集めの下骨も、見方によってはそれなりの工夫が見られ、とてもユニークな作り、形態をしており、独創的であった(この下骨材は資料の一部として別途保管されている)。
このような下骨も、なんとか再利用をすることは可能であろうが、この下骨は額の主要な構造材となり、作品を固定する土台ともなることから、今後のことを考えて、私は新しい材料との交換を強く勧め、受け入れてもらった。

新しい下骨は良質の杉材、白太材を使い、下張り6層(骨紙貼り、胴貼り、蓑掛け3層、蓑押さえ、下受け貼り、上受け貼り)を行なって、修復した作品、表装材、唐紙を貼り合わせ、縁も元あったものを修復、清掃して再取り付けした。


はるかな時を超えて、老化、劣化、腐朽し、大きく傷ついた作品を残してゆくのは、技術的にも難しく、修復した後の取り扱いも決して楽にはならない。傷んだ箇所を修復して、ぱっと見は綺麗にすることも、ある程度丈夫にすることもできるのだけれども、今あるその姿形、質感のようなものまでを残そうとすると、処置にも制約が生じ、出来ることが少なくなって、処置後も問題を内包したまま顧客に返却をすることになるので、その後の所有者や管理者にも負担が生じる。

修復技術者の最も大切な使命は、今ある姿や形を『残す』ことと『延命』にあると考えているが、実際に長くこの仕事をしていると、それを両立させることが難しいケースも少なくない。残すことで短命になったり、除くこと、捨てることでより延命につながることもあり、さらには視覚的に良好になったり、元来持っていた機能が改善されることもある(そういったことを望まれるケースも多い)。

大切に、長く守られてきたものほど何を残し、何を取り除くかを選ぶことは難しい。
そこにどんな価値を見出すのか、それは残す価値がないのか。

 

2024年3月28日 (木)

修復と言う名の支配

3月24日に東京芸術大学で開催された国際シンポジウム、『未完の修復』で登壇された文化人類学者の古谷嘉章さんは、アマゾンの奥地で発掘される土器の話をされる中で、出土された土器が近隣の人々が使う水瓶になったり、お土産として売る複製品の元になったりするという話をされていたのが印象深かった。彼の話の中で一番気にかかったのが、考古学が発達すると『考古学がそれを支配するようになる』という発言であった。
考古学者が埋蔵していた土器を発掘した瞬間から、それは埋蔵文化財、歴史資料となり、調査、研究の対象となる、土器の断片は詳しく調べられて、制作当初の姿形を追求して関係に復元されたり、博物館に持ち込まれればガラスケースの中に入れられた展示物となる。そうなってしまっては、もはや地元の人が再利用することもお土産品の元として扱うことさえできなくなる、、、。

私は個人を始め、大学の研究機関や公共の美術館、博物館、資料館など、様々な人、環境に置かれ、利用されている美術品や歴史資料の修復を長く行ってきたのだけれど、預かる作品や資料の修復に求められるイメージはそれぞれに皆異なった。私たちのような修復家は、よく『オリジナリティー』を守ろうとか、大切にしようというけれど、このオリジナリティーというのも解釈の幅があり、そのイメージは人の経験や学習、価値観によって揺れ動き、製作後にはるかな時を経てきた物であれば、オリジナルな状態、元の状態、その時点を特定することも難しい。
一方、
私たち修復家といえば、壊れた物や劣化した物を巧妙に取り繕うことはできたとしても、それは修復という技術の下に損傷や劣化を見え難くすることがせいぜいで、実際には、物に刻まれた過去の経験や履歴の地層のようなものを部分的に取り除いたり、覆い隠してしまったりすることである。 私たち人間は、タイムマシーンでも持たない限り、実際には痛んだり老朽化した物を元の状態に戻すことはできないのだが、それをして修復という。

私たちがオリジナリティーと呼ぶものは、物の一部を捉えたり、示しているところはあるかもしれないけれど、実は多くの部分で、私たちが心象に作り出す、その理想像であったり、自らの経験や価値観が捉えたイメージとなってはいないだろうか。
そして、修復するということは、それを守り、残そうとする、そうしたいと願う人々の大切にするそのイメージこそ確保し、それこそを永らえさせようとすることが望まれる、人の意図的、恣意的な行為なのではないだろうか。

それは本当にオリジナル、オリジナリティーと呼ぶことができるのだろうか。
私たちのイメージの元に物を支配するということには繋がらないか。

2024年3月27日 (水)

写真はオワコンか

最近の若い人々、通称Z世代を中心に、フィルムカメラが密かなブームになっているようだ。

私は中学生の頃にカメラに夢中になり、安い引き伸ばし機を手に入れて、自らフィルムの現像からモノクロのプリントするまで、写真の基本的な技術を習得した。あの頃、夏休みになると、長い時間暗室に仕立てた風呂場に一人こもり、汗だくになって写真をプリントした。現像液にプリント用紙を漬けると、にわかに自分が写し撮った図像が現れてくるその瞬間に感動を覚えたものである。

最近カメラ店を訪ねてくる人の中には、『綺麗に撮れないカメラはあるか』と訪ねてくる人もいるそうである。どうも言葉に語弊があるようだが、適当に撮っても綺麗に、それなりに良い写真が撮れてしまうスマートフォンの画像に飽きたのか、ピントを合わせるのさえ慣れないと難しいアナログなカメラに、慣れなければうまく撮れないカメラの画像に興味を持ったようだが、どうも、それは私のように写真の伝統的な技法や技術に興味を持ったのとは様子が異なるようだ。
最近の写真屋さんではフィルムカメラで撮った画像をデジタル化してもらえるそうで、Z世代の人達はそれもよく知っていて、撮影したデーターをデジタル化した後のフィルムは廃棄処分してもらう人が多いそうである。撮影した画像はプリントされることもなく、スマートフォンなどのデジタルディバイスに納まり、そこから見ることが出来さえすれば良いようで、あるいは伝統的、すでに古典的といっても良いかもしれない写真、そのモノ(物質)自体はもはや必要とされなくなってしまったのだろう。

今や写真の取り扱い方も随分と変わってきたようだ。私も結構長くコンピューターやデジタルガジェットを使い続けてきた(もはや愛用さえしている)が、デジタル化した画像データは、その管理者や持ち主がいなくなったら、一体どうなってしまうのだろう。いつか宇宙のように広大にになるかもしれないクラウドコンピューターシステムの中に漂い続けるのだろうか。それは今日まではるか100年を超えて残っている写真の寿命を超えるのか。もはやかつての写真技術はオワコンになったのか。Z世代は写真の世界に新風を巻き起こすか。

 

親友である志村正治さんからのメールに寄せて

 

Z世代のフィルムカメラブーム、驚きだらけ ネガは捨てる、オリンパスμだけが欲しい

<https://news.mynavi.jp/article/20240313-2903885/>

柳宗悦の審美眼の行方

思想家の柳宗悦は、日常で使用する什器に美しさを見いだし、製作する職人の手仕事に高い価値を見出した人物である。彼はのちに、陶芸家の富本憲吉、濱田庄司、河井寛次郎らとともに 庶民の暮らしの中から生まれた美の世界(柳が見出した美の世界)を紹介する活動を始め、以後共鳴者を増やしながら、それはやがて民藝運動へとつながってゆく。

柳は民藝運動の祖とされており、彼らの運動によって、様々な地域で生産される食器や家具、衣服(織物)、道具が広く知られるようになり、その価値も、生産者(職人)も高く評価されるようになったが、最近の研究によると、柳はこの運動によって波及する民藝趣味やその大衆化を望んでいたのではなかったようだ。

目黒区の駒場にある日本民藝館は、柳らが見出し、創り出した『民藝』という美の概念を広く社会に紹介するために、その本拠地として建てられた施設であり、私も何度か足を運んだことがある。日本民藝館はその建物自体もとても素晴らしいもので、隅々に伝統的な日本家屋の工法の髄を極めた作りにも魅了される。中に入れば、柳が日本各地、諸外国から集めてきた工芸品が展示されていて、それはどれも皆、柳の審美眼による選りすぐりのものばかりで、その中にはかなり個性的で、一風変わったものも展示されている。
民藝館を訪れると良くわかるような気がするのだが、彼が言うところの『民藝』とは、毎日手仕事により作られる数多の什器の中から『希に』『たまたま』生まれ出てくる『希少な』『選りすぐりな』一品を指して民藝の素晴らしさを謳ったのであり、その土壌や生産者の可能性をも評価はしてはいたのだろうけれど、彼の審美眼が捉えるもの以外は、その対象とは考えていなかった(興味もなかったろう)ようだ。
柳の創造した美の世界は、広く大衆に紹介される途中で、いつか自分の意図していない方向へと変化しながら拡散して、気がつけば何でもありの大雑把な民藝となってしまったようである。竹中均さんの著書によれば、『柳本来の意図とは異なった 民藝趣味 民藝の大衆化 下手物のアウラ化 が起こった』とある。

今日も柳宗悦は民藝運動の祖と呼んで誤りはないと思うけれど、民藝運動とは、実は彼の経験に基づく審美眼、美意識を追求し、構築するための作業であり、それを熟成、成就させるための運動であったよううに思う。それは人の創り出した物への新たな発見、それまで存在しなかった価値観の創造でもあるのだろう。でも、考え方次第では、たとえ柳が不本意であったとしても、彼が思わぬ形になったとしても、柳の運動を契機に、大衆から新たな美意識や審美眼が、価値観の創造がなされたと見ることもできるだろう。そういった民藝運動でもあったのだろうと私は思う。

私たちが今対峙している美術品も、いつかきっと誰かの審美眼に、新しい価値観に捉えられ、新たな存在意味をもたらされるのだろう。

 

日本民藝館<https://mingeikan.or.jp>

竹中均著:柳宗悦・民藝・社会論 ーカルチェラル・スタディーズの試みー

 

2024年3月25日 (月)

オリジナリティはどこにあるのか

文化財の保存や修復に携わるものは、よく『オリジナリティー』という言葉を使う。かくいう私自身も、自分の運営するインターネットサイトでよく使っている言葉でもある。オリジナリティーとは、元々は最初のものという意味で、独自のものとして、何かに加工される前の元とか、例えば複製品に対しても使う言葉であるという。

太古の昔の話。アマゾンの奥地あたりに散在する集落では、互いの集落へ訪問する際に、自分たちで作った焼き物(器)を土産物として持参した。それは訪ねた集落の長に手渡されるのだが、なんと長はそれを割ってしまい、その破片を集落に住む人々に分け与えるという習慣があったそうである。そこで贈与される焼き物は、破壊される(分割される)ことを前提として作られ、壊された破片を民に分け与えられることによって価値、意味が成り立っていたのだ。

太古に製作された土器やその破片は日本国内のあちこちで出土されている。私の住む町の近くでも、縄文時代の住居跡が見つかっており、近隣の博物館では出土した土器の破片を寄せ集めて復元した土器が飾られている。
私の古い友人はかつて考古学を勉強していて、彼のところに遊びに行くと、出土した土器の破片や綺麗に成形された鏃を片手にいろいろな話をしてくれた。土器の破片に刻まれた模様を手繰ってゆくと、途切れたその先が見たくなる。一体、元はどんな文様だったのか、かつてこの器の形はどんなものだったのか知りたくなってくる。集められた破片を一つ一つつぶさに調べ、つなぎ合わせておよそ完形となる作業を見たときには、感動さえ覚えた。
それから数十年を経て、今あの時のことを思い出すと、果たしてあの修復作業のような行為は正しかったのだろうかなどと考える。元の姿形に戻してしまえば、割れた元の状態は無くなってしまう。もし、割れた状態に歴史的な意味があり、ある完成形であるとするならば(完形という状態が過程に過ぎなかったのならば)、完形に戻すことはオリジナリティーの保護に反する行為となるだろう。

人が作った物の中には、人や時を経て姿形を変えて良しとするものもある。日本の茶道においては『侘び寂び』などと言った美意識があり、使い古した道具、欠けたりヒビの入った器に価値を見出そうとする姿勢がある。これは、かのチェザーレ・ブランディのいう人と時の介在(その事実)を保存の対象として視野に入れようとする姿勢に近しいのではないだろうか。

でも、こういった考え方はオリジナリティーのありかをどこか不明瞭にし、私たちのような修復家やそれを保存管理する人々を惑わせ悩ませる。
オリジナリティーはどこにあるのか。それは守るべきものか。

 

国際シンポジウム『未完の修復』に参加して

2024年3月 8日 (金)

絵画の一期一会

ジャズという音楽ジャンルに新しい道を切り開いたエリック・ドルフィーは、『音楽というのは演奏を始めた瞬間から大気の中に消えていってしまい、私たちは二度とそれを取り戻すことはできない』と言った。

短い曲でもいい。長い曲であるならばなお、演奏者のその時の体のコンディションや精神のあり方次第で演奏も変わるだろう。私も若かりし頃、好きなアーチストのコンサート、ライブ会場によく足を運んだが、それはレコードで聴いていたものとは全然違うし、当人のコンディション以外にも、会場の作りとか、集まった客によってもパフォーマンスは変わってくる。生演奏、ライブというのはそういうものかともう。

昨今デジタル化された音源や映像の中には、往古の貴重なの生演奏を見たり聴くことができるものもあるが、例えその演奏を記録して、再生することがいつでも可能となったとしても、当時の演奏された場所の空気、湿度や温度、はたまた匂いのようなものを残し、再現することは今もできない。その場にいて見たり聞いたりすることと、CDや携帯端末から聴く音は全く違うものだ。

初めてアンリ・ルソーの絵画作品を見たときには、描かれた人と建物や動植物背景の大きさもメチャクチャで、まるで子供の塗り絵みたいだなあと思ったものだ。しかし、この仕事をについてしばらくして、パリのオルセー美術館で『蛇使いの女』と対峙した時は、あたかもそこから放たれた妖気のような何かに絡みつかれるように、奥深いジャングルの湿った、生暖かい空気に包まれるような不思議な感覚にとらわれ、この絵画の怪しくも不思議な世界にすっかりと魅了されてしまい、しばらくその場を動くことが出来なくなった。

茶道の席ではよく『一期一会』という言葉が使われる。その時、その場所で、その瞬間だけ得ることのできる感覚や印象、そういった体験は音楽や絵画だけに留まらず、私たちの周りをよく注視すれば、いつでもそんな一瞬と遭遇できるのだろう。
私は体力、健康を維持するために、趣味方々、毎週30~40キロ程度のサイクリングをしているのだけれど、同じコースを走っていると、時間や季節によって体感する温度や湿度、空気の香りも変わって来るのがよくわかる。いつも目にする風景も注意深く見てみると、またなんとなく違って見えて、その印象、気持ちを味わうこともまた楽しい。

いつも見ている一枚の絵画も、明日はまた違って見えるかもしれない。

2024年3月 5日 (火)

物か価値か

私たち人間は色々なものに価値を見出してきた。この価値観が、自然界にある物から何かを作りだす材料を見出し、道具を作り、またその道具駆使して、私たちはこの自然界には存在しなかった新しい何かを生み出してきた。芸術の世界で言うならば、綺麗な色をした石を砕き、接着剤となる油や膠を混ぜ、植物の繊維を編んだ布や紙に何らかの図像を記すことで絵画というものが成り立ってきた。それは石に、草や木々に様々な利用価値を見いだしてきた人間のなんと素晴らしい想像力だろうかと思う。

私の手元に清源寺仁王像修復の全記録という冊子がある。これは山形県にある古刹、清源寺に安置されていた赤く塗られた仏像の修復記録である。この二対の像、阿行吽行像は、製作後およそ250年を経て老朽化著しく、自立することができなくなり、修復が行われることになった。そして、ここで大きな問題となったのが、修復の着地点、修復後の状態である。

現代の修復理念、哲学によれば、仏像など伝統工法によって作られた古典的彫刻は、製作当初の姿形を再現することが良しとされ、製作後によく行われた漆塗装や彩色は取り除く傾向がある。詳細な調査により、この仁王像も、赤い塗装膜は製作後しばらく立ってから塗装されたことが判明したが、本像は長く檀家や民間に『おにょろさま』『赤い仁王様』として親しまれ、信仰の対象としての存在価値が高く、二対の像は赤く塗られていなければその存在価値はなかった。
修復を担当した(有)東北古典彫刻研究所の所長であった牧野隆夫さんは、大学で文化財の保存修復学を教えていた手前、修復に携わる若い修復家達に、それを信仰の対象とする人々の思い、その価値観を理解させ、元の赤い仁王にすることを納得させることを、心苦しくも思ったとおっしゃっていたのを覚えている。
彼らは苦肉の策として、二像をいったん理想的な修復状態(塗装のない状態)として、詳細な写真記録を取り、その後像全体に和紙貼って覆い隠して、塗装膜との絶縁層を形成し、この和紙の上から檀家が望む赤色に彩色した。その修復結果は、文化財の修復理念、哲学には離反しているのかもしれないけれど、私はこの仕事を高く評価したいと思っている。

人が作り出した物はみな、製作者が何かに価値を見出して生まれ、それが残る、残されるのは、そこにまた、新たに見出される人々の価値があるからに他ならない。それを大切に守り、受け継がれるためには、人々が、今、価値を見出していなければならないのだと思う。

2024年2月27日 (火)

修復の着地点

最近は現在の状態をほぼ維持するように、多少の変色も、傷もそのままに、今ある姿形をできるだけ止めることが求められることが多くなって来た。これは、ひとえに修復を依頼してくる顧客の学習や経験によって得た価値観の変化によるところが大きいのだろうと理解している。
たとえ、それが科学的には劣化による変質や変色だとしても、長い年月を経ることにより纏った古色を美しい、好ましいと思う人も少なくはないだろう。骨董蒐集などといった趣味も、古びた書画や家具を、使い古した食器を美しいと思い、愛着を感じ、そこに高い価値を見出すことができるから成立するのだろう。
利用によって汚れ、傷つき、傷んだ作品を「もとのように」「綺麗に」戻して欲しいと望む者は今も多い。でも、それは人の学習や経験によって作られた価値観という意味においては同じであり、そこに差異はあっても、優劣など無いのではないかと私は考える。私たち修復家の様な専門家の価値観も、高度な学術経験者のそれも、決して普遍、不変なものではなく、将来必ずや訪れるだろう新たな経験によって変化する可能性をもったイメージであることには変わりない。人々の価値観は多様であり、その多様性の中から生まれた芸術、文化でもある。
私たち修復家にとっては、貴重な絵画や工芸品、歴史的に重要な資料をいたずらに綺麗にすることが目標ではなく、この先いかにその延命を図り、末長く保てるように努めることが最も重要な使命と心得ているが、この行為、活動もまた、他の人々の営為、経済活動となんら変わることはなく、人と社会の希望を叶え、求めに応じた結果を提供することが出来ることによって成り立っている。
絵画や美術品、歴史資料といった、いわゆる広義な意味での文化財遺産(狭義な意味で文化財とは国宝など国や地域が指定した作品、資料になります)は、時の人と社会によってその価値が定められ、保存方法や修復の目標も定められてきた。修復の目標も着地点も、日々、変わりゆくものなのだと思う今日この頃である。

2023年4月30日 (日)

保存修復の秘密

東京国立近代美術館で開催されている『重要文化財の秘密』展で開催されたトークイベントに参加をしてきた。登壇されたのは絵画修復家の土師広さんと修復家であり、保存修復と修復理論を研究されている田口かおるさん。今回このイベントの中でとても印象的だったのは、イベント後の質疑応答で、美術館スタッフ、司会者の『修復にクリエイティブな要素はあるのか」という問いかけであった。これに対して、土師さんは『自分の意思を出さないように、意図を加えないようにしている』と答えられ、田口さんは『ありうる』とお答えになっている。

私たち修復家は、また私たちの先達らはこれまで、修復を依頼される作品と向き合うたびに、いつも深く思考を巡らし、きっとその知識と経験、技術を駆使して、当時最善と思われた処置をしてきたのだと思う。修復の歴史を紐解くと、そこには、現在では許されない様々な問題を添加してしまったものもあるし、疑問視される処置も数多あるようであるが、たとえどんな形であれ、その行為があったからこそ、今ここにその作品が存在しているという事実もあるだろう。
修復という行為に絶対とか、完全とか、確かといったものはない。今、その道に長けた専門家が安全と思い、ベター(ベストはないから)な選択をしていても、科学技術が急速に進歩している現代では、遅かれ早かれ『これはダメだな~』などと言われてしまうかもしれない。そしてどんなに手当てをしても、生物のように再生機能のない絵画や美術作品は、傷つけば自ずから治るというようなこともなく、そして修復家はせいぜいそれが目立たなくなるようにすることぐらいしか出来ず、タイムマシーンでも手に入れない限り、傷を元に戻すことなんてできない。さらには修復処置により加えた何かもまた劣化する。これが現在私たちが行っている修復の実態である。

私はこのコラムの中で、祐松堂のインターネットサイトの中で繰り返し、『修復とは何かを取り除いたり加えたりする行為である』と言ってきたが、そこには必ずクライアント要望や修復家の意思も反映しており、修復に何を望み、どんな結果をイメージするかによって残すもの、残さないものも決まる。修復家はオリジナリティーを守ることが大切と口々に言うが、果たしてこのオリジナルの状態というのも、人がそれぞれの中に抱くイメージは異なっているように思うし、この、オリジナルの状態をいつ、どの時点と定めるかはまた難しい。世の中には、経年を経て褐色化したニスを纏った絵画を美しいと思ったり、その時代性を大切にしようという人もいる。製作当初の、まだニスが変色していない頃を製作当初のオリジナルの状態と考えて、それを取り戻そうとする人もいる。そして、修復とは、こういった人々の希望や要求に答えて行うものである。今対峙する作品に物理的な付加を与えるのみならず、現在の私たちの思いを付帯(追加)させる行為でもある。
修復家の土師さんは修復家は『断る選択肢を持っている』と言っておられたが、『処置しない』という行為もまた、今、私たちが目の前に認識した何か(ある価値)に手を入れず、そのままにしたいという意思や目論みが与えられることになるのではないだろうか。厳しく言えば、修復術者が意思を出さないのも、意図を加えないもの、難しいのではないか。そもそも人の行動はその人の意思や意図によってなしうるのだろう。

私たち人間は常に現在を生きていて、今を創造している。保存修復という行為もまた一つの人の営為であり、とてもクリエイティブな活動と思う。そしてまた私たちの元に、延命や修復を求めて作品が運び込まれてくる、、、。

 

東京国立近代美術館70周年記念展 重要文化財の秘密
2023年3月17日金曜日~5月14日日曜日
<https://www.momat.go.jp>

 

2024.03.28改訂

 

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