今、私の前には400年余り前に製作された絵巻物がある。修復家の中には、もっと古い作品を扱っている者もいるから、彼らからすれば結構新しいものになるのだろうけれど、それでも、100年を超えて生きることもなかなか難しい人の一生を考えてみれば、その4倍もの年月を経ているのだから、今ここに対峙する瞬間、私には感慨深いものを感じざるを得ない。
そこには、これまで長く利用してきた触手痕や折れ皺、何かの液体をこぼした痕、展開と収納を繰り返した為に生じたのであろう摩滅、絵の具の剥落に伴うイメージの減衰、害虫による虫食い穴やカビによる変色など、長い年月の間に生じたさまざまな出来事が記録されている。
この作品は今日までの間、いったいどんな時間を経てきたのだろうか、どんな人のもとで利用されてきたのか。どうやって今日まで保たせてきたのだろうか、、、。
そんなはるかな時を経て、傷つき、痛んだ作品も、私たち修復家の知識と技術により、汚れを落とし、皺を伸ばし、傷や虫穴を塞ぐことができる。失ったイメージも、今知り得る限りの情報から、少しでも失う前の状態に見えるように補助的な処置をすることができる。よく手を入れれば何事もなかったのように、今よりも健康な状態に回復させる(そう見える様にする)ことができるだろう。
汚れ、傷ついていた絵画が綺麗になれば喜ぶ人は多い。多くの人は汚れや傷を良いものと考えない。そして、過去の多くの出来事は見えなくなり、今対峙している作品はその自然な時間の流れの中で経験してきた物事を失う。それは二度と手には入らない過去の出来事の記録である。
年老いることを拒む者は多い。もしかしたら、だから多くの人は、古い物も傷ついたものも嫌いなのかもしれない。年老いて、皮膚や髪の艶がなくなり、皺が増え、白髪になり、髪の毛が薄くなって、、、。そんな自分を想像するだけで、滅入ってしまうだろうか。だから色々とサプリメントを摂って、注射もして、皺を引っ張り、髪の毛を増やそうと頑張る。はたまたジムに通ってパワートレーニングをし、汗水を垂らして走る。たまに、最近見ることも少なくなったテレビをたまに見ると、『いつまでも若々しくいたい、元気で長生きしたい』といった人々を相手にしたコマーシャルが鬱陶しいほど多い。
一方で、自分の年老いた姿をそのままを受け入れようとする人もいる。近頃はグレーやシルバーになった髪を自分らしさとして、加齢することに新しい魅力を見出してオシャレを楽しんでいる人もいるようだ。
私は還暦を過ぎてずいぶん髪の毛が白くなった。友人の中には『染めればいいのに』という者もいるが、私は自分の白髪を嫌と思ったことはないし、アトピー持ちでもあるので、いろいろ薬品を使うであろう白髪染めはちょっと怖いし、したいとも思わない。そんな友人には、『カミさんはまだ髪が黒いので、私と一緒にいると若く見えていいんだよ』と笑ってあしらっている。
文化財の修復方針は国や地域によって管理者、所蔵施設の方針によって微妙に、場合によっては結構大きく異なる。経年やこれまでに受けてきた出来事、生じてきた現象をできるだけ残しておこうとする者がいれば、今よりも少しでも前の状態に戻したいと尽力しようとする者もいるのは、人が加齢を受け入れたり、加齢に抗ったりすることとどこか似て重なる様に思う。

