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取り去るものと加えるものと

何百年も前に制作された絵画や芸術作品には、劣化や損傷があることはもちろんであるが、必ず何らかの手入れが施されているものである。それは1回のみならず、また1箇所のみならず、地層のように幾重にも重ねられて、歴史の記述のように跡を残している。過去の処置には良い処置もあれば、適当にごまかすような処置もあるし、元の姿形を変えてしまうような、目も当てられないようなものもある。現代の修復においては、傷ついたり、欠損が生じた箇所にはその損傷領域に限定した処置をするが、過去の修復跡には健常な部分にまで処置が及んでいることが多く、かえって損傷を拡大させているような跡もよく目にする。

現在は可逆性、再現性(処置前の状態に戻せるようにすること)を重視して、修復に加える材料は後日安全に除去できるようなものを使ったり、除去できる工夫を施すが、過去の修復跡にはこういった対策、工夫も見られず、元に戻すことが困難なことも多い。
古い作品を修復する場合は、過去に加えられた修理材料も劣化していることが多いので、基本的には除去するが、現在に至るまで修復された作品を『通常』として長く利用してきた者にとっては、その除去が問題になることがある。かつて私が修復をした作品の中には、描かれた群衆の一部分が数カ所に渡って欠損しており、同部は他の紙で補填し、周囲の画風とは異なるタッチで『顔』が描かれていた。

私は顧客の要望に応じて、修復部分に限定して、途切れた線や欠けた色面に補助的な彩色を行い、鑑賞性の向上、いわゆる見た目の回復を図ることがあるが、描線の行方が不明であったり、想像を要するような描線や着色は避けるようにしており、『補助的な彩色』と記したように、私たちが行う処置は基本的に鑑賞性の弊害や負担とならないように、鑑賞時に視線が誘導されないよう、捕らわれないような彩色を行うことが目的であり、周囲に近似する色で染めたり、明らかにつながっていた線をつなぐ程度の、あくまで補助的な処置としており、基本的に『描く』ような行為も避ける。
しかし、この処置も、作品のあちこちに欠損があり、例えばその欠損部の全てに『顔』が書き直されているような場合には、それを取り除き、『顔』のない状態にした場合、『顔』のあった作品を長く見慣れてきた顧客にとっては修復に預けた作品が大きく変化することになり、場合によってはその作品の所有者や管理者、利用者に精神的な苦痛を与える可能性がある。もちろん、こういった場合には事前に顧客と十分な相談をするが、専門的な知識を持たない人にとっては、修復後の様子をイメージさせ、納得させることも難しい場合がある。

先のコラムでも記したが、ヨーロッパでは修復後の結果が批判されることが少なくない。変色したニスを除いて、きっと製作当初に近い綺麗な色彩が取り戻せたといって喜ぶ者もいれば、長い年月による風合いが損なわれたと怒る者もいる。時代により、政変や宗教改革によって不都合な部分を上塗りされたり、それを現在になって元どおりに戻しても、取り除いた上塗りの、ある歴史の記録が損なわれたという者もいる。日本でも、古い仏像を調べてみると、過去に修理されて異なった形態になるも、後日長きに渡って信仰の対象として祭られ、現在に至っては元に戻すことも難しい像があると聞いたことがある。第二次大戦の戦火を逃れたある絵画は、戦時中に木枠から外され、長く丸めて保管されていたためあちこちと絵の具がはがれ落ち、戦後しばらくして綺麗に修復されたが、ある学芸員は、修復しないで展示する意味もあったといっていたことをよく覚えている。
私はこのコラムで何度も記しているが、修復は人の創造物から何かを取り去り、加えるという行為であり、その創造物が人と社会に大きな影響を与えるからこそ、とても重要で、慎重な行動が必要とされる責任の重い文化財の修復という仕事である。

 

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製作後に加えられたどんなにひどい顔であっても、見慣れた顔がなくなることは、作品の所有者や管理者にとっての精神的負担や苦痛にさえになることがあるから取り除くことは慎重になる。

2025年7月 4日 (金)

誰のために修復をするのか

日本では専門家の行動に異を唱える人が少ない様で、修復された作品が公表された後に、批判される様なこと見たり聞いたりしたことが少ない。私が所属する研究団の発表会でも、かつては結構激しい質疑や応答があった(エキサイティングであった)ものであるが、最近は皆大人しく、行儀よく発表を聞いている印象である。

ヨーロッパでは絵画や彫刻が修復をされ、それが新聞やテレビで公開されるや、様々な批評がされて話題となる。先日友人の志村さんからお知らせいただいたセビリアの聖母像の修復プロジェクトも、修復処置後の印象が大きく変わってしまったことで、市民から激しい非難の声が上がっているという。彼が送ってくれた記事を読む限り、それなりの立場の専門家が修復を施した模様であるが、その修復の方向性に問題があった様だ。

私は最近、芸術作品(それが宗教的なものであったとしても)にとって一番重要なのが、その作品を如何様にも解釈できる多義性があることと考えているが、芸術作品や工芸品、歴史的資料でも、それを所有したり管理したりする人々、社会に長く大切に利用され、守られていると、それはいつか特別な存在意味を持つ様になり、彼ら(だけ)にとってのあるべき姿形、独特なイメージの様なものが生成されて、さらに年月を経てそのイメージはより強いものとなることがある様だ。それはいつしか地域性や風習、宗教などが色濃く反映した彼ら自身のアイデンティティーや歴史の支えとなり、証明にさえもなってゆく、、、。
そして、時として人々の、社会の抱いているイメージが、私たち修復家の様な専門家や科学者、歴史学者の様な学術経験者、外来者からは理解し難いものとなっていたり、専門家がその立場から対象を解釈して見出す価値や意味、専門家がこうあるべきと思う姿形と異なってくることがある様にだ。
いったい、そんなことがあるのだろうかと不思議に思うのだけれど、あるいは修復を行う者ががそういったことを知らずに作業を進めたか、それとも顧客と修復を行う者との間のコミュニケーションの不足が招いた修復結果だったのか。
はたして、修復を行った専門家達は、非難をされても『専門家として正しいことをした』と訴えるのだろうか。もしそうするならば、修復を行った者たちは、専門家としてこの修復プロジェクトに追求したいこととして、修復の指針とか方針を前もって修復の発注者らに伝え、理解を求めていたのか。いいや、多分そういったコミュニケーションを怠ったに違いあるまい。
聖母像の所有者や管理者の、彼らなりの『正しい修復』のイメージが修復関係者達に全く伝わっていなかったとすれば、それはそれで、とても残念なことだと思う。しかし、一方では、修復の発注者もまた、修復を実施する者たちに自分たちが大切にする『正しい修復』のイメージを伝えることができなかった様に思う。その努力も怠ったのだろう。

この修復は一体何のために行われたのであろうか。修復家ら専門家や科学者、歴史学者の様な学術経験者(外来者)の理想のあるべき姿(彼らなりに正しいと思うこと)を追求することが目的だったのか、聖母像の所有者や管理者、教会の信者のために行われるはずの修復であったのだろうか?

◉『失敗した美術品修復:意図だけが重要なのではない』

2025年6月16日 (月)

自分を消そうとも

私の仕事仲間の中には、海外で学び、現地で実務経験を積んできた者もいる。とくにヨーロッパで修復術、修復学を学んできた者は皆、修復家(ヨーロッパで学んできた人は修復士とか修復師と表すことが多い)にとって最も大切なことは『自分を出さない』とか『自分を消す』ことだと教えられたと話す。

私は修復を望まれた作品(ここでは一枚の絵画作品としよう)を預かった瞬間から、その修復が完了するまでの間、基本的にその芸術性を味わうような鑑賞はしない。作品を預かって、まず行うのは全体の構造と痛み具合の確認で、これから修復を行う際に注意すべきポイントを特定する。その後計測と写真撮影を行って、さらに画用紙や画布、絵の具、装幀など、そこに使われている材料素材の個々、細部の状態、症状をつぶさに調べ上げてゆく。
『修復の理論』を記したチェザーレ・ブランディは『修復は、芸術作品の物質的側面に対してのみ行われる』と言っているが、これから作品を修復する私にとって必要なのは、ある材料から作られた絵画という物(物質)の成り立ちを、その現状を理解をすることであり、そのための調査、観察を行うのである。この時、私は作品の美的な側面、芸術性には目をそらしているというか、およそ意識をしない。ある意味、思考を停止させていると言ってもいいかもしれない。私は鑑賞ではなく観察と記したが、一枚の絵画が湛えている美的側面、見る者によって多様な解釈ができ、数多の意味が生じるその芸術性はいったん棚上するか蓋をしておくようにして、観察の結果、収集した情報に基づいて、機械的に淡々と修復処置を進めてゆく。こう言った一連の客観的(と思っている)行動が、『自分を出さない』とか『自分を消す』ことに通じるだろうと私は思う。
しかし、実際に修復作業を進めてゆくと、『自分を出さない』とか『自分を消す』ことに徹することもなかなか難しい。ひとたび作品の修復作業を始めれば、必ず手加減やさじ加減といったような繊細なコントロールが必要になるものである。そしてそれは修復家自身によって行わなければならない。現在のように科学技術が進んでいて、いま修復する一枚の絵画をどれだけ精密に分析をしたとしても、どんなに調査、観察を尽くしても、そこで得た情報は実処置の手加減やさじ加減、その調整率を示してはくれない。だから、どんなにたくさんの情報を得たとしても、自身の思考を作動させ、意図的に様々な調整をしなければならない場面は必ずやってくる。
そもそも芸術作品に何らかの手を加えるのだから、その美的側面、芸術性に一切関わらずにおくこともできいない。それは絵画表面に糊付けされたシールの様なものではないし、実際に分けることも切り離すこともできないものである。

ここで、唐突ながら、現象学者のエトムント・フッサールが示した絵画鑑賞のあり方を紹介する。彼は絵画の鑑賞を以下の三段階に分けて考えた。

 


第一の層

像物体

画用紙、絵の具といった絵画の材料やその状態認識 =絵画以前、そこにある画材、成り立ちを見ること。客観的な鑑賞、観察 

第二の層 

像客体

画用紙、絵の具といった絵画の材料やその状態認識 =絵画以前、そこにある画材、成り立ちを見ること。客観的な鑑賞、観察 

第三の層

像主題

作中世界の認識=描かれた物語やテーマを意識すること。主観的な鑑賞のはじまり

 

貴重な芸術作品の修復に際しては、その作品の現状をできるだけ変化させないように、最小限の修復処置という約束のもとに処置を進める。しかし、どこまで処置するか、またはしないかというレベルを決定することもまた難しい。それは基本的には先に行った観察を頼りに行うのだけれど、所有者や管理者の希望によって左右されるし、処置する作品の性質、劣化や損傷の状態によっても手加減を余儀なくされる。この加減はその作品全体(増主題を含んだ)に関わる場合もあるから、フッサールの考えに照らせば、上記の第三の層、像主題の鑑賞を横断して、いよいよそこに湛えている美術的側面、芸術性も意識しなければならなくなることがあるかと思う。
私は一枚の絵画の修復が終わりに近づいた頃、少しの間、一鑑賞者として作品を鑑賞するようにしている。素直に作品に向かい、修復後の状態がどんな風に見えるのかを鑑賞して、私が処置した箇所に大きな違和感があったり、視線が誘導されないか確認する。修復家としての経験を積んだ私は、きっとその経験を持った鑑賞者になることしかできないし、ついつい重箱の隅をつつくような鑑賞となりがちではあるが、ここで意識して作品(修復の着地点、終了地点の)芸術性を味わうような鑑賞するようにしている。

一枚の絵画における美術的側面、芸術性は、その解釈のカタチは、私たちのような専門家と専門外の人では異なるだろうし、たとえ同じ専門家同士であっても、その人の経験や知識によって大きく変わり、多義的で捉え所のないものである。そこには数多、多様な解釈の可能性があり、それが一枚の絵画の湛えている美術的側面、芸術性であると私は考えている。『修復家の理論』を記したチェザーレ・ブランディは同著の中でこんなことを言っている。

『各個人の意識世界においてはじめて芸術作品たりえるのである』『修復の理論』p.29)

一枚の絵画が湛えている(潜在している)美術側面とか芸術性というものは、その多義性を理解するほどに、わからない、捉えどころのないものである。そしてブランディは、それが個人の意識のうちで認識されるものだと言っている。ならばその美術側面とか芸術性というものは、人の数だけあるということである。
私たち修復家は、そんな捉えどころのない一枚の絵画を修復しなければならない。私はその美術的側面を芸術性を認識することができるが、それは数多ある可能性のうちの一つに過ぎない。だから私たち修復家は、一枚の絵画を前にして、その捉え難い美術的側面、芸術性から視線をそらし、物性や物としての絵画のみを観ることでやり過ごし、さらにを自分を消した(意識をしない、思考しない)ことにして、辛くもその絵画を捉え、修復という施工、施術を可能としているのだろう。ブランディは『物質はイメージの顕現に奉仕するものである』と言っているが、この言葉は修復家にとってささやかな救いとなるであろうか。私たち修復家には物質に頼り、奉仕するしか確かな手立てがない。
修復という行為の全てにおいて修復家の自己判断、自己責任が要求されるものではないが、貴重な芸術作品、広く文化財修復の現場の最前線に立って、実際に何かを取り除いたり、加えるような様々な決定をしなければならない者の責任は大きい。『自分を出さない』とか『自分を消す』ことも『最小限の修復処置(介入)』などという約束も、捉えどころのない芸術作品をいかに捉え、よく保護し、より延命させるためのベターな手段、方法なのだろうとは思うが、それはこの職務の責任の重さから、その重さをいささかながら軽減する(軽減するように感じることのできる)免罪符としても機能しているのではないだろうか。そうして少しでも安心をしながら作業を進めることのできる修復家なのかもしれない。

実際の処置ががどんなにか少なかろうと、小さかろうと、その作品から何かを取り除き、加えた跡は、修復家の自分を出そうが出すまいが、消そうが消すまいが、その作品の生涯の痕跡としてさらに加えられ残っていく。その大きな責任を担う修復家の仕事なのかと思う。

参考:『東京藝大で教わる初めての美学』川瀬智之

   『修復の理論』チェザーレ・ブランディ

2025年6月 9日 (月)

チェザーレ・ブランディと柳宗悦 ー ふたりの創造者 ー

美術評論家、チェザーレ・ブランディが『修復の理論』の中で記している『弱音器』という概念は、汚染や変質、変色(古色、古色化)といった、多くの人にとってはたぶん忌み嫌われるか、捨てるもの、取り除いて当たり前と思われていたであろうものに歴史的価値とある芸術性(拭い取るべきでない効果、そこにあるべき効果)を見出したという意味において、そして民藝運動の創始者と言われる柳宗悦は、日々の生活ではその芸術性など誰もが考えもしない、日常に(民間で)使用する雑器や道具に高い関心を寄せ、名も無き者がつくるものに芸術性を見出し『民藝』という概念をつくりだしたという意味においてとても興味深い。両者はそれぞれに文化も言語も仕事も違い、何もかもが異質でありながら、私には両者の概念がどこか重なって見えてくる。

ブランディの言う『弱音器』(=古色、古色化した材料、素材)という概念は、その実態である何かの汚染や劣化の果ての変質や変色の全てをそう呼んでいたわけではないと私は考える。絵画の修復においては、芸術性(ブランディの『修復の理論』/翻訳には美術性と書かれているが、芸術性と言い換えても差し支えないだろう)を第一にしなければならないといっているから、例えば一枚の絵画上のそれは少なからず芸術性に寄与していることが望まれるだろうし、鑑賞の弊害などとなってはならないものだろう。一方では、その『弱音器』に価値があるかないか(私たちの修復現場ではそれを残すか、取り除くか)という個々のケースにおける判断理由や基準を決めることも難しい。どんなにその科学的な分析をしようとも、得られるデーターは物質の成分、性質、現状といった有様を説明するだけであるから、それを残すべきか残さざるべきかといった判断材料、エビデンスともならないし、ましてやそれを『弱音器』などと称してしまうことは、ブランディ自身が同著書の中で言っているように、意識における新たな再創造(=私は現在の鑑賞者、所有者、管理者による解釈、意味付けと理解している)によってでしか決定することはできず、その『弱音器』とは、まさにブランディこそが、彼の意識における再創造によって認識された『弱音器』なのではないかと思うのだ。

東京の駒場にある日本民藝館は、柳宗悦が生涯に蒐集した選りすぐりの什器、工芸品などが展示されている。その姿形の美しいものも数々あるけれど、ちょっとばかりユニークであったり、少々突飛にも思える様なコレクションを眺めていると、彼の独特の美的世界を窺うようで、これこそが柳自身の見出した『民藝』であると私を説得してくる。最近の研究においては、彼自身、後に広まる何でもありの民藝(手作りの工芸品ならば全て民藝という様な考え方)を望んではいなかったようで、一つの工房で日々何百と作られる雑器の中に、稀に、あるいは偶然に出来上がった柳の目にかなう逸品をして、高い芸術性を見出していた様だ。柳と共に民芸運動に参加した陶芸家の濱田庄司は『民藝は柳の食い滓(カス)だ。いいところは見た瞬間、全部柳が持っていっている。その滓を皆が民藝だと思って騒いでいるのだ』といったそうであるが、濱田は『民藝』という概念も彼の意識における再創造によって認識された『民藝』でしかないことを証言しているようである。

ブランディも柳も、美術評論家(ブランディは歴史家、柳は宗教哲学者としても紹介される)として紹介されていることも興味深いが、彼らはお互いに物事をとても主観的に見ていた様に思う。ブランディに関していうならば、イタリア語の、そして彼自身の独特の言い回しからなのか、科学的には劣化した状態、変質による古色=悪化をして『弱音器』と表すなどいかにも情緒的であるし、独特の物事の捉え方、センスがうかがわれ、また私の中で柳のそれとダブって見える。『修復の理論』中で、『芸術作品が他のものと比べて特異なのは、その物理的実体や歴史性にあるのではなく、その芸術性にある』(一部省略)と記していることを見ても、科学的には説明し難い(多義的でつかみ所のない)イメージ(現在の再創造を含んだもの)こそを大切に考えていたものと思われる。

柳は自著『見ること』、『知ること』というエッセイの中で、美への認識は直感が大切であるとし、『美への問題は見ることから知ることへと進むべきだ』と言ってる。さらに『見る力とは生まれてくるものであって、人為的に作ることができない』とまで言っているのはとても興味深い。ブランディも柳も、お互いに独自の芸術感覚、審美眼、直感?を持っていた。そう信じていたものと思われ、そんな彼らが創り出した『弱音器』であり『民藝』である

二人はお互いに、いま目の前にあるものから新たなものを創造(再創造)した。そういう意味において、私には似た者同士に見えてくるのだ。

 

参考:『民藝の擁護』松井健

   『修復の理論』チェーザレ・ブランディ

 

2025年6月 4日 (水)

魂を抜く文化財の修復

本来は信仰の対象、象徴である仏像は、修復が必要となった際には僧侶による儀式を行い、像から魂を抜くそうである。魂を抜かれた仏像は神や仏から木像になって、ようやく人の手で触れることができ、修復ができるようになる。ネットでググってみると、「様」は仏陀や菩薩など、悟りを開き苦しみから解放された存在。 「神様」は自然現象や事物、精神世界を司られる超自然的な存在。そんな神様や仏様には修復は不要だろう。スピノザという人は神は無限であると言っているし、そんなつかみどころのない(あるいはつかみどころが多すぎる)超自然的なものには修復家ごときはなすすべもない。だから、そんな神様、仏様をいったん取り出して、有限な物に変えてから、つかみどころを絞り込み、修復に臨むのだろうと思う。

私が取り扱う絵画作品も、それが具象画であろうが抽象画であろうが、その見方を変えるほどに様々な印象を受け、いろんな解釈ができる。そこに見出される意味はまさに多様であり、それを鑑賞する人の経験によって様々な解釈ができると言っても差し支えないだろう。そして、人は新しいものにも古いものにも、欠けた跡や傷にも、薄汚れた風合いにも意味や価値を見出すから、そんな絵画も無限な意味を持っているからつかみどころがない。
無限の意味ある絵画を手に取り、そこに分け入り、何らかの修復処置を施すためには、先の仏像のように掴みどころを絞り込む必要がある。無限の意味を持つと言うのは、それが確かにこうであると決定できない物。言い換えることができるならば『何が何だかわからない』ものとなり、それは神様や仏様の様に捉えどころのないものとなってしまうから、それこそ修復などするすべもなくなってしまう。だからだろうか。その道の研究者や専門家は何も触らずに『現状を残そう』と言う。それも然りである。触らぬ神に祟りなしとも言う。
しかし、そうは問屋は卸さない。全てのものと同じように、仏像も絵画も、全ての人の創造物は完成した瞬間から、触らずに放っておいても劣化をやめず、利用していれば痛み、傷つくから、どうしても修復をする必要が出てくる。最近の気候変動はあちこちで大きな自然災害を巻き起こし、その被害は地域の文化財にも及んでいる。
そこで苦肉の策と言えようか、科学者達が考え出したのが修復する対象を『物』として捉える方法である。つかみみどころのない一枚の絵画は儀式こそしないが、先の仏像と同じように絵画の芸術性の様なものをいったん棚に上げて(例えば目を塞いで見ないことにして、あるいは視線をそらして)、『物』として分析し、物質、物性といった有限な科学的情報(説明できること)を抽出してそのつかみどころとし、修復をすることにした。私たち修復家は実際にその物質、物を機械的にどうこうすることしかできないから、この考え方は理にかなっていると言えるだろう。けれどその行為が、その結果が、どうしても神様や仏様、芸術といった多義性(つかみどころのない無限にある意味)に関わらずにはいられないことがこの仕事の難しさであり、人と社会(美術館も博物館も)はそんな難しさも梅雨知らず、その間にある溝を繋ぎ、穴を埋め、あるいは覆い隠す(?)ことを要求してくるのだ。
『修復の理論』を書いたチェザーレ・ブランディはこんなことを言っている。
『芸術作品として成立するためにその物質的な実態の側に犠牲を強いる時は、そうした犠牲やいかなる介入処置も、その美的側からの要求に基づいてのみ実行されなければならない。そしてあらゆる場合において、美的側面こそが第一となる』と。
抜いた魂も棚上げした芸術性も必ず本来の在処に還る。いいや、私たちはそこにあるのに目を塞いでいたか視線をそらしていただけ。私達がどんなに目を塞ごうが、物質と芸術性は切っても切れない関係にあり、少し視線を戻しただけで、意識をしただけで、それは私たちに迫り来る。
今もなお科学はそのつかみどころのない美的側面を説明してはくれない。それに実際に触れ、奥深く分け入り、何らかの介入、実際に処置をする私たち修復家だからこそ、取り付く島のない芸術性を、人と社会がいつもその精神の中に繰り返して再構築する芸術性について目を塞ぐことも視線をそらすことも許されないように思う。いいや、多分できないのだ。

 

参考:『意味がない無意味』千葉雅也

2025年6月 2日 (月)

修復に求められるもの

私が文化財保存修復学会という研究団体に所属して間もない頃(1900年代の終わりころ)にある研究発表会で、文化財には修復ではなく、修理をするのだという発表者がいた。いわく、『修復』という言葉には『復』というような、ある意味元に戻すというような意味があるが、一方『修理』には理由を意味する『理』という文字があると。『理り』がなければそれを行なってはならないと。
現在でも文化財の修復に携わるものの中には、『修理』という言葉を使い、他と差別化を図ろうとする者もいるが、よく調べれば、もともと『修復』も『修理』も同じ意味を持つ言葉であり、『修理』という言葉の社会的な概念、通念には元に戻すというような意味は含まれるし、実際に文化財の修復においても、そういったことが全く行われないわけではない。私の古い友人であり、先輩は、『修復家』なら良いが『修理家』というのは如何なものかと、ちょっと皮肉っぽくいっていたのを覚えている。

確かに、私たちのような専門家と、それ以外の人では『修理』とか『修復』という行為に対しての捉え方、認識は異なるし、そこに求めるものにも差が出てくる。
文化財(広義な意味で、広く指定品以外も含めた芸術品、歴史資料として)を修復する私たち修復家は、とくに貴重なものを取り扱うので、それを確かに残すための方法として、対象を歴史的、科学的に『資料』『物質』として捉えることを重要視し、そこから得られる客観的な情報を可能な限り残そうと努めている。ヨーロッパあたりでは今でも、修復作業をする者に『おのれを出さないように』と説かれるらしい(一体そんなことが確かに出来るのだろうか)。
一方、その外側で芸術作品や歴史資料を管理、利用する人達には、対象の現状から今見える姿形に加えて、そこに想像される(あるいはそれを知っていた)傷つく前の姿や、経年によって変色する前の、風合いが変わる以前の、たとえば製作当初をイメージするような、そうあって欲しい、そうあるべき姿形を追求することが大切であったりする。
でも実際には、私たちのような専門家も、そういった社会的な『あるべき姿形』が無視できないのか、そもそも私たちの仕事自体が社会貢献としての役割が大きいからか、専門家の中にも、いいや、むしろ歴史的に、科学的にそれを追求する専門家だからからこそイメージするちょっと主観的な『あるべき姿形』があるように思う。

先述のヨーロッパでは、国が違えば、同じ国でも地域ごとに文化財修復の方針や手法に差があるし、そのためか、当然修復の結果が異なってくるから、今日でも重要な作品は修復するたびに高く評価されたり、非難を浴びたりしている。
このコラムでも何度か取り上げたレンブラントの『夜警』(De Nachtwacht /
フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民隊)は現在アムステルダムの美術館で修復中であるが、この作品は『夜』の場面を描いたわけではなく、経年によって表面に塗られたニスが変色して暗い印象になったため『夜警』とされたそうであるが、この作品を所蔵する美術館が『夜警』(De Nachtwacht)と紹介していることはとても興味深い。彼らは『夜警』こそが『あるべき姿形』と捉えているのではないだろうか。『修復の理論』を記したチェザーレ・ブランディは、経年によって纏った古色や変質、変色したニスをして『弱音器のような』という表現をしていたが、『夜警』のそれは、『弱音器』としての機能をもはや超えて、絵画の文脈を無視して、本来とは異なる意味合いや価値を与えている。これをある種の想像とか、ファンタジーとは呼べないだろうか。文化財の保存や修復には『理り』以外にも、ファンタジーが必要なこともあるのではないだろうか。ファンタジーを想起させる文化財でもある。

 

2025年5月31日 (土)

文化財の『あるべき姿形』を考える

私は修復家として、大学が運営する博物館や資料館所蔵の芸術作品や歴史資料を取り扱うことが多いが、そのほかにも企業の所蔵作品や地方の施設に収められた歴史資料、そして個人所有の絵画や工芸品も修復してきた。それらは国宝でも、重要指定品でもないし、製作者さえ不明なものもあったけれど、いずれも貴重なものばかりで、秀逸なものもたくさんあった。
現在、国宝や重要文化財に指定されているものも、かつては誰かの所有物であったり、あるいは借金のカタに売り払われたり、捨てられたものさえあるくらいだから、私が修復した作品や資料の中にも、もしかしたらいつか指定品となるものがあるかもしれない。
広義な意味での文化財、素晴らしい芸術作品、貴重な歴史資料が美術館や博物館の外にもたくさんあって、在野の文化財、巷の文化財とでも言おうか、それはそれぞれに大切に利用され、守られている。

人々は今日も私たちに修復を求めてくる。でも、彼らが修復によって改善や回復させたいと思うものは、実際にはタイムマシーンでも手に入れぬ限り、消し去ることはできない傷痕であったり、製作当初のきれいな姿形であったりする。その修復対象は動植物のような再生能力を持たないから、傷ついた部分を、失った部分を元に戻そうと追求すれば、制作の当初には存在しなかった(現在手に入る新しい)紙や布、絵の具を使って塞いだり、埋めたりすることしかできないし、変色したニスや画用紙を洗浄すれば、それがたとえ劣化や変質というような悪化であったとしても、ある意味長い年月を経て生成された風合いの様なもの(変色して古びたような色彩=ある歴史の痕跡)を取り除くことになり、その作品や資料の現在の姿形を変えることになってしまう。それは巧妙な修復処置の結果により、顧客が喜び、満足する姿形とすることができたとしても、その行為は改善や回復ではなく、その処置の大きい小さいはあっても、強いて言ってしまえば改造とか改変となる。修復処置というのはそういう行為なのである。
そして、人はまた様々な物に価値を見出す。古びて欠けた茶碗、破れかけた映画のポスターに、セピア色になった写真や絵画にも愛着を覚え、壊れたものや痛んだものにも美しさを見出す。どんなに古くなっても、痛んでいようとも、そこからさえ高い価値を見出して来た人の歴史がある。その歴史の証が、広義な意味で文化財なのかと思う。
だから私たち修復家は、一般に広く考えられている、認識をされているような、例えば『元通りにする』といったような修理や修復とは一線を引いて、今、目の前にある物の現状をできる限り保護しようと考える。たとえ塵一つさえ、それが数百年も前のものならば、それを払い去ってしまったら、二度と手にすることはできないから。
でもその一方では、先述のように汚れも取り除き、どんな小さな傷も欠損も見えなくして、元のように綺麗に戻して欲しいと人はいう。彼らには彼らなりの価値あり、そこに『あるべき姿形』を見出しているから、それこそを保護し、修復して回復させたい。取り戻したいのだ。彼らにとっては、自身が見出したその『あるべき姿形』があるから、それを大切にすることができて、未来に残される可能性を作ってくれるのだ。

私たち修復家は物(物質)を物として、そのあるがままの現状を保護し、延命させることを最も大切な使命と考えているが、文化財の現状保存という概念も、ある意味、私たち専門家にとっての『あるべき姿形』の追求ということになるのではなかろうか。

それぞれの『あるべき姿形』間には溝があり、差異があるが、そこに優劣もつけ難いし、正誤など決められるものではない。それはそれぞれに文化財を守り、後世に残すために必要な『あるべき姿形』なのではないだろうか。

参考:『保存修復の技法と思想』田口かおり

2025年5月26日 (月)

文化財修復の掟とその寿命

私たちはこの世に一つしかない貴重な文化遺産を取り扱うため、芸術作品や歴史資料の修復に際していくつかの原則を守るようにしている。これらの原則は現在文化財を保護するための最善、最良な方法を示す羅針盤となり、過剰な処置を抑制し、対象の現状をより良く残すためのシステマチックな方法論であると思う。でも、どんな方法論も長く同じよう利用して、いろいろなものに対応させているうちに、様々な問題が浮かび上がってくるものであり、あるいは確かと思って(なんの疑いもなく思い込んで)日頃振り返ることもないこの原則にも、きっと問題点や欠点は潜んでいるように思う。

私たちが大切にしている原則には以下のようなものがある。


1.最小限の介入

 

現状の保護策。変化の抑制。現状から出来るだけ取り除かない、加えないこと。作品、資料の現状を限りなく保護、保存するという意味において最良な方法である。

2.可逆性

 

再現性。修復処置前の状態に戻すことができるようにすること。再修理、過去の修理の再評価に備えることが可能となる。

3.判別可能性

 

修復箇所が確認できること。処置箇所とオリジナルとの差異化を図ることでオリジナルの現状を確認、区別が可能となる。

4.適合性

 

近似した材料を使うこと。オリジナルの材料素材と調和を保つこと。材料の質、強度を合わせることで修復対象も安定する。

5.記録

 

処置前の記録、処置の記録。文化財の保護として安全、重要なな手段。修復も文化財の経歴として記録と修復はセットで行わなれる必要がある。

 

~それぞれの原則における考え方と問題点~

1.最小限の修復について
芸術作品、歴史資料など広く文化財(=人の創造物。以下は国や地方自治体の指定品以外も含めた広義な意味で文化財と記す)の修復において最も重要なことは、その現状をできるだけ維持することであり、その方法論として有効なのが最小限の修復である。それは例えば芸術作品であるならば、画用紙や画布、絵の具といった材料素材への必要かつ最小限の介入であり、少し優しい言葉に変えるならば、たとえ何らかの修復処置を施すとしても、そこからできるだけ取り除かない、できるだけ加えないということになる。
しかし、文化財の保存や管理、取り扱いに長けた所有者、管理者がいる一方、それを良好に取り扱い、安全に保管するに十分な知識や経験を持たない者も少なからずいるし、修復の依頼者が美術館や博物館など公共の施設であっても、展示や保存の環境、設備が十分整っていないような場合は、最小限の修復が良い修復であるということは必ずしも言えない。必要に応じて最小限の修復に加え、強化とか、補強をすることにより、所有者、管理する者の負担を減らし、なお彼らが安心して取り扱うようにすることができるならば、それはそれで文化財の延命につながるはずである。そのさじ加減は難しいが、修復家は彼らの修復に対する要望をよく聞き、理解することを優先して、なお彼らの知識や経験についても触れて、相互の協力によってより良い修復計画を立て、所有者や管理者も納得のできる修復の着地点を見つけ出すことが大切であると思う。こうして『最小限の修復』ということを考えていくと、そのあり方についてはケースバイケースで考えてゆくことこそが最良である。

2.可逆性について
可逆性を確保することは、最小限の修復、介入に次いで重要なことである。これは、将来いつでも現状(これから行う修復以前)に戻すことのできる手段、工夫として有効であり、最小限の修復と共に修復箇所に加える材料、素材の可逆性を確保することによって、よりオリジナル、現状の確保、または回復ができる可能性を担保するものである。しかし、この一方では、可逆性が高いということは剥がれ易いとか、除去しやすいがために、処置箇所、加えた材料素材の耐用年数、寿命は短くなる可能性が否定できず、将来再復は必要であるという前提条件の上で成立するものであり、可逆性を追求してゆくと、再修復が必要となる時期も早まる可能性が生じることも心得ておかなければならないだろう。

3.判別可能性について
文化財の修復は現存する状態を保護することが最大の目的であり、修復のために加える材料と残存する作品との間には適当な差異を図り、つくることにより、現存する製作当初に使われたオリジナルの材料素材(その作品や資料自体を構成するもの、作り出しているもの)の状態(現状)を判別、区別することができるようになる。
しかし、この一方では、大きな差異を作ってしまうと修復処置部が目立ち、視線がとらわれるなどして鑑賞の弊害となったり、材料強度の差が大きければ処置部付近に応力が集中し、二次的な損傷(折れやシワ、波打ち変形など)の発生源ともなりうる可能性がある。

4.適合性について
ここでいう適合性とは、修復のために加える材料がオリジナルの材料素材と大きな違和感なく適度な調和が保てるようにすること。掛け軸や巻物(巻子本)などは利用時に巻いたり、たたんだり、広げたりするため、その際に抵抗なく取り扱えるようにする必要があり、例えば欠損部の補填材料の強度がありすぎたり、あるいは強度が低すぎたりした場合は、同部付近に応力が集中して波打ち変形や折れ皺が生じる(果ては亀裂や破損に至る)など、作品や資料に悪影響を及ぼす可能性がある。天然由来の材料は湿度により敏感に伸縮(膨張~収縮)するため、全体の調和、均一性をはかるためにも材質(材料の密度、硬度など)を近似させる必要もある。 
しかし、適合性を追求するほど加えた物がオリジナル材料と一体化して判別可能性は低下する。適合性よりも判別可能性を追求すれば損傷に至ったり、視線が囚われ、スムーズな鑑賞もできなくなる。

上記の3.4については、芸術作品や歴史資料の『潜在的な統一性』(チェザーレ・ブランディ『修復の理論』p35)、の損傷したイメージの回復に貢献、影響をするが、その着地点、どれだけ追求するかを定めることは難しい。数百年も経た画用紙や画布の修復、欠損部の補填には、紫外線(祐松堂では太陽光に長く晒した材料を使用した経験がある)や電子線などで強制的に劣化した材料を使用する試みも行われているが、このような対応については、小さな処置部に対しても、大きな手間と時間、費用がかかることも問題である。

5.記録について 
記録するということ、記録を残すということは文化財(広く国や地方自治体における指定品以外も含めて)には直接的、物理的に影響しないという意味において、文化財を変化させることなく、安全に情報を残すことができるという意味で文化財の保護性が高い。
修復の前後の様子、修復中に得た情報を文字化したり画像化したものは、その作品や資料のいわゆる経歴、病歴(カルテ)として、将来の再修復に備えた有効な情報ともなるし、それは所有者や管理者にとっても、今後作品や資料をより安全に、確かに取り扱う上での有効な情報となるだろう。さらにこの文字化、画像化した情報は歴史的な資料としても将来意味あるものとなるかと思う。
記録における大きな問題はそのその保管方法にあると思われる。昨今はデジタル化が進み、デジタル化した情報は利便性に優れていているが、デジタル記録の媒体として使われることの多いCD-ROMやDVD-ROM、レーザーディスクなどにも保存性能には限界はあり、保管方法によっては早期に利用できなくなる恐れがある。加えて、これらの情報を読み取るためのコンピュ-ターのめまぐるしいほどの進化によって、OSなど基本的プログラムやアプリケーションソフトの旧式化が急速に進み、古い情報は早々に陳腐化し、将来的に読み取れなくさえなってしまう可能性がある。記録の保管に大切なことは、クラウドシステムなどにデジタルデーターを残すとともに、利用実績の長い紙媒体などへの印刷を含めて、いくつかの方法を併用して保管することが望ましい。

修復の原則にもよく見れば様々な問題がある。ましてや現代における最新の芸術表現には対応が難しいものもあるかと思われる今日、これらの原則についても見直したり、再考してゆく必要があると私は思う。これから修復家になろうとする者、現在すでに現場で活動している若い世代の修復家、修復師(修復士)の皆さんにはぜひ知ってほしい。考えて欲しいと思う。

 

参考

田口かおり『保存修復の技法と思想』

チェ-ザレ・ブランディ『修復の理論』

2025年5月18日 (日)

表具師と修復家

今日修復家を目指すおよそ多くの方とは事情が異なり、私はこの世界に入るにあたって*表具師の修行からスタートしたので、表具師をはじめ、日本の伝統工芸、その技術を受け継いでいる職人の方々には少なからずシンパシーを感じるし、また尊敬をしている。現在でもなお、日本、東洋の書画の修復には、伝統的な表装技術の習得は不可欠である。しかし、私は修行の後に修復家を標榜し、現在の活動をはじめてからは、その技術や知識こそ今も利用、応用しているが、本来の表具師、職人としての立場や考え方は土台、基礎として地に埋め、棚に上げるようにしている。私はあくまで修復家であり、常にそのプロフェッショナルでありたいと思って今日も活動を続けている。
確か1996年ぐらいだったと思う。私が*文化財修復学会という研究団体に入って間もない頃、研究発表会や懇親会などで出会った東洋絵画の修復に携わっている人が口々に『表具の方をやっています』と紹介してくれた。その当時は別にふざけて言ったわけではないが『表具師ですか』と聞くと、半ばムッとして『いいえ、修復家です』といい直していたのをよく覚えている。確か、京都の修復家が多かった(今日でも、日本の表装文化の発祥を京都とする人は多く、京都で修行することを望む者も多い)と思うが、地元独特の言い方なのか、業界の習わしだったのであろうか、、、。

では、表具師の仕事と修復家の仕事は、同じ様な技術や知識を利用しながら、どこが、何が違うのか、私なりに考え、思うところを説明してみよう。
まず、表具師の仕事、表装【ひょうそう】をひとことで言うならば、書画を装飾する技法、技術であり、着物に使う織物や食器となる陶磁器を作るのと同じ伝統工芸であると私は捉えている。表具、表装は天然の素材から伝統製法により生産される和紙と絹織物を使い、書画を掛け軸や巻物、額、屏風などに美しく仕立てることを目的とした仕事であり、表具師とはその技術に長けた技術者、職人である。
話は少し外れる様だが、日本では利用する材料素材の寿命からか、家屋や什器に仕立て直しや修理、調整をして再利用する文化が成長した。茅葺き屋根の葺き替えとか、襖や畳、障子の張り替えなどがその例で、実は掛け軸や巻物も、屏風も同じように時が経てば仕立て直し、仕立て替え
の時がやってくる。掛け軸や屏風に仕立てられた東洋の書画は、表装材料と作品本体(画用紙、画布)が全て糊付けされているが、天然由来の接着剤はいずれ劣化して、あちこちで剥離や分離が生じるし、長く大気や光にさらされた表装材料も痛み、新しいものと取り替えが必要になる。もともと掛け軸や屏風の構造や作り方を熟知している表具師は、いつしか解体、解装の方法、技術も向上させ、表装を解体すれば、必然的に経年を経て汚れ、痛んだ書画も取り扱わなければならないので、ある意味書画自体の修理、修復の知識と技も一緒に身につけてきたのだろう。
しかし、表装というのはあくまで書画を引き立て、演出をしてより美しく、よりよく鑑賞できるようにする技法であり、私たち修復家が考える作品の保護は念頭に置かれていないか、その優先順位が低いように思われる。
私は実際に、表具師がおこなったのであろう過去の修理例をたくさん見てきたが、解体時に表装裂地と作品本体(画布や画用紙)の接着部分、のりしろ部分を無造作に切り取られ、現在に至って作品のサイズが小さくなっている様な書画は多い。少なくとも何十年も経ったような書画ならば、画用紙や画布が変色していることも多いので、所有者(依頼者)の希望もあってからか、図らずもか過度な洗浄をしてしまい、長い時間を経てまとった古色、風合いのようなものまで奪い去ってしまった例は多いし、この結果か、事前に行うべき処置が不十分だったか、描画部の絵の具が減少したり、剥離してしまった様の作品にも出会った。これもできるだけ良く見せようとしてなのか、描線や描画、色が欠けた部分には損傷周囲の健常な部分にまで絵の具を塗って処置部分を誤魔化している様なケースも多い。
現代の表装作業にはコストパフォーマンスを追求してか、合成樹脂や合成紙(レーヨンやパルプを含んだ紙)両面テープを使って作る掛け軸もある様だし、熱で溶ける接着剤とズボンプレッサーのようなテーブル状の加熱装置を用い、接合部や裏打ち紙を作品もろとも加熱、圧着して、一気呵成に掛け軸を仕上げてしまう技術もある。

一方の私たち修復家は、書画作品を芸術作品としてみる一方、歴史的な資料としての価値も同じように重要視し、双方の価値をできるだけ残そうと努めている。私たち修復家にとって重要なのは、作品を装幀、修復する以前に、現在の状態をどれだけ残せるかを考え、尽力することにある。だから、よく見える様にとか、綺麗にすることは必ずしも優先されないし、場合によっては(再利用可能であれば)古い表装裂地、その他の表装材料も調整をして再度利用することがある。先述したような作品本体のサイズを縮小するような行為もしない。
私は修復を依頼してくる顧客の希望は優先されるべきとは思うが、経年を経て脆弱化した作品の変色や汚れをどれだけ綺麗にできるかという様なことには限界もあるし、長い年月の果てにまとった古色や風合いは、たとえそれが経年劣化の結果であったとしても、それを歴史的な経緯として認識することもできることから、修復後の寿命を左右するような問題がない限り残すこと、その可能性を考える。その古色、風合いは取り除いてしまったら取り戻すことはできない。
描線描画が欠けた部分についてはとくに慎重に扱い、オリジナルの画用紙、画布の上には絶対に絵の具をのせない。私たちが『補彩【ほさい】』などと呼ぶ行為は、あくまでも作品の鑑賞がスムーズにできる様にする、損傷部に目がとらわれない様にする補助的な処置として、『再生』とか『再現』は追求せず、
控えめに行い、場合によっては多少処置部が認識できる程度にとどめることも多い。
私たちは合成樹脂の利用についても慎重だ。その多くは可逆性(後に取り除き、処置前、加工前の状態に戻せる性能)の低いことから、将来再修復ができなくなる可能性があり、さらに表装する作品にダメージを与える可能性があるため基本的に利用しない。合成樹脂については科学技術の進歩にによって長期の安定を示すものがあるが、その安定を保証する実験結果は限られた条件下で行われているため、利用方法、利用環境が異なれば寿命も変化する。先に記したような一部の熱可塑性接着剤(熱で溶ける接着剤)については、作品自体も加熱してしまうことが問題でもあり、また加熱して溶解する接着剤成分が作品画用紙、画布に含浸してしまい、後日変色したり、取り除け無くなってしまう例があるため絶対に利用しない。上手に管理をすれば数百年は保持ができることが実証されている和紙や絵絹に比べて、現在利用できる合成樹脂ははるかに寿命が短いため、これを含浸させてしまえばそれもろとも短命に終わってしまうのだ。
私たち修復家は、表装、裏打ち(作品の画布や画用紙の裏から紙を貼り付け補強、形状安定させる技法)などには作品本体に悪い影響を与えない、良質の天然材料から伝統工法により作られたを裂地や和紙を利用する。接着剤についても小麦粉から抽出したデンプンに水を加えて煮溶かした糊=正麩糊【しょうふのり】を使う。伝統的に長く利用されてきたこの接着剤は、比較的簡単に取り扱うことができて管理も容易な合成樹脂に対して、利用するたびに面倒な製造作業が伴い、食品同様(もともと食品が素材である)の丁寧な管理も必要で、何かと手間のかかるものだが、可逆性が高く、安全だから利用する。私たち修復家の使う材料の多くは、天然素材であるがゆえに、合成樹脂から比べれば気象条件によく反応をする(とくに湿度の影響を受けやすい。カビなどの微生物被害も受けやすい)ものでもあるが、数百年の利用実績があり、今日でも信頼が置ける大切な材料である。
そして、おそらく表具師が行なっていないであろうこととして、私たちは記録を取ることを大切にている。お預かりした作品のその時の状態から、解体、修復中の発見や処置した内容、処置後の変化などについて記録し、さらに処置前後、処置中の写真記録も行う。この記録は、病院のカルテのようなもの(私はそう思っている)で、その作品の病歴や現状、処置記録を残すことにより、将来再修復が必要となった際にはその足がかりとなり、所有者や管理者には作品の状態を熟知してもらうことによって今後の管理や利用に役立てていただきたい(祐松堂のウェブサイトではこの報告書を一部公開しています)

誠に残念なことは、先のコロナ禍の後に、私たちの使っている材料の需要がいっそう落ち込んだようで(もともと私たちの利用する材料、素材は希少であり、需要が少ない)生産者が廃業に追い込まれたり、材料は高騰するばかりで、これを私たちが提供するサービスに反映させてゆくのに苦労を強いられている。私たち修復家にはコストパフォーマンスなどといったことを追求することは難しい。

どうであろう。表具師の仕事と修復家の仕事、その違いが少しでも伝わっただろうか。

 

*表具【ひょうぐ】、表装【ひょうそう】
伝統的な手法によって書画を装幀し、掛け軸や巻物、屏風などに仕立てる仕事。表具師【ひょうぐし】はそれを行う技術者、職人。ほかに経師【きょうじ】などと呼ばれる。

*経師(きょうじ)、装潢師(そうこうし)
日本では古くから(12世紀頃に仏教の伝来とともに中国から伝わったとされている)東洋の書画を装幀する技術者、職人のことを経師(きょうじ)、のちに表具師などと称されてきた。現在国宝の修理などに当たっている技術者らは装潢師(そうこうし)と名乗り、国宝修理装潢師連盟なるグループを作り、他と差別化を図っている。
この職業に『経』の文字が使われているのは、当初取り扱っていたものが経典や仏画など、信仰、に関わる書画が多かったことが考えられる。ちなみに、装潢師と呼ばれた技術者も、かつて経典に使用する紙の調整や加工を行っていたようである。

*文化財保存修復学会<https://jsccp.or.jp/abstract/index.html>

2025年5月11日 (日)

芸術はエクリチュール

ヨーロッパにおいては、古くから話し言葉こそが発話者の真理により近いものとされ、書かれた言葉はその発話者の真理に遠く、話し言葉より劣るものとされてきた。話し言葉をフランス語でエクリチュール(écriture)といい、話し言葉をパロール(parole)という。

パロールは個人の表現として発話者が支配し、コントロール下に置かれる。それはより直接的で、たとえ聞き手がその言葉を誤認、誤解したとしても、正したり修正することが可能であり、より真理を伝えることができる(誤解されにくい)から優勢であり、一方のエクリチュールは書いたものが発話者(筆者)の元を離れ、あちこちを転々として、後に様々な解釈がされ、間接的で誤解もされる。だから真理から遠く離れてしまうため、より劣っているというのが伝統的な考え方であるが、ポスト構造主義の代表的哲学者の一人とされるジャック・デリダは、この二項対立の関係性に注目をし、パロールこそ真理の直接的な表現であり、優位性があるとすることを批判し、エクリチュールの役割に注視した。

デリダはエクリチュールの作者の意図を追求することをいったんやめて、書かれた言葉の作者の存在や意図にとらわれずに、なおその言葉を簡単に否定することなく、言葉自体に敬意を払うように真摯に向き合い、その自律性を尊重し、書き言葉が多様な解釈を生み出す可能性(例えば自発的な生命力のようなモノ)がある優れたものとして捉えてゆく価値あるものと考えた。それは誤読や誤認、誤解は悪であるという価値判断をいったん棚上げにして、パロールが正。エクリチュールが誤といった二項対立から距離を置いて、絶対的な何か(正誤、優劣といった答え、価値)をつくり出すのではなく、物事を柔軟に捉え、考える(考え直す)試みである。
今日もなお、私たちの周りには、白黒、正誤、優劣といった二項対立の世界が依然として、厳然としてあり、多くの人々がそこにとらわれ、決めたがり、決着をつけることから逃れられず、執着さえする。そしていったんその決着がつくと安堵してしまい、まるで引きこもりにでもなったかのように思考することをやめてしまう。例えていうならば、テレビのクイズ番組。どれだけ『答え』を知っているかで優劣がつけられる世界。でも、『正解』が出ればおしまいである。これは私たち修復家のような専門家の世界の中でも、同様のことが言えないだろうか。
デリダの言葉は硬直したり停止してしまった私たちの思考を刺激し、今一度思考しろ。その先に向かえと、未来へ一歩踏み出すための勇気や足がかりを与えてくれるように思える。

私は今、ポストモダン(ポスト構造主義)と呼ばれる哲学を学びながら、私が日々対峙する芸術作品や大好きな音楽、そして私が生業としている広く文化財の保存修復について思考をめぐらせている。
数百年前に描かれた絵画作品が目の前にある。この絵画の画家、製作者は話すわけじゃなく描いたのだけれど 、ある表現(話し言葉)の発話者自身であり、その制作意図、真理を持つ者であるが今はもう現存しない。かつて芸術家が存命の間は、自身の描画表現の意図や真理を他者に伝えることもでき、鑑賞者が誤解、誤認すれば、それを正すこともできたと考えると、画家、広く芸術家はパロール(発話者)と言えるのではないかと思う。 そして、芸術家がその意図や真理を描いた一枚の絵画、芸術作品(描かれた絵、表現された物)は、その製作後に製作者の元を離れ、他者の間を転々とし、様々な人々によって鑑賞されながら製作者の意図から外れ、離れて、様々な理解や解釈が与えられてゆく可能性があるという意味において、エクリチュールに置き換えることができるだろうと思うのだ。
かのレンブラント・ファン・レインの『夜警』(『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民隊』/ De compagnie van kapitein Frans Banning Cocq en luitenant Willem van Ruytenburgh)という作品は夜の場面を描いたものではないが、後日塗布されたニスが褐色化し、全体の印象が夜を表している様に見えるようになったことから『夜警』と呼ばれ、現在でも多くの人がそう認識している。これは経年による変化により人々に与えた印象が変化したとも考えられるけれど、誤解とわかった現在でもなお、多くの人々に『夜景』(オランダ語:De Nachtwacht=美術館自体がそう紹介をしている)として親しまれている。現在も偉大な作品として紹介される絵画の中には、作品の製作当初、画家の存命中にはヘタクソであるとか、キワモノとして認識されても、高い評価などされることなく、死後しばらくして高い評価を与えられるようになった作品も多い。芸術作品は解釈や理解が時を経て遅れてやってくることもある。
誰かの描いた一枚の絵画が製作されたあと、時間の流れや社会の変化の中で、ときには数奇な運命に出会い、書かれた言葉と同じように、その意味、解釈が変えられていった、加えられていった例は、探し出せばきっといくらでもあるだろう。
古典的な絵画の中には、神の教えや故事にちなんだ世界を表そうとした物語性の高い作品もあるが、そんな絵画でさえも、その意図や真理から離れて絵画自体を芸術作品として鑑賞することができる。そうして鑑賞をすれば、そこから得られる印象、感想はまた様々になるだろう。日本ではかつて信仰の対象、象徴であった仏像や殺戮の武器であった日本刀が、美術品として高く評価されている。これもまた、象徴や道具から美術品としての価値が見出されたものとして、解釈の変化が生じ、存在意味さえも大きく変えたものとしての一例となろう。そして、それを間違っているとか誤りであると言う人もきっと少なかろう。

こうして芸術作品を観て、考えてゆくと、それは書かれた言葉と同じかそれ以上に、芸術(広く人の創造物と言っていいか)はいつの時代も私たちに新たな解釈をさせ、様々な意味を想起させる。そんな余地を持ち、変化の可能性を秘めたエクリチュールとは言えまいか。そんな可能性を秘めているからこそ、私たち人類にとってとても大きな価値があり、貴重な芸術作品なのであろう。だから、きっと未来の人々に伝える価値があるのだろう。そんな芸術品を後世に長く残すことが求められる修復という仕事なのであろう。

 

ジャック・デリダ

<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80>

 

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