私たち人間は、何でもかんでも擬人化するのが得意な様である。私は総合芸術として、映画を見るのが大好きだが、SFや怪奇現象、超常現象を扱った様な作品に登場する宇宙人や幽霊、悪魔も神様も、大抵人の形をしているか、人の要素を持っている。かつて、バールーフ・デ・スピノザと言う人は、神は無限であり、人間の様に身体的な制限を持つものではない(だから擬人化できない)と言ったそうであるが、逆に言えば、私たちの精神やそこから湧き上がってくるイメージは、常にこの身体に制限されているということだろう。
最近、ちょっと読み直ししようと思っているチェザーレ・ブランディ、『修復の理論』の中で、彼は一枚の絵画を生きた人間の様にして捉えている。そしてこの著書の中には、『生』という文字が現れる。彼は、絵画が『生』きているという。そしてそこには、死ぬまで、朽ち果てるまでの道のりが、持って生まれた人の人生の様な時の流れがあるのだと説き、その流れを止めたり、時の流れの中で変化、劣化してゆく、人で言うならば老いてゆくその現象を、生きてきた歴史、その証として、大切に守りなさいと言っている。
私はもともと髪の色が薄かった(こげ茶~栗色くらい)のだが、ここ何年かですっかりグレーになった。とくに染めようなどと思ったこともないが、白髪を嫌がって染める者も結構いるし、若作りをしたり、体を鍛え、美容に勤しんで、いつまでも元気で、綺麗にと、加齢に抗おうとする者は少なくないのだと思う。
今や貴重な絵画や彫刻、美術工芸品は、お金さえ払えば厳密で安全な保存空間を維持できるケースを手に入れて、長い時間保存することもできる様になっている。光に当てない様に暗所に入れれば、光による劣化は抑制あるいは遅滞され、冷所に置けば物質が変化するスピードも緩ませることができるかもしれない。
ここでもう一度、高級(結構な車が買えます)、高性能ケースに入れる一枚の絵画を擬人化してみよう。『あなたはこれから、外界の大気から遮断され、暗くて、少し寒いケースの中に密封されます。そうすればきっとさらに長生きできるかもしれません、、、。』どうだろう。私ならば、こんなことは勘弁してほしい。生きるということは、持って生まれた能力を使えてこそ、その価値が見出せるものだろう。だから、絵画を人の目に触れない暗所に閉じ込めてしまえば、その価値はまったく活かされない。絵画は人の目に触れて、人の精神を震わせてこそ、その存在の意味と価値が確かになるはずである。それは私たち人間のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)= 自分らしい充実した人生を送ることこそ大切にしなくてはならぬように、一枚の絵画のQOLを考え、年老いた絵画に、汚れ、疲弊し、傷ついた作品に、その美しさの保持と寿命の猶予を与え、より多くの未来の人々に出会う機会を与え、その価値を伝えるための手助けをすることが、私修復家の仕事なのだと思う。